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2003年09月28日

札の辻・21

 『私は歴史小説を書いている。もともと歴史が好きなのである。歴史とは何か、と聞かれると。
  それは大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界です.と答えることにしている。』
 これは、司馬遼太郎が生前大阪市の小学6年生の教科書に書いた(21世紀に生きる君たちへ)の文章の一節である。
 彼岸前の1日、私は東大阪市にある司馬遼太郎記念館を再訪した。
 阪神タイガースの18年ぶりの優勝に湧く難波の街をあとに、近鉄奈良線で八重の里まで来ると、司馬遼太郎旧宅や記念館は、残暑と呼ばれるほど暑い秋の陽ざしを浴びながらも静寂の中にあった。クヌギ、エゴノキなどを自然風に植えた旧宅の庭には、ツユクサがコバルト色の花をつけていたが、突如、太いヤブ蚊に手足を刺される。記念館にボランティアで勤めている女性が、早速かゆみ止めの薬を塗ってくれたが、彼女らはヤブ蚊襲来を心得ている感じで手ぎわが良い。
 ここのヤブ蚊は、竜馬がゆくや菜の花の沖の作品を書きつづけた、司馬遼太郎の血も吸った蚊の末裔たちかも知れない。
 教科書の文章は、記念館の大書架の壁面に生原稿と共にかけてある。いかにすれば、子供たちに自分の思いが伝えられるか、「諸君」を「君たち」に校正するなど、原稿には未来をつくる若い世代への、期待と親しみがこめられていた。
 帰りも大窓にウロコ雲を映している書斎の前庭を抜けたのだが、風が起きてヤブ蚊はすでに消えていた。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年09月26日

百万一心の碑(山口市野田)



 久しぶりに訪ねた豊栄神社は、藩祖毛利元就公を祀る神社で、毛利敬親・元徳公を祀る野田神社と並んでいる。境内の中央に百万一心の碑を見つける。百の字は一日、万は一力とも読め、日を一にし力を一に、心を一にするという衆人協同を意味するものといわれる。

自然光だけで撮影、広角レンズ使用で碑を大きく強調する。(マミヤRB6×7 50ミリ 1/30 F11)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年09月26日

No.21 ジャザサイズサークル「スキップ」代表 正木芳美さん



 勤労青少年福祉功績者として、小郡町勤労青少年ホーム所属のジャザサイズサークル「スキップ」がこのほど、厚生労働大臣褒賞を受賞。「ジャザサイズを知らない人が、まだまだたくさんいるので、これを機に、もっと多くの人に広めていきたい」と喜びを。
 ジャザサイズとは、誰にでも簡単に出来る健康体操のこと。ジャズダンス的な要素を取り入れた有酸素運動と、筋肉トレーニングを組み合わせたもので、1時間程度のプログラムになっている。高齢者でも無理なくできる簡単なものから、心肺機能を強化するハードなものまで、目的別に四つのプログラムがある。
 「スキップ」は毎週1回、20~40代の約20人が、健康維持のため、楽しく汗を流している。ウォーミングアップの後、曲に合わせて30分程度踊り、その後脂肪を燃やすための筋肉トレーニングをして、最後にストレッチをする。 
 「同じ振りの繰り返しなので、自然に体が覚えていく。自分のペースで、年齢を問わず誰でも無理なく楽しめる。アメリカの本社から10週に1回、新しい25曲と振りのビデオが送られてくるので、飽きずに踊れるのも魅力。いつまでも笑顔を絶やさず、続けていきたい」

1972年宇部市生まれ。福岡大学卒業。2000年、ジャザサイズインストラクターの資格を取得。現在、小郡・下関・宇部でジャザサイズのレッスンをしている。31歳。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)聞かせて

