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店長情報

2002年12月29日

札の辻・21

 2003年のエトは羊である。
 羊はもともと日本には原生しない動物で、日本書紀によれば、599年(推古天皇)に百済から2頭が渡来したと記録されている。
 エトに登用されたのは、十二支を時刻にあてはめ、太陽が頂点に達する時が午で、西に沈む時を未と呼んだことから動物の羊をあてたという。
 羊は中央アジア高原地方が原産地だが、世界全土に飼育されるようになり、羊毛文化が発達して人間との深いつながりができた。
 ピレネーの北麓、パンプローナ市からサビエル城へ向かう途中の、岩の多い高原に群れていた羊、山東省は泰山の登山道近くの山肌を、たどるように登っていた羊飼いの若者と羊たち、パリからサンマロへ向かう途中、車窓から見たノルマンディー地方の牧草地の羊群など、人と羊と草原の風景を旅先で見るとき、あのミレーの画が重なってくる。
 ミレーには「羊飼いの女と羊のいる風景」、「森のはずれの羊飼いと羊の群れ」、「羊毛を梳く女」など、人と羊を画題にした作品が多い。中でも「羊飼いの少女」は夕焼けの残映を受けて群れる羊の中ほどに佇つ少女の、敬虔な祈りの姿が美しい。
 ミレーはどん底生活の中から、寛大と勤労と、そして平和と愛を見出した。大地に結びついた人間と自然の交わりを「落穂ひろい」や「種まく人」に力強く表現した。
 あわただしく、今年も暮れようとしている。
 ミレーの「晩鐘」の夕空を想い、ノルマンディーを山口盆地の空に置き換えて、新しい年の幸を祈りたい。    (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2002年12月22日

札の辻・21

 2002年もあと旬日となった。
 今日は冬至である。裸木となったイチョウ並木が街路に落とす長い影-冬至の日の新聞によく登場する風景写 真だ。
 冬至は夜が一番長く、昼が一番短い日である。
 冬の太陽は、南の空の低い位置から斜めに差し込んでくる。冬晴れの太平洋側の都市では、ビルの南側が明るく陽に照らされており、北側はビルの影が長く伸びてうすら寒さを感じる。
 冬至の日の太陽は南回帰線上にあるから、北国へゆくほど日照時間は短くなる。北欧では冬の太陽は真昼でも地平線上にわずかしか上がらない。北極圏の冬はさらに暗く、ストックホルムの日中は、東京の夕ぐれどきの明るさである。
 レニングラードの冬至は、太陽が朝9時に昇り、午後3時までに沈むと聞く。
 クリスマスイヴなどに光の祭典が伝統的に多いのは、寒くて長い冬を耐えてゆく中での、陽光に対する強いあこがれかも知れない。
 わが国では冬至の日にカボチャやコンニャクを食べるという風習がある。カボチャはポルトガル人によってカンボジアから、コンニャクはインドシナから中国を経て伝来したもので、どちらも江戸時代に、珍しい外来野菜として薬効があるとされ、餅に代わり、冬至の日に神前に供えたあと食べるようになった。
 もうひとつ冬至の風習にユズ風呂がある。
 阿武郡川上村にはユズの原木があるように、わが風土はユズに恵まれている。ユズ風呂に入ったあとは、湯豆腐をユズぽん酢で冬至の夕餉としたい。 (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2002年12月20日

佐波山洞道の題額(防府市勝坂)



 明治20年竣工した山口と防府を結ぶ佐波山トンネル(515.8メートル)は、道路隧道としては、当時国内で3位の長さを誇った。洞道の掘削を支えたのは、伝統的な鉱山技術であり、その技術は一の坂鉱山を経営していた蔵重善兵衛(竪小路の豪商)の仕業と聞く。坑道や坑口の石組技術は、久賀の石工が工事を請け負ったとあるが、防府側にある1×2メートルの題額に石工職人の心意気を感ずる。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2002年12月15日

札の辻・21

 甲高い声で季節の到来を告げるヒヨドリが、庭のクロガネモチの赤い実をもとめて来るようになった。
 ヒヨドリは日本列島に広く分布している鳥で、朝鮮半島の一部と台湾のほかは、わが国だけという準国産鳥なのである。主食として木の実とか昆虫を好む雑食性で、このほかツバキやサザンカの花蜜も吸い、サクラの蕾を食べたりする。
 ヒヨドリは秋が深くなるにつれ北日本から移動し、南日本に越冬地を求める。そして山地の森林だけでなく、村落や市街地の公園などにも姿を見せる。だが、ここ数年前から秋・冬だけでなく、夏でも住宅地に現れるようになり、あの声からうけていた季節感が失われてきた。季節感の喪失はトマトやキュウリなどの野菜ばかりでなく、野鳥にまで及んだ。
 このほかにも、北日本では主として春から夏に、南日本では秋から冬にかけて目立っていたムクドリも、一年中見かけるようになった。
 子供の頃、山の村は刈り入れが終わり、木枯らしの吹く日がつづくようになると、葉を落としたケヤキの裸木に、ムクドリがさわがしく啼き集まる。それは子供たちのおしゃべりにも似ていた。
 ムクドリが来るようになるとツルが来る  と教えられ、子供心に遠くシベリアからの客を待った。そしてツルが来れば木枯らしは雪に変わり、里山は白く雪化粧をし、ツルたちの餌場にも薄く氷が張って、馬酔木の咲く3月頃まで、村はツルとともに冬に耐えるのだった。そのナベヅルも今年の飛来はわずかに10羽。変わりゆく生態系はヒヨドリだけではない。 (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2002年12月13日

