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2014年05月21日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「井上馨(聞多)、袖解橋での遭難」から150年⑲ 不撓不屈 井上馨



(14日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
高杉晋作死す

 1867(慶応3)年1月、馨は藩命により、京都近郊の形勢を視察。帰国後も藩内外で国事に奔走し多忙をきわめていました。
 そうした中、同年4月、彼のもとに悲しい知らせが届きます。それは親友・高杉晋作の死でした。
 1864(元治元)年6月、イギリスから急きょ帰国し開国論を唱えた際、いち早く賛同したのが彼でした。同年9月、袖解橋の手前で襲撃され生死をさまよった際、萩からひとり、見舞いに駆けつけてくれたのも彼でした。
 藩の内訌戦、四カ国連合艦隊との講和談判。常に行動を共にしてきた彼の死。馨の悲嘆は筆舌の外でした。

不撓不屈、井上馨

 悲しい思い、悔しい思い。人知れず流したあの涙は、やがて大きな力へと変わりました。
 次々と容赦なく襲いかかる困難に対し、常に勇気を持ち、それに立ち向かった男、井上馨。
 姫山の遥か彼方に輝く星空を見上げながら、彼はどのような思いを巡らせたのでしょうか。
 こうして長州藩の中で最も度胸の据わった人物へと成長して行く彼のまなざしの向こうには、「明治維新」という新たな時代が待っているのでありました。(完)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)不撓不屈 井上馨

2014年05月14日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「井上馨(聞多)、袖解橋での遭難」から150年⑱ 不撓不屈 井上馨



(4月23日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
百万一心

 そこで藩主は、藩内の士気高揚を図るため、「長防臣民合議書」なる小冊子を配布。これは長州藩の正義を主張し、挙国決戦の覚悟を示した内容で、幕府や諸藩に向けたデモンストレーションでありました。
 馨はこの戦でまずは石州口に出張。後に芸州境の亀尾川口へ移動となり、そこで進撃を続けます。
 四境を囲まれ孤立無援の長州藩でしたが、高杉晋作が指揮する丙寅丸による奇襲攻撃で大島を奪還。石州口では大村益次郎の見事な作戦により幕府軍が退却。芸州口では中立姿勢を保つ芸州藩が長州軍と幕府軍の間に入り休戦が成立。最大の激戦となった小倉口では晋作や山縣有朋らが奇兵隊を率いて奮戦。8月1日には小倉城が炎上し、その後も各所でゲリラ戦が展開されますが、12月に入り小倉藩が降伏。四境戦争の幕を閉じました。
 この戦で長州軍は、捕虜となった彦根藩の農兵に対し、酒と食事を振舞い、さらには旅費を与え帰国させるといった人道的支援をしました。
 西洋軍制を導入し、最新兵器を備えた長州軍の節度ある組織。さらには、「百万一心、皆で力を合わせてわが郷土を守ろう」という民衆の力が長州藩に奇跡の勝利を呼んだのです。
(続く。次回は21日付に掲載します)  

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2014年04月23日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「井上馨(聞多)、袖解橋での遭難」から150年⑰ 不撓不屈 井上馨



(16日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
藩論統一、倒幕へ

 連戦連勝、まさに快進撃を続ける諸隊ですが、萩において保守派を藩の要路から退け、藩論の統一を図ろうとする団体が現れました。彼らは自らを「鎮静会議員」と名乗り、その中心人物が馨の親友・杉孫七郎でした。
 こうした動きに対し、藩主父子も賛同。保守派のリーダー・椋梨藤太は免職となり、その勢力は藩政府の席を追放されました。
 そして、1865(慶応元)年2月17日、藩主は萩を出発し、再び山口御屋形(滝町、現在の県庁の地)へと移り、藩論は馨たちの目指す「武備恭順」へと統一されました。

第二次長州征伐

 同年5月16日、藩論が統一された長州藩に対し、幕府は江戸城を発進。9月21日、諸藩へ長州征伐の勅許を伝えました。
 こうして翌1866(慶応2)年6月8日、幕府軍が大島(大島郡周防大島町)を襲撃。後に「四境戦争」と呼ばれた、あの戦が始まります。馨ら長州軍は、防長2国の大島口・芸州口・石州口・小倉口を囲む15万人の幕府軍に対し、兵数わずか4千人という苦境に立たされることになったのです。
(続く。次回は5月14日付に掲載します)  

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2014年04月16日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「井上馨(聞多)、袖解橋での遭難」から150年⑯ 不撓不屈 井上馨



