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店長情報

2016年07月30日

札の辻・21

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

 毎年、夏になると我が家には、三匹の「壁ちょろ=ヤモリ」が姿を現す。今や社会人となった孫達が幼少の頃からなので、もちろん代替わりしているのだが、なぜかずっと三匹である。
 テレビの後ろの窓が、すりガラスになっており、そこに夜になると現れるので、食卓を囲んでいた孫達も、テレビも食事もそっちのけでさわぎだす。怖がるわけではなく、むしろ待ってました、と言わんばかり。にぎやかだった夏休みの光景である。
 家族で囲む食卓といえば、我が家には様々な鍋や調理器具がある。
 食べることに目がない私が、出張で各地に出かける度に、買い求めてきたものである。
 昭和四十六年にヨーロッパに出かけた際には、スイスで食べたフォンデュがあまりに美味しく、わざわざフォンデュ鍋を持ち帰った。
 飛騨高山の朴葉味噌用の飛騨コンロ、北海道のジンギスカン鍋、ヒノキの湯豆腐桶。そして家族を最もびっくりさせたのが、東京は合羽橋の道具街で買い求めた炭火の焼き鳥器である。
 焼き鳥屋のおやじさん気分でタオル鉢巻姿、ビールを飲みながら、汗をかきつつ焼くが、焼きあがると、あっという間にエサを待つツバメの子のような三人の子供たちの口へと消える。
 我が家の食卓をにぎわした鍋達も、今は倉庫の主、今宵も壁ちょろ相手に冷奴で晩酌。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2016年07月23日

札の辻・21

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

 梅雨が明けると、わが家でも風鈴の登場となる。以前は南部鉄器製の風鈴を軒下に下げ、鉄独得の、透き通るような長い音を楽しんでいた。
 しかし、高齢となり、鉄器の風鈴は吊り下げるのが重く感じられるようになり、ここ数年は浅草のほおずき市でほおずきと一緒に購入したガラス製のものに変わっている。
 風鈴のように、夏は他の四季に比べ、音で季節を感じるものが多い。
 セミの鳴き声、打ち上げ花火、祭りの太鼓、夕立の雨足、どれもにぎやかで、暑い夏にふさわしく感じる。
 子供の頃の夏の音といえば、真っ先に思い出すのが、わが家のすぐ近くを流れていた川のせせらぎである。
 食事時以外はこの川で泳いだり、魚を釣ったりして日がな一日が過ぎたものだ。遊び疲れてひと休みしていると、セミの鳴き声の合間に、カジカカエルの何ともきれいな鳴き声がコロコロと聞こえてくる。
 アイスキャンデー売りのおじさんは、鈴を鳴らしながらやってきた。
 山あいの里の夏の音は静かで、素朴さに包まれていた。
 最近はすっかり耳も遠くなり、季節の音を楽しむどころか、会話にも不自由する始末。
 山口市内は今頃、お祇園様の祭りの音も流れているだろう。私が夏の訪れを感じるのは、ガラスの食器の冷奴である。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2016年07月16日

札の辻・21

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 先日、東京に居る娘が孫と帰省した。わが家の食卓も少し色が変わる。
 仁保の道の駅で買い求めた食材も、見なれない物が並ぶ。今さらと笑われそうだが赤や黄色のパプリカ、そして太いキュウリかと思ったらズッキーニだと教えられる。カボチャの仲間だそうだ。
 家人は、スーパーで見かけて気になっていたものだが、調理方法がわからず買わずにいたという。娘の料理指導のもと、食すと大変おいしく、またその食感に改めておどろいた。
 この年になっても、まだ人生で初の食材に出会えることに、改めて感動の気持ちもわいてくる。
 幼少期の夏野菜といえば、それこそキュウリにナス、ウリであった。
 今ほど野菜の種類も多くなかったが、それでも夏の太陽をいっぱいに浴びた、いわゆる無農薬の野菜は、みずみずしく、美味しかった。
 畑のすみにはハス芋も植えてあった。塊根は小さく食用にならないので、芋茎を和え物やミソ汁で食べる。シャキシャキとした食感が暑い夏季にはよく合った。
 盆の朝は、ハス芋の葉を取ってくることから始まる。葉に、水や、キュウリ、ナスを添えて仏壇にも供える。
 娘は丸い葉の上でころころ転がる水の玉と、「ようお出なさいました」と、団扇で仏壇を扇いでいた祖母の姿を思い出すという。八月の盆まであと一カ月となった。(鱧)
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2016年07月09日