2003年09月25日

猫 1

 さて、山口市の9月議会で提出された「犬・猫の飼い方やフン放置などの規制を盛り込んだ『市生活環境の保全に関する条例』」は、どうなったのでしょうか。可決されたのか、否決されたのか。市議会を傍聴したいと思っていたのですが、2週間ばかり外国に出かけていたのでわからないのです。明日にでも、友人に聞いてみたいと思います。
 新聞に掲載されていた「犬・猫の飼い方やフン放置等の規制」の記事を読んだら、苦情の大半はフン尿で敷地を汚す、ということのようです。
私は、この問題について、つらつら思うことを書いてみたいと思います。
 1.まず、私は、犬猫のことを環境問題としてはとらえていません。命の問題と考えています。私は、動物全般が好きです。彼等が幸せに生活をしているのを見ると心が和みます。それには、少々の労をいといません。今までに家に迷い込んだ猫を7匹くらい飼いました。ガーデニングはしませんし、そんなに清潔好きではないので、ノラ猫がフン尿をしたとて、迷惑ではありません。 
 2.我々は、猫に対して恩知らずではないかしら。家猫は、奈良時代後半、仏教の伝来とともに船に乗ってやってきました。船に積まれた大事な仏典や経文を守るためです。それから、日本で島国独自の進化をし、今日に至ります。絵のモデルになり、文学を支え、演劇に登場し、絵本では常連です。この間までネズミを捕らえる大切な働き手でした。今、フン尿が臭いなどというのは、恩知らずでは?  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2003年09月21日

札の辻・21

 この夏は雨が多く、どこの河川もアユの成育がいまひとつで、天然アユの賞味もあきらめていたところ、8月末から天候が回復して炎天がつづき、アユが良型になってきたと、日原のアユの宿から連絡があり、9月に入ってから早速出向いた。
 1年で一生を終えるアユは、旧盆の頃から成熟期に入り、日照時間が短くなる初秋ともなれば、産卵場所を求めて川下りをはじめる。
 早き瀬に力足らぬや  くだり鮎
 これは明治2年、箱館戦争で戦死した元新撰組の副長土方歳三の句で、江戸絵図のアユ釣り風景にもある多摩川河畔に生まれた歳三は、わが運命を落ちアユにたとえた。
 アユの真味は塩焼にある、とは京懐石“辻留”の主人辻嘉一の持論であった。
 ー大半の魚は刺身にかぎるといわれているが、アユは刺身よりも塩焼である。活きの良いアユを串に刺し、水気を拭きとり、あら塩を両面にふりかけ短時間に焼きあげる。食材を焼くという調理法は、すべて焦げ味をつけることであるーと生前「滋味風味」に書く。
 高津川のアユは、上流柿木川の左鐙から日原に至るまでのものが最上だとアユ宿の女主人、それは澱まぬ清流の瀬に点在する岩が多く、アユのエサとなる良質の苔がよく付くのでという。
 まずはウルカの付出し、刺身、大皿に盛った子持ちアユの塩焼、ナスとウルカの煮びたし、味噌焼きとつづく香魚料理に満腹する。
 帰路、太りはじめた月が県境の山なみの上にあった。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年09月19日

田園風景(山口市小鯖棯畑)



 鳴滝の上流の小盆地棯畑は、元禄12年(1699)頃まで宇津木畑村との名前で、明治時代に小鯖村と合し棯畑となったといわれる。四方を山に囲まれた原風景は、僕の心を和らげる場でもある。冷夏で稲作が心配で訪ねると、黄金色が波打ち安堵する。

夕方の撮影で自分の影が写るが、構図のポイントとしてあえて採用した。
(マミヤRB6×7 50ミリ 1/125 F11)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年09月19日

No.20 山口市交通指導員 河崎 清さん



 21日(日)から始まる秋の全国交通安全運動を前に「譲り合いの心を大切にした歩行者優先の運転を呼びかけたい」と気を引き締める。
 1968年に交通指導員になって以来、附属小学校前を振り出しに白石地区の交差点に毎朝立ち、児童生徒を守ってきた。「子どもたちが笑顔であいさつしてくれるのがうれしくて35年間続いた」という言葉が示す通り、小学生が握手やハイタッチを求めてくるほどの人気ぶりだ。
 35年間で最も感じる変化は交通マナーの低下。「マイカーもドライバーの数も増えたせいで、クルマ優先の考え方が当たり前になってしまった。通学する子どもたちの側をスピードを出して通過するクルマを見るとヒヤッとする」という。また、子どもたちがきちんとルールを守って歩いている横で、横断歩道ではない場所を渡ったり、運転しながら携帯電話を使うなど、大人の側に問題がありすぎるとも。
 「指導員になったお陰で視野が広がった」といい、自らの運転時には歩行者優先を徹底する。今年2月には、永年の貢献に対して全国表彰を受けたが、「指導員として死ねたら本望」と生涯現役宣言。