D601蒸気機関車(山口市春日町)



 県立博物館横に展示されているSLは、D60型式蒸気機関車の第1号として、昭和2年3月、川崎造船所で誕生し、戦後まで東海道線、山陽本線で活躍した花形の機関車であった。昭和26年、山口線津和野機関区に配属され、昭和41年まで山口線の旅客や貨物の輸送を続け、15年間の役目を果 たし引退した。SLファンでもないが、なにげなく見ていても、その姿に感動する。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2002年12月08日

札の辻・21

  冬ざれ、北風、山眠る、冬座敷、熱燗、枯菊などの季語を並べれば、そこはかとなくわびしさを、またうらはらにあわただしさを感じる師走である。
 師走とは僧(師)が年の瀬を迎えて、いそがしく走り廻ることから生まれた言葉といわれ、「師走坊主」ともなれば、お盆と異なり貧乏臭い落ちぶれ僧を連想する、と山頭火の生きざまと句を愛する俳人金子兜太氏はいう。
 その山頭火が下関長府在住の友人T氏へ、昭和8年の12月13日に出したハガキがある。
 「あたたかな小春日和が続いて、寒がりの老人喜んでいます。私の誕生日の三日にはうんと呑みました。アナが空いて風ひくほど。この頃食欲が減退し、そして歯が抜けて、やはらかい物しか喰べられないので閉口しております。といふ訳で御無心を申上げますが、山陽デパートの鯛の雲丹漬を一つ送っていただけませんか。来月できる句集と交換することにして」
 当時、山頭火は小郡の其中庵に住んでいた。一人暮らしの彼は精一杯のぜいたくとして、年忘れの酒の肴に鯛の雲丹漬を所望した。歯の抜けた老人と言っているが、まだ50代である。だが山頭火には金が無い。句集と交換というところに、師走の行脚僧の心象風景が覗えるようでほほえましい。

 あの雲が落した雨にぬれている
 越えてゆく山また山は冬の山    山頭火

 師走の、白く乾いた道をいそぐ山頭火の足音を枯葉が追う。 (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2002年12月06日

法隆寺(須佐町浦中)



 日露戦争は1904(明治37)年に始まる。翌年5月27日未明、ロシアのバルチック艦隊が九州西対馬海峡に現れ、日本海海戦となる。日本側の完全勝利といわれるが、翌28日、敗残のロシア兵33人がボートで須佐港沖に漂着。法隆寺は3日間預って、手厚い介護をし、送り出したという。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2002年12月01日

札の辻・21

 サイカチ並木が葉の落ちた梢を冬空に高く伸ばし、11月中旬のソウルは凍てつく寒さの中にあった。枯葉の舞う街筋を白菜を満載した軽トラックが走り、鋪道の中ほどまで屋台を広げた八百屋の店先には、赤いトウガラシが山積みされて、いま韓国全土はキムチ漬の仕込み真最中なのだ。
 南北を問わず朝鮮半島の初冬の風物詩は「キムヂャン」と呼ばれるキムチづくりである。
 朝鮮半島のキムチの歴史は、遠く1160年代の高麗時代に、野菜を塩漬にして保存するということからはじまり、味の良いキムチが生まれるのは、日本からトウガラシが伝来し、食生活になじむようになってからだと、鄭大聲の著「食文化の中の日本と朝鮮」に書かれている。
 トウガラシはコロンブスによって、原産地の南米ボリビア地方からヨーロッパに伝わり、1542年にはポルトガル人が日本に持ちこみ、そして対馬経由で朝鮮に渡った。
 キムチ文化の首都ソウルに着いた日、日本人にも人気のあるレストランで参鶏湯と、いろいろなキムチを並べ夕食をとる。サムゲタンとはニワトリ1羽の内臓を抜いた中に、もち米、ナツメ、クリ、ニンニクそれに朝鮮人参を詰めて土鍋で煮つめたスープである。オンドルの部屋でキムチ汗をかいたあと、ソウル観光の目玉 のひとつ東大門市場へ向かう。ここは総合市場、平和市場、興仁市場など新旧商店街密集地で、数万人の従業員と数10万人の客で夜明けまで賑わう。これまでに訪れた時より格別 に活気に満ちていて若者たちが多い。銀漢凍る北斗七星の街にキムチパワーが燃える。       (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