札の辻・21

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 わが家の朝食はパン食である。
 年齢的にあまり多くは食べられないので、他は野菜、ヨーグルト、血圧に良いということで、トマトジュースも定番となっている。
 友人からは、白米に味噌汁のイメージもあると言われるが、ずっとこのスタイル。
 子供の頃の朝食といえば、「茶粥」であった。
 岩国藩主の吉川公が節米食として奨励した、山口の代表的な郷土料理である。
 昔、農家は畑の周囲にほうじ茶の低木を植えたり、自宅で使う茶はすべて自家製であった。
 この茶葉をさらしの袋に入れて粥を炊く。さらりとして、粘り気のないのが茶粥の特徴だ。
 付け合わせは、漬物や梅干し、昆布等いたって普通のものだが、茶粥の控えめな味が、副菜を主役に引きたてる。
 朝の出来立ても美味しかったが、朝の残りで冷たくなったのも、夏などはのどごしが良く、きゅうりもみとの組み合わせが暑さを忘れさせてくれたものだ。
 茶葉の色でまさしく茶色に染まった茶袋と木製のお玉杓子がなつかしい。先日、娘と朝食の話をしたが、娘にとって、私の朝食のイメージはコンソメスープだという。
 どうやら、二日酔の朝私は必ず固形のコンソメスープを飲んでいたらしい。
 朝の食卓で、朝食談義がたのしかった。(鱧)
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2016年07月02日

札の辻・21

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 沖縄はすでに梅雨もあけ、夏の太陽が海に輝きサトウキビの葉ずれの音が高くなっているという。琉球屋根の低い軒先のシーサーも、ますます暑い陽差しを浴びつづけることになろう。
 まだ梅雨明けには遠い山口地方ではあるが、この時期では釣り情報も気になるこの頃。
 情報の元は週に二度ほど老人仲間の集いで会う友人の老釣り師の話からである。
 年齢的なこともあり、彼もあまり遠くには行かず、瀬戸内での磯や波止釣りが中心であるそうだ。釣りとはすっかり縁遠くなった身ではあるが、やはり、仲間の釣り自慢はおもしろく、うなずきながら楽しく聞く。トビウオの姿を目の前で追いながらも竿の動きに注意を払う彼の話は、静かに波音が聞こえてくるようで心地よい。
 今の時期であれば、チヌ、アジ、イサキ、脂がのった梅雨メバルなどが豊富であろう。
 以前は、雨が降ろうが天候に関係なく出かけて行き、遭難したかと家族に心配をかけたことも何度かあった。
 大物は必ず魚拓にし、食卓への登場はその後と決まっていた。
 夕飯のおかずを散々待たせ、心配をかけたにもかかわらず、魚に墨汁を塗り、丁寧に魚拓をとりはじめる私と、黒く塗られた魚を見つめる子供たちの顔がなんとおかしかったことも、なつかしく思い出される。(鱧)
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2016年06月25日

札の辻・21

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 私が幼少期を過ごしたのは、海からほど遠い山里であった。
 週に二度ほど、下松や櫛ケ浜から魚屋が自転車で魚を売りに来た。
 庭先に自転車のブレーキの音がすると、走って行きわくわくしながら背伸びをしながら木箱の中をのぞいたりしたものである。
 料理をするのは、当時教師の職で多忙だった母に代わって祖母だった。
 明治四年生まれの祖母は料理上手で、田舎料理ではあるが食卓には様々な料理が並んだ。
 酒をたしなむ祖父のために、時季になると、旬のアナゴを買い求め、蒸して白焼で出してくれたのが、なんともうまかったことが思い出される。
 私にとっては、おふくろの味ならぬ祖母の味であった。
 旧制中学に進学し、徳山の大叔父宅に住むことになると、住居の隣が魚屋で、新鮮な瀬戸内海の魚を毎日のように食べることができた。
 魚屋のおじさんが手際よくさばいた刺身などが届けられ、海に憧れ育った魚好きの少年にとってこの上ない環境だった。
 大叔父が食通だったこともあり、山里育ちの身にとっては、第二の味覚の形成時期となったことは確かである。
 先日、家人がアナゴどんぶりとアナゴ寿司を買い求めてきた。
 食べていると、魚売りのおじさんの、自転車のブレーキの音が聞こえたような気がした。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2016年06月18日

札の辻・21

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 屋根をたたく雨音を聞きながら戸外に目をやる。
 わが家の庭もすっかり梅雨の装いである。
 ふだんはあまり長く眺めることもないが、なかなか遠出のむつかしいこの頃、庭の四季にも風情がある。
 雨の似合う花といえば真っ先に思い浮かべるのが紫陽花だが、わが家のそれも美しい水色が雨に映えてくれる。
 サツキも小さな可憐な赤い花を咲かせて満開を迎えてきた。
 カシワバアジサイの花の白に未央柳(ビヨウヤナギ)の黄色と、わが家の庭ながら、なかなかの展開である。
 こうして見ると、梅雨と花のかかわりもなかなかおもしろい。
 道端や庭先でよく見かけるタチアオイは、梅雨入り頃に下の蕾から咲き始め、一番上が咲く頃には梅雨明けとなることからツユアオイとも呼ばれている。
 花ではないが、わが家にビワの木がある。通常のビワとは比べ物にならないほど細い木ではあるが、毎年2、3個だけ小さな実をつける。
 このビワは孫の給食に出された物の種を植え付けたものである。
 小学校低学年だった彼が、学校から持ち帰ったもののマンション住まいで植えることが叶わず、山口の庭の片隅に存在するようになり、ようやく実をつけたのは孫が成人する頃だった。
 桃栗三年、柿八年、ビワは長くて十三年。(鱧)
  

