アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 70人

店長情報 トップページ
店長情報

2003年02月28日

源久寺(山口市仁保下郷)



 建久8年(1197)、武蔵国三浦を本拠としていた平子重経は、源頼朝から仁保の庄の地頭職に補任され、この地で政務を執った。正治元年(1199)頼朝が鎌倉で没し重経は菩提を弔うため源久寺を建立する。源久とは源家の永久安泰繁栄を願っての事で、本堂には頼朝の「古鎌倉殿頼朝大禅定門」と重経の「源久寺殿西仁大禅門」の位牌が安置されている。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年02月28日

数字から

 1月末の私の誕生日に、友人が「イミダス」をプレゼントしてくれた。「イミダス」は情報雑誌。ペラペラとめくっていたら”195の国・各国データ”が載っていた。10くらいある項目の中に、成人識字率・乳幼児死亡率・国民1万人当たりの医師数という数字が見えた。興味を引いたので、書き写してみる。
 成人識字率、日本は99%。高い国からいうとスロバキア共和国は100%。ポーランド共和国、リヒテンシュタイン公国、99・7%、ロシア連邦、リトアニア共和国、ウクライナ、99・6%。地図で位置を見ると、どれも隣接している。
 国民1万人当たりの医師数は、日本19・3人。イタリア共和国55・4人。ベラルーシ共和国44・3人。ロシア連邦42・1人。モルディブ共和国40人。
 乳幼児死亡率(千人当たり)。日本は4人。乳幼児死亡率の高い国は、西アフリカのシエラレオネ共和国316人。医師数は0・7人。アフリカ南西部のアンゴラ共和国295人。西アフリカのニジェール共和国270人で、医師数は0・4人。乳幼児死亡率が200人を超す国は8カ国。全てアフリカ。全て植民地経験と長く続く内戦。
 アフガニスタンの乳幼児死亡率は152人。医師数、統計なし。成人識字率は36・3%。
 50音順に国が並べて書いてあるので、アフガニスタンの次はアメリカ合衆国となる。乳幼児死亡率8人。医師数27・9人。成人識字率は99%。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2003年02月23日

札の辻・21

 『御無沙汰しております。お元気でござりましょうか。今年は移築工事の関係でフキノトウが出ませぬ。あしからず。お風邪を召しませぬよう』
 菜香亭のおごうさんから、例年、立春過ぎに届くフキノトウのお詫びである。
 菜香亭のフキは、秋田フキを株分けしたもので、北海道のコロポックルの伝説や、秋田民謡の相合傘になるフキのごとく、温暖な地方のフキに比較して大型である。
 北陸から奥羽に至る地域は、その峻烈な気象から生まれた独特な風土圏を形成する。吉田寅次郎(松陰と呼ぶより本名の方が人間的な親しみがある)は、さいはての竜飛岬に至る東北遊歴の旅で、東北人に、自然が育てる象徴的な忍耐強い人間像を知った。
 みちのくの冬は冷厳な氷雪に囲まれるが、その中に眠る豊沃な黒土の下では、春を息吹く若い命がふくらみつつある。この地方でバッケと呼ぶフキノトウで、冬眠からさめたツキノワグマが、またクマを追うマタギ(猟師)たちも、雪をかきわけてバッケを探す。
 白と緑、冬から春へと季節の廻り舞台が見せるあざやかな色彩のコントラストが美しい。
 山形県西村山郡西川町にある山菜料理店「出羽屋」の佐藤主人は、「山国の春は行きつ戻りつするが、舞い戻った寒さの中で見つけたフキノトウを、醤油に地酒を利かせて煮つめ、熱燗と熱いメシで口いっぱいに春を食うのだ」と話す。
 菜香亭の秋田フキの群落は根強さを持っている。掘り起こして移築先の庭にも移植して欲しい。やがて北国からくる観光客も喜ぶ。 (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年02月21日

地蔵様の小路(山口市香山町)



 瑠璃光寺五重塔の周辺は、四季を通じて色々な景色を見せる。いま、山茶花の花が盛りで、梅の季節と変わりつつある。本堂右側に上る小路に並んでいる地蔵様は、その昔は台座に鎮座されていたことを想い出す。近年きれいに並列された地蔵様は赤い帽子を被っていらっしゃる。山道は気持ちの安らぐ地であり、散策道として申し分ない。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年02月20日

寒い!

