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店長情報

2003年06月27日

服部章蔵宅(山口市吉敷)



 代々学者の家系であり、憲章館の初代学頭、服部傳厳の曽孫で、嘉永元年(1848)、吉敷に生まれる。青年期には同志と共に討幕運動に参加し、四境戦争には良城隊士の司令として幕軍と戦った。維新後、上京し育英義塾の監督兼教師となるが、キリスト教を信仰。山口に光城女学院を創設し女子教育に尽力した。大正5年68歳で没する。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年06月27日

No.9 山口市議会議員 徳本孝二さん



 「小鯖地区から4年ぶりの市議を」という地元の願いを背に初当選。6月市議会では一般質問も経験した。「初めて自分の席に座った時、あらためて責任の重さを感じ、緊張したが、質問を終えると少しほっとした。自分自身もっと勉強するとともに市民の声に耳を傾け、次回はもっと良い質問をしたい」という。
 選挙戦では「誠実・対話・情熱」を掲げ、地元・小鯖はもちろんJA時代から縁のある平川地区などの農業生産者らを中心に、福祉の充実や教育・文化・スポーツの振興を呼びかけた。自身、90歳の母親を介護しており、「ここ数年、家内と2人そろって泊まりがけで出かけたことはない」と、介護する側の苦労を痛感。障害者や高齢者が安心して暮らせる福祉社会の実現を目指している。
 地区の代表として、「小鯖には、公民館・出張所と学校以外に公共施設がない」と指摘。「小鯖は山口と防府の中間にある。県央部の合併協議の中で、2市4町の皆に役立つ施設を落とし込みたい」といい、森林公園や里山、梨園や体験農園の整備など、自然や農業を生かした活性化に期待を込める。
 母親、夫人、次女夫婦、3人の孫と8人暮らし。

1943年山口市生まれ。62年防府商業高等学校卒。山口市農協平川支所長、山口中央農協小鯖支所長などを歴任。59歳。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)聞かせて

2003年06月26日

具象と抽象

 4月の末、友人が「自然の風景が描かれているので、きっと心が安らぐよ」と私を「クールベ展」に誘った。それは、「ひろしま美術館」で開かれていたので、私と友人は朝早くの新幹線で出かけた。
 クールベは、1819年生まれで1877年没。写実主義絵画を代表する画家。「クールベさんこんにちは」や「オルナンの埋葬」などで知られているが、この日展示されていた作品は風景画が多かった。感想は、退屈だった。私が都会の喧騒の中で日々を送っていたら、この風景画で安らぐことができたかもしれない。早々に会場を後にして、私達は「ひろしま美術館」の常設展に向かった。ここにはお気に入りがたくさんある。ピカソの「酒場の二人の女」、ゴッホの「ドービニーの庭」、パスキン、キスリング、ブラック…。私の心は満ちていった。私は、もはや具象の作品では心が安らがない生活を送っているのだ。作品が私を挑発し、その中を自由にさまよえる抽象で満たされる。
 反対に切実な心の傷は抽象では治らない。こんな句をどうみるか。
金にては幸福は齎(もたら)されぬといふならばその金をここに差し出し給え   安立(あんりゅう)スハル
 お金に困っている人には、まず具体のお金というものを与え、手当てをして、その上で抽象の幸福論を論じろということだ。お金を差し出さず、抽象的幸福論だけをその人にぶったとて何になろう。心配事は解決はしない。具体の後、抱きしめ語ろう。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2003年06月22日