(9日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
鴻城軍組織

 その頃、藩政府内では、保守派のリーダー・椋梨藤太の命令で、馨を萩において処刑しようという話がありましたが、まだ傷が癒えていないという理由で延期となっていました。彼は湯田の自宅に幽閉され、親類によって交代で監視されていました。
 一方、大田・絵堂(美祢市)で快進撃を続ける諸隊に対し、山口からも多くの有志者が呼応。矢原村の大庄屋・吉富簡一(藤兵衛)らは、馨を首領に担いで一隊を創設する計画を馨の兄・五郎三郎に持ちかけました。それに対し、五郎三郎はこう答えました。「わしらあが聞多を脱走させた場合、親類縁者に迷惑が及ぶ事になるじゃろう。じゃが、第三者によって強奪された。そういう理由なら話は別じゃ…」  
 それから簡一らは馨の親類に責任が及ばぬよう、同志と謀り、幽閉室を破壊。彼を強奪するという形で、連れ去ります。
 こうして長寿寺(本町)に迎えられた馨は総督に推され、その隊名は、「鴻城軍」と名付けられました。
 そして、翌日には常栄寺(現・洞春寺、水の上町)に移陣。そこから兵を進め、ついには佐々並(萩市)で保守派の軍を撃ち破ったのでした。
(続く。次回は23日付に掲載します)  

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2014年04月09日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「井上馨(聞多)、袖解橋での遭難」 から150年⑮ 不撓不屈 井上馨



(2日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
高杉晋作決起

 10月16日に藩政府に辞表を提出し、萩の自宅に籠っていた高杉晋作は、同月25日、身の危険を感じ萩を脱走。山口へと走り、密かに馨の病床を訪ねました。
 その後、晋作は、山口から徳地へ抜け富海港へと走り、そこから船で下関へ移動、11月1日、福岡へと向かいました。
 それからしばらく、平尾山荘、野村望東尼の所に潜伏していた彼は同月25日、福原越後、国司信濃、益田右衛門介ら3家老が切腹し、宍戸左馬之介、中村九郎、佐久間佐兵衛、竹内正兵衛ら4参謀が斬首された事を聞き憤然として下関に戻って来ました。
 この3家老、4参謀は、保守派が長州征伐の許しを乞うために犠牲となったのです。
 そして、12月15日深夜、晋作は保守派打倒をさけび長府の功山寺(下関市)にて決起。遊撃隊、力士隊などわずか80人ばかりの同志を率いて挙兵したのです。
 こうして翌年の1865(慶応元)年1月6日、晋作に呼応して立ち上がった奇兵隊、その他の諸隊は、絵堂(美祢市)を占領。その後も次々と、快進撃を続けて行きました。
(続く。次回は16日付に掲載します)  

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2014年04月02日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「井上馨(聞多)、袖解橋での遭難」から150年⑭ 不撓不屈 井上馨



(3月26日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
刺客は誰?

 この事件後、藩の役人が井上家にやって来ました。その際、馨は、兄を通じてこう言いました。
 「国家艱難の時には、こういうことはよくあることなので、私を斬った人物を詮索するなどしないで欲しい」
 そして、あの時、馨を斬った人物、それは児玉愛二郎、中井栄次郎、周布藤吾の3人でした。
 あの事件から32年後の1896(明治29)年、馨の還暦祝いの宴が催されました。その際、杉孫七郎の仲介で、当時襲撃に使用された刀が馨に贈呈されました。
 その刀の贈り主は、襲撃犯のひとり児玉愛二郎でした。彼は維新後、馨と同様、明治政府に出仕していました。
 「閣下、これがあの時の刀であります。当時は天誅を下したつもりでおりましたが…。本日は懺悔のしるしにこれを閣下にと…」
 その時馨は、愛二郎の長年の苦しい心の内を察したのか、その刀を受け取ると彼の思いを快く受け入れました。
 「児玉君。はあ、気にせんでもええいや」
 この時、愛二郎は感激で胸がいっぱいだったことでしょう。

勢いに乗る保守派

 馨が遭難した翌日の9月26日、革新派のリーダー・周布政之助が自刃しました。彼は禁門の変、下関戦争の敗北、第一次長州征伐と、相次ぐ情勢の悪化によって追い込まれて行きました。
 これにより、保守派の勢いはますます盛んになり、藩主父子は山口から、保守派の根拠地である萩へ移動することになりました。
(続く。次回は9日付に掲載します)  

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2014年03月26日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「井上馨(聞多)、袖解橋での遭難」から150年⑬ 不撓不屈 井上馨