 寒い、寒い。今日も朝から寒い!
 一年中で一番寒い時は、過ぎたはずなのに…。ああ、寒い!
 それにしても、今年の冬は寒いと思いませんか。もう、これで寒いを7回も連発してしまいました。本当に今年が例年に比べて寒いのかどうか、はっきりとしたことはわからないが、体感としては、近年になく寒い。
 私が年取ってきたからなのかしら? 体力が落ちているのか?  昼を過ぎても寒いのでストーブの前から動けない。背中を焼け付くほどストーブの炎にあぶらせて、テレビを見ていた。チヤンネルを替えた瞬間、画面に仄かな色彩の「薄墨桜」が映し出された。番組の最後だったのだろう、一瞬にして「薄墨桜」は消えてしまった。どこの「薄墨桜」かもわからない。寒いからか、春の象徴「桜」に心を惹かれ、もっと見たいと思った。
 寒いけれど、仕方がない。隣りの部屋に行って、パソコンにスイッチを入れ、インターネットに接続して、「薄墨桜」とキーを打ち込んだ。
 最初に現れたのは、愛媛県松山市の西法寺。寺の境内にある桜は、天平の昔、天武天皇から薄墨の綸旨(りんし)と共に、下賜された桜で、「薄墨桜」と呼ばれている。山桜系の八重咲きで花弁は小さい。テレビで映し出された「薄墨桜」なのかどうかわからないが、一時、パソコンの画面で咲く西法寺の「薄墨桜」を堪能した。しかも、住職の名前も薄墨という。
 どのくらいしたら、本物の桜に会えるのだろうか。春が待ち遠しい!  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2003年02月16日

札の辻・21

 先日新聞の夕刊に俳人宇多喜代子(徳山出身)の季語に寄せる随想があった。内容は歳時記の季語がもつおもしろさを識り俳句をつくっている側と、俳句についての知識を全く持っていない若い人たちの、季語から受ける解釈の違いを対比したものである。
 さて、新年の季語に「国栖奏」(くずそう)がある。一般になじみの薄い季語だが、歳時記によれば、国栖奏とは奈良県吉野町国栖地区にある浄見原神社で、1月14日に古くから伝承されている国栖の笛を奏でる神事のことだという。
 歳時記とは四季の自然や習俗を、季語として春、夏、秋、冬、新年に分類整理したもので、明治の末ごろから活用されるようになった。
 現在、俳句界では歳時記の季語を再検討し、季節感のズレているものや、古くなって現存しないものなどを見直すと共に、新季語を加えようという動きもあり、その反面、絶滅寸前となっている季語を守ろうと「絶滅寸前季語保存委員会」という組織もできている。
 前記の国栖奏のように難解な季語を拾うと、

●鞦韆=ぶらんこ。古くは中国から渡来した殿上人の遊戯。ふらこことも。季は春。
●虎落笛=物干し台の竹竿、竹の垣根、電線などに強い北風が当たって発する笛のような音のこと。季は冬。
●鎌鼬=冷たい寒風が手足に触れると皮フが裂け出血する。昔はイタチに似た妖獣の仕業とした。あかぎれとも。季は冬。

 これから春に向かう季語には、満天星、独活、虎杖、萵苣など難読植物がならび、そのほか海雲、鹿尾菜とくる。 (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年02月14日

菜香亭の小部屋(山口市上竪小路)



 幕末、藩主毛利敬親公の英断により萩から山口に藩庁が移された際、膳部職であった斉藤幸兵衛は藩主に従い、明治4年、山口県庁が出来た時、この地に料亭を創業した。後に増築を重ねた建物は、現在移築作業が進んでいる。
 佐藤栄作総理がよく利用したといわれる部屋は、総理の額とともに記憶に残したい。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年02月14日

詩6



 夕暮れになると何故か子供達は不安になるのです。どうしてかしら?