札の辻・21

 初夏の果物のひとつにサクランボがある。桜桃と呼ぶ。時期が短く6月いっぱいで7月には姿が消える。
 サクランボは冷涼の気候を好み、成育中に雨の少ないところが適しており、主な生産地は山形県と北海道である。山形では6月になると早生種の「日の出」が出回り、「佐藤錦」「黄玉」「高砂」とつづく。本命の「ナポレオン」は6月下旬の登場となる。
 作家の太宰治は東北人らしくサクランボが大好物だった。
 彼が戦後の混乱期に愛人の山崎富栄と、玉川上水で心中したのは6月13日、ふたりの遺体が発見されたのは6日あとの19日だった。友人の作家今官一が太宰の好物から命日を桜桃忌とした。墓は三鷹市の黄檗宗禅林寺にある。
 桜桃忌には今も若い女性を含む太宰ファンが多く集まる。この墓前では無頼派と呼ばれた作家田中英光が自殺した。
 遠き日の石に刻み
     砂に影おち
 崩れ墜つ天地のまなか
     一輪の花の幻
 原爆詩人として広島の平和公園に詩碑が建つ。
 太宰治の墓のすぐ近くには森鴎外の墓もある。ただ「森林太郎」と本名が刻まれているだけなので、鴎外の墓だと気づく人は少ない。
 その鴎外の好物は「饅頭茶漬」だった。長女の森茉莉によれば、「父は変わった舌を持ったのか、饅頭を二つに割り熱い御飯の上にのせ、煎茶をかけて美味しそうにたべた。渋く甘く粋で禅味に通じるといった」と。とくに葬式饅頭を好んだというが。
(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年06月20日

二所山田神社(周南市鹿野上)



 大内盛見は堺で敗死した兄義弘の霊を弔うために瑠璃光寺五重塔を建立すると共に、鹿野上に臨済宗で京都南禅寺派別格の漢陽寺を開基する。その近くにある二所大明神は大内弘幸が開基で、山田神社は大内弘盛が建立したとの説がある。大内氏歴代の祈願所として鎮座される社は、二所大明神と山田神社が合祀され、二所山田神社となったとされる。神紋は毛利家と同じ紋で、毛利家の崇敬も厚かった。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年06月20日

No.8 山口市議会議員 有田 敦さん



 「まずは挑戦ありき」という情熱で、10年間のサラリーマン生活に別れを告げ、市議会議員選挙に立候補。35歳の若さで初当選した。「大学からずっと首都圏で生活していたので、正直、山口の細かなことを勉強するのはこれから。しかし、議員として思ったことはどんどん口に出し、市民一人ひとりの利益に結び付けたい」と力強く抱負を語る。
 活力・魅力あるまちづくりを進めるため、真っ先に取り組むべき課題と考えているのが少子化対策。初めて登壇した市議会の一般質問でも、出生率を増加させるため、子どもを多く産んだ家庭に報奨金を出す制度を早急に整備すべきだと訴えた。「子どもを産まない一番の理由は経済的な不安。そこまでわかっていて、有効な対策をいつまでも講じないのはおかしい。まずは実行することが大切。このままでは若者は少なくなる一方」と危機感をつのらせる。
 サラリーマン時代は営業をしていたこともあり、人と会って話すことが大好き。これからミニ集会などを頻繁に開き、多くの人たちの意見を聞いていきたいという。
 子どもは5歳と3歳の2人。今後の目標は「出生率アップのためにも、3人目にチャレンジしようかな」

1967年徳山市生まれ。専修大学経済学部卒業後、ストッキングのトップメーカー・アツギに入社。10年間勤め、昨年10月退社。35歳。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)聞かせて

2003年06月19日

おしゃべり

A「昨日、地区の会合があってさぁ、そこで、久し振りにTさんに会ったわ」
B「あのいつも奇麗にしているTさんね」
A「そうよ。一丁目の人。集まりは夕方の7時だったから、私なんぞは下駄履きでノーメイクで出かけたのよ。Tさん、奇麗に化粧をしてたわ。美人ね」
C「彼女何歳位なの」
D「80歳位じゃない?」
A「私、怒られちゃった」
B「何で?」
A「Tさんこう言ったの―なんですか、あなたのその格好は。きちんと化粧なさいませ。お宅の生活がしれますよ。私と夫は、今でも恋人関係でいますよ。女性は、美しく装って愛する人から愛してもらわねばなりません。あなたもだんな様と恋愛なさいませ。新妻だった時を忘れずにーって」
B・C・D「……」
D「ねぇ、夫のために化粧する?」
B「化粧はするけれど、夫のためじゃない!」
C「今日なんか、みんなに会うから、あなた達に勝ってやろうと思って、念入りに化粧してきたわよ! どう、夏用のこのメイク? 私、勝ってる?!」
A「化粧だけが全てではないと反発もあるけれど、でも、家に帰ってから自分の格好を鏡でじっくり見たら、本当に汚かった」
D「夫は同志。私は、今は物忘れのひどくなった初老の夫の秘書役までやってるから、忙しくって化粧どころではないわ」
B「今日は奇麗よ」
D「私のこの奇麗な顔を夫は見たことない、ハハ」
 私達は、顔より大きいピザをたいらげた。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2003年06月15日