(19日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
名医 所郁太郎

 その頃、美濃国(岐阜県)出身の医師・所郁太郎という人物が、馨の遭難を聞きつけてやって来ました。
 郁太郎は大坂の適塾で学び、西洋医学・洋学を修め、京都において医院を開業。その場所が長州藩邸の近くであったため、藩の邸内医員を委嘱されました。
 しかし、尊王の志が篤かった彼は医業を辞め国事に尽くそうと長州に来住。七卿落ちの際には、その医員を命ぜられ、馨とも親しくしていました。
 「おい、わかるか。所郁太郎じゃ。君はお兄様に介錯を請うたが、母君が是非治療をして欲しいということで、それを止められた。僕の手術が功を奏すかどうか分からんが、母君の思いを黙って見過ごすわけにはいかん。だから多少の苦痛は覚悟して欲しい」
 郁太郎は下げ緒を襷掛けし、焼酎で傷を消毒。小さい畳針で、傷口6カ所を50針ばかり縫い合わせました。
 こうして、手術が終わったのは、夜中の2時頃でした。
(続く。次回は4月2日付に掲載します)  

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2014年03月19日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「井上馨(聞多)、袖解橋での遭難」から150年⑫ 不撓不屈 井上馨



(12日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
母の愛

 重傷を負った馨は、もうろうとしながらも近所の農家まで辿り着き、一杯の水を請いました。
 そして、浅吉の急報に慌てて駆け付けた兄・五郎三郎らによって自宅まで搬送されます。
 この知らせで井上家は2人の医師を呼びますが、両医師ともどう処置することも出来ず、当惑するばかりでした。
 「聞多、誰にやられたんじゃ! 聞多!」
 「うっ…、兄上っ…」
 もはや兄の問いかけに答えることも出来ず、ただ手真似で介錯を頼むとの意を表す馨。そして、兄が刀を抜いたところ、母がそれを制しました。
 「五郎三郎、待っておくれ! お願いじゃ! 何とか治療を…。お願いじゃ…」
 「母上…、この傷じゃあ、いかなる名医の手でも到底助からんでしょう…。介錯して少しでも早う楽にしてやったほうが…。よし…、聞多…」
 「やめておくれ! 五郎三郎! 介錯するとの決心ならば、私も一緒に斬りなさい! ほれ、どうした! 早う斬りなさい! ほれ…」
 「母上…」
 その言葉に、五郎三郎は刀を下すことができませんでした。
(続く。次回は26日付に掲載します)  

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2014年03月12日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「井上馨(聞多)、袖解橋での遭難」から150年⑪ 不撓不屈 井上馨



(5日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
袖解橋で遭難

 「井上聞多君でありますか?」
 「ああ、そうじゃが」
 馨が答えるやいなや、もう1人が背後から縄で足を引っ掛け、背中から押し倒しました。
 そこを他の1人が背中目掛けて一撃を加えます。本来ならここで背中が真っ二つになるところですが、幸い刀の鞘が背部に横たわっていたため、致命傷は免れました。
 しかし、後頭部や顔面、下腹部、脚部に数カ所の傷を受け、馨はいつの間にか、近くのイモ畑へ転がり込んでいました。

鏡と刀

 この時、彼は京都祇園の芸妓、中西君尾から贈られた鏡を懐に忍ばせていたため、それが急所を防いだとも言われています。
 そして当時、彼が携えていた刀は、親友・杉孫七郎から護身用にと贈られていたものでした。
(続く。次回は19日付に掲載します)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)不撓不屈 井上馨

2014年03月05日

明治維新鴻業の発祥地、山口今年は「井上馨(聞多)、袖解橋での遭難」から150年⑩ 不撓不屈 井上馨



(2月26日付・松前了嗣さん寄稿の続き)
君前会議

 9月24日の早朝、馨は密かに藩主父子に面談。革新派政府員の辞表を却下し、謹慎を解いて「君前会議」を開くよう建言しました。
 翌25日午前10時、予定通り会議が開かれました。そこで馨は、「謝罪恭順」を主張する保守派の意見に対し、自らの意見「武備恭順」を強く主張。政事堂では激論が飛び交いました。
 こうして、会議は午後4時になっても議決に到らず、藩主は、ついに意を決し、馨の主張する「武備恭順」の方針に決定しました。

保守派激昂

 その日の午後8時過ぎ、馨は政事堂を後にし、使用人の浅吉と共に帰途に就きました。
 この日、保守派の壮士たちは会議が終わると直ちにその状況を尋ね、屯所に報告。そして、馨が第4大隊と力士隊を率いて夜襲を計画していることも知り激昂するのでした。
 一方、馨はそんなこととは夢にも思わず、石州街道を浅吉と共に家路に向かいます。袖解橋の手前(中園町)に差し掛かった辺りで、一人の男が馨を呼び止めました。
(続く。次回は12日付に掲載します)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)不撓不屈 井上馨