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2016年06月11日

札の辻・21

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 木々の緑がいっそう深まり、新聞や放送で防府天満宮恒例の“梅ちぎり”の報道があったあと、山口盆地も梅雨入りをむかえた。これから先しばらくは雨とのつき合いになるだろう。
 北海道には梅雨が無いといわれているが、本州一帯を覆う梅雨前線とは異なるものの「蝦夷梅雨」と呼ばれる二週間程度の冷たい雨が続く年もある。
 少々やっかいな雨も、生物にとっては恵みの雨。特に、「梅雨」は梅が熟す頃の雨というように、実が大きくふくらむ。この時期に始まる梅干しや梅酒作りの梅仕事も、季節感あふれる昔からの伝承である。
 ことわざにも「梅はその日の難逃れ」とあるように、梅の実は「三毒(食の毒、血の毒、水の毒)」を断つといわれ、古くから重宝されてきた食べものであった。
 中国から日本に渡来した奈良時代には、「菓子」と呼ばれていたビワや桃などの果物と同じく、生のまま食されていた。
 梅干しの原型となる塩漬けは平安時代に登場するが、上流階級の薬であり、一般庶民に幅広く普及したのは江戸時代の中期からという。
 物売りが盛んであった江戸の町では、豆腐売りや納豆売りと並んで、梅干し売りが風物であったといわれている。
 梅雨には激しく降る「男梅雨」と、しとしと降り続ける「女梅雨」がある。さて今年はどちら。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2016年06月04日

札の辻・21

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 隅田川の川風に力士幟がはためく五月場所は、白鵬の他を寄せつけぬ圧倒的な強さと、稀勢の里の健闘だけが印象に残る場所に終わった。
 先々場所の琴奨菊に続き、久しぶりの日本人横綱誕生の期待を寄せられた稀勢の里だったが、白鵬、鶴竜とモンゴル勢の壁が大きく立ちはだかった。来場所こそぜひ、相撲ファンの夢実現に向け頑張ってほしいものだ。
 大相撲の古くからの言葉に「江戸の大関より郷土(くに)の三段目」がある。
 五月場所も県出身力士の活躍に目が届いた。
 十両二枚目の豊響は九勝をあげ、ファンの再び幕内への希望をつないでくれた。
 大嶽部屋の電山=幕下、境川部屋の響龍=序二段の今後の健闘も祈りたい。
 また、元豊真将の立田川親方が解説者として顔を見せてくれるのもうれしい。美しい所作や誠実な土俵態度で高い人気を誇った親方らしい、さわやかな解説が観戦に花を添えてくれる。
 そして郷土出身力士の存在で忘れてならないのが、故放駒親方・元大関魁傑である。
 諸問題で揺れ動いた相撲界の立て直しに奔走し、今再びの相撲人気の取り戻しに貢献した尽力は計り知れないものがある。
 五月場所中の急逝から早二年。見事に十五日間続いた今場所の満員御礼の垂れ幕に、黒いダイヤと呼ばれた勇姿が目に浮かぶ。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2016年05月28日

札の辻・21

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 5月も下旬となり、一の坂川の夕べが賑わう頃となってきた。
 世界には約2000種のホタル類が生息していると知られているが、日本でホタルというとゲンジボタルかヘイケボタルを指すことが多い。
 水田や溜池に生息し直線的に飛ぶヘイケボタルと比べ、河川(流水)に生息するゲンジボタルの姿は大きく、強い光で曲線的に飛ぶ。
 一の坂川の川沿いを流線形に乱舞するゲンジボタルの光景は美しく、山口の風物詩である。
 幻想的なホタルの光の点滅だが、地域によっては異なるらしい。
 東日本では四秒に一回、西日本では二秒に一回、東西の境界線あたりでは三秒に一回という。
 温暖の差であるとか、地域別に遺伝子が異なる等、諸説はあるが、ホタルの言語に方言があるのかと思えてくる。
 ホタルの語源は「火垂る」や「星垂る」との説もあるが、ホタルは古来から日本人に親しまれてきた。
 古くは日本最古の万葉集から江戸時代に及ぶまで、多くの詩歌や俳句に登場している。
 とくに江戸時代には「ホタル狩り」が盛んで、夕涼みがてら団扇や虫かごを手にした人々の様子が描かれた浮世絵などはなかなか風情がある。
 一時期に激減したホタルだが、平安からの風流なたしなみが今に続けられるのも、環境への取り組みや努力と感謝したい。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