札の辻・21

 96年8月、カムチャッカでの取材中、ヒグマに襲われ急逝した写真家星野道夫の作品展を、先週大阪・高島屋で観た。
 極北アラスカの自然と野生の生態を捉えたカメラは、ほのぼのと温かく心を溶かしてくれた。
 限りなく広がる雪と氷の大地を、白い北極グマの親子3匹が、縺れるように歩いている。カリブーの大集団が、束の間の陽光にきらめく氷河を一列縦隊になって渡る。無窮の大地を、誰に妨げられることなく、何千年、何万年と日月を踏みしめてきたカリブーの旅は、北の原野に伝わる永遠のドラマだと思った。
 朔風に削られ、鋭角の山容がつづく白銀の大山脈に向かい『動物も植物も雪と関わりながら、この大地の切れるような冬を生きている生きものたちは、生存のために雪に適応してきただけでなく、生存のために雪が必要であったのだ』と星野は解説を残す。
 白夜の6月には、昼と夜が交替するしじまにオオカミと対面し、ツンドラに野の花の芽吹く遅い春には、北極キツネ、白頭ワシ、シロフクロウなど被写体たちの個性が匂い、躍動の息づかいを感じさせる。
 『いつの日か自分の肉体が滅びたとき、私も好きだった場所で土に帰りたいと思う。ツンドラの植物にわずかな養分を与え、小さな花を咲かせる。そんなことを私は考えた』。当時44歳の彼は、すでに死のシャッターチャンスを探っていたのか。ヒグマに襲われたその瞬間、真っ白になった脳裏のキャンバスに、野生と人間の極限を感じたであろうか。ツンドラと命。カメラの残映が悲しいまでに美しい。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年06月13日

澤山保羅宅(山口市吉敷)



 江戸幕末に吉敷で生まれた澤山馬之進は、父と共に14歳で四境戦争に従軍。後、この地の憲章館で漢学を学び、神戸に出て宣教師D・Cグリーンに出会い聖書を知る。明治5年にアメリカに留学、使徒パウロを敬慕し名を保羅と改め、帰国後大阪で日本で最初の牧師となり、梅花女学校を設立する。34歳で没するまで澤山が伝えた愛と自給の精神は今も残る。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年06月13日

No.7 山口市議会議員 俵田祐児さん



 市議会議員と県議会議員を務めた祖父・佐さん、元市議会議員の父・颯夫さんの背中を見て育った3代目議員。元衆議院議員・吹田 氏の秘書も経験しており、32歳の最年少議員ではあるが、政治に関する知識は豊富だ。
 「議員に必要な材料はたくさん持っている。それを生かして、若者が住みたくなるような魅力あるまちづくりを進めたい」と抱負を語る。
 選挙戦で掲げたキャッチフレーズは「温故知新」。古き良き山口の伝統を継承しながらも、より活力のある暮らしやすいまちにしたいと考えている。特に、大内文化の中心であった地元・大殿地区の歴史は、まちづくりに欠かせないと確信している。
 祖父や父と同じように、目指しているのは「庶民型政治家」。「子どもの頃から地域の人には、家族と同じように育ててもらった。そういった人たちに恩返しするためにも、皆さんの声をしっかり受け止め、一人ひとりが暮らしやすいまちにしたい」と、市民の目線に立った活動を誓う。
 俳優に憧れ、高校時代から東映京都芸能に通ったユニークな経歴の持ち主でもある。「時代劇俳優だったので、今でも、テレビで時代劇を見るのが楽しみ」と話す。

1971年大殿生まれ。野田学園高校卒。東映京都芸能、国会議員秘書などを歴任。32歳。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)聞かせて