1930年山口市生まれ。47年美祢高等学校卒業。白石小の近くで文具店を営みながら市交通指導員を務める。現在は夫人と2人暮らし。73歳。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)聞かせて

2003年09月18日

宿命

 「宿命」という言葉を近頃納得しています。
 「宿命」とは、”生まれる前から定められていて、どうにもならない運命”。若い頃は、「宿命」という言葉を使って物事を処理されると、どうしても違和感があり、反発していました。しかし、人生も3/4過ぎてしまうと「宿命」という言葉に納得し、いや、それ以上にこの言葉を考え出した人々に驚嘆しています。いつの時代の誰かが、この世は神秘に満ちていて、人の一生というものは、自分の力ではどうにもならないものがあると発見したのです。誰もが生まれた時から抱えているものがあると気づいたのです。
 ちょっと大げさですが、盆に帰省した3人の友に会った時、「宿命」ということを感じました。私には中学時代3人の仲良しがいました。Kさんは、努力家で秀才。今は大手企業で役員となり東京で働いています。Mさんは、数学に秀でていて、現在自営業で経理を担当して忙しくしています。名古屋にいます。横浜在住のSさんと私は、仕事を持っていません。中学時代からなんの取り柄もない2人でしたから、当然の結果です。
 その会で「そろそろ皆で旅行したいね」とSさんと私が言いました。すると、KさんとMさんが声をそろえて「私達は定年にならないと行けない! 休めない」と叫びました。私はその時、思ったのです。優秀な人はいつまでも休めない。これも「宿命」かなと。私とSさんは、彼女等の定年まで遊んで待つことにしました。これも「宿命」?  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2003年09月14日

札の辻・21

 江分利満氏こと作家の山口瞳は、青魚の干物が好物だった。
 「私はイワシ、アジ、サバの干物が好きだ。下魚ともいわれているが、これにシラス干しを加えれば、あとは新鮮な野菜だけで充分である」と随想に書いている。
 山陰側や瀬戸内の漁港の空地に、秋天を背景にしてイカ、アジ、サヨリなどが干されている風景はこれから本番となる。
 魚の干物はアイヌの人たちの干しシシャモや塩サケのように、ずいぶん古くから工夫された保存食である。
 サケといえば、戦前の塩引鮭を思い起こす。その名のごとく腹の中から頭に至るまで、たっぷり塩を詰めたサケのエラから口へと荒縄を通し、魚屋の店頭だけでなく、乾物屋の軒先にまで吊り下げていた。また大小によって価格が異なるので、それぞれに値札がつけられた。塩引の塩辛さは格別であったが、それがまた魅力にもなっていたようだ。
 今でこそ高血圧の元凶とされ、甘塩の新巻に人気があるが、当時の小学校の運動会や遠足では弁当の主役にもなった。昨今のように木箱や贈答用ケースに収まるといった扱いではないが、全国の山村に至るまで行きわたっていた。
 三方を海に囲まれた山口県は、一夜干しをはじめとして海の干物には恵まれている。そのひとつに、でびらガレイがある。竹串に頭を貫いて10尾程度に並べた小型カレイの干物で、身が白く薄く透明感を持つ。これを包丁の背で叩いてやわらかくし、火であぶったあと醤油を2、3滴たらして食べれば、秋潮の香りが口にひろがる。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年09月12日

内海忠勝顕彰碑(山口市吉敷)



 天保14年(1843)吉敷で生まれた忠勝は、禁門の変に参陣、幕府との四境戦争では良城隊士として小瀬川に出陣し負傷する。維新後、長崎、三重、兵庫、長野、神奈川、京都、大阪と7府県の知事を歴任し、桂内閣では内務大臣となる。

天神山公園にある碑は、暗い場所にあるので、陽が当たる時間にタイミングを合わせシャッターを切る。(マミヤRB6×7 50ミリ 1/125 F16)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