ふるさとまとめて       高良留美子
”さち子ちゃんとりたい 花いちもんめ”
” ゆきえちゃんとりたい 花いちもんめ”

こごえた小鳥の日々のなかで
ほしがられていることは すてきだ
順番はすぐに移っていってしまうとしても
校庭にめぐってくる 束の間の時
もとめられている よろこび
けれど わらべ歌には裏がある
花とは 花いちもんめとはなんのことか
誰もそのことを語らない
卒業をまたずに 去っていく友があり
遠い土地の消印を押した 一通の手紙がある
少年たちは疲れるまでアスファルトの上でとっくみあい
少女たちは 歳月のようにお手玉を数える
そして校庭の片隅 鉄棒のあたりで
いつも仲間はずれにされていた友
その顔はよく見えない まだ…

そろえた爪先がけり上がる 青空のかなたに
かくれた 遠いふるさとがある
幼く明るい歌声の奥に
はるかなまぼろしの里がある
その入り口に あの友が立っている こっちを向いて

”勝ってうれしい花いちもんめ”
”負けてくやしい花いちもんめ”
”ふるさとまとめて 花いちもんめ”  (青春の詩より)

鴉(からす) 丸山薫
山には黒装束の者がいて
いつも寒い風を呼んでいた
山には振り向かない頬の者がおり
いつも涙を垂(た)らしていた    (自然の詩より)

 子供達は家路を急ぎ眠りにつくのです。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2003年02月09日

札の辻・21

 カメラ雑誌に、漁港の岸壁で一定方向に頭を向け並列するカモメの風景写 真が載っていた。
 カモメは年中見かけるが、数が多いのは冬季である。カモメ類は世界中に約40種いて、寒帯から温帯にかけて繁殖する。日本はその越冬区域に位 置しており、特にウミネコが多い。ウミネコは沿岸性のカモメで、青森県の蕪島や島根県の日御碕で繁殖し、冬の時期になると山陽、四国、九州へと渡る。鳴き声がミャオミャオと猫に似ているのでウミネコと呼ぶ。
 カモメは海鳥で、生きた魚を食べると思われるのだが、実際は漁港に水揚げ中にこぼれたり、捨てられた魚しかエサにしない。魚ばかりでなく浜に漂着した食物も漁り、光市の島田川河口では人が投げるパン屑に集まってくる。
 ユリカモメのように、河川に沿って内陸部まで飛来するカモメもいて、東京の隅田川や多摩川、山口市の椹野川でも中流近くに姿を見せる。
 ユリカモメは江戸の昔から隅田川ゆかりの鳥として都鳥と呼称され、古くから詩歌や物語りに登場した。歌舞伎の「都鳥廓白波」(みやこどりながれのしらなみ)は隅田川物の一つで人気がある。また芝居の「東海遊侠伝」は、清水次郎長の乾分森の石松が、遠州小松村の閻魔堂で、都鳥吉兵衛一家に斬殺されるが、この吉兵衛の都鳥は、カモメの仲間に飛翔中の他の鳥を襲撃し、エサを空中で横取りすることから盗賊カモメと呼ばれているものと同じだという。
 萩市の松本川河口では、立春から中州の乱杭に並ぶウミネコの姿が多い。シロウオ漁のおこぼれ待ちか。 (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年02月07日

戦没者の墓(山口市宮野江良)



 幕末維新の戦役に従軍した寺内正毅は、市内平川の生まれ。日清戦争(1894~95)で活躍し、日露戦争ではロシアと朝鮮の制覇を争い、朝鮮の初代総督となり、後に内閣総理大臣となる。長男寿一も陸軍大将となるが、親子の元帥は世界でも希といわれる。その墓裏に墓石が列んでおり、明治の字が見える。年代は不明だが、頭部が山形である事から戦没者の墓である事がわかる。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