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店長情報

2003年10月31日

伊藤博文公の銅像(熊毛郡大和町)



 伊藤公資料館裏山に銅像がある。作者は河内山賢祐氏で、高田公園の井上馨公など多くの彫刻が残る。
 熊毛郡平生町出身で、大正7年山口農校卒、同15年東京芸大入学してからの苦労を思う。山頭火と共に小郡町文化資料館に常設されているが、三好正直さんと丸尾の自宅を訪ねた事を思い出す。昭和55年79歳没。

像のめりはりを出すため、あえて逆光で撮影する。(ニコンF4・F11・1/125・105ミリ)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年10月31日

No.24 「日展」陶磁部門で初入選 堀切香澄さん



 入選作品は、白いうわぐすりの表面全体に大胆なヒビが入った「鬼萩」のつぼ(40センチ×40センチ)。数年来の目標だった日展入選の知らせに「趣味が高じた結果。まだ実感がわかない」と心境を語る。
 多量の石を混ぜた鉄分の多い土を形成、素焼き後、白い釉薬をかけて焼き上げる「鬼萩」の技法にこだわっている。混ぜた石は白肌に荒々しいヒビを生み、そこに見える土色が作品に独特な風合いをかもし出すという。「ヒビの入り方は千差万別。同じものは二つと作れない」。
 陶器を見て歩くのが好きで、結婚後、テレビ局に勤める夫の取材について行っては各地の窯元を訪れた。「思いのものを作りたい」と24年ほど前、小郡町への移住を機に作陶を開始。86年の県美展で初出展作品が入選し、「どうせなら目標を持とう」と全国区の展覧会を目指して制作に励むようになった。92年には自宅を離れ、滋賀県「陶芸の森」に研修作家として半年間滞在、翌年には「香窯」を開くなど、堀切さんの趣味は留まるところを知らない。
 「おもしろいからやっているだけ。好きな事をして過ごす一日。それに勝る人生はないでしょう?」と堀切さん。
 現在は夫と二人暮し。

1938年広島県生まれ。夫の転勤で福岡県から山口市内に移り住む。80年に小郡町下郷に住居を構え作陶を開始。86年県美展初入選。県内外の展覧会で入賞を果たす。自宅そばで「香窯」を主宰。65歳。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)聞かせて

2003年10月29日

旅へ 2

 私とU子さんはA旅行社が募集していた「北京」ツアーで出発した。出発する時はそれぞれ個人単位で飛行機に乗り込んだので、人数がわからなかったが、到着してびっくり、170名の大部隊だった。それ以上に空港に中国側の出迎えの人達が多く、その上、花束やパンダの人形を全員貰った。夕食には、大臣の次クラスの人達が居並び、長い歓迎の挨拶を繰り返した。「国賓みたいね」と笑った。翌日、ガイドさんが一枚の新聞を見せてくれた。なんということ、一面に私達の顔がのっているではないか。見出しに”ビザ免除後初の大型旅行団”と書いてあるという。昨日からの歓迎はこういうことだったのかと納得した。国賓ではなかった!
 私達2人だけでU子さんの希望の「胡同」を輪タクで回った。「胡同」は、北京の古い家屋の並ぶ路地で、人々の150年にわたる生活の場だ。この町が、08年北京で行われるオリンピック開催のため取り壊される。ガイドは、町の改造だと言い放った。
 一軒の中流家庭を訪問した。伝統的な家屋「四合院」(昔は一家族用)の中の一角に夫婦と娘で住んでいる。屋根の上には、シャワー用の温水を得るためのドラム缶が上げてあった。部屋は、6畳くらいの石床の部屋が三つと台所。冬になると家中を1日1個の練炭でまかなえるスチームが各部屋に通っていた。45歳の主婦の自慢は、自宅にトイレがあること。普通は公衆トイレを使う。彼女の一番の希望は、今年娘が大学に合格することだと言う。私達は、消えていく古い町に輪タクから敬礼した。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2003年10月26日

札の辻・21

 つくる、みる、ささえる、の創造的調和をはかるという今年度の県美展を最終日に見学した。
 ひとわたり作品を見て感じたことは、島根県の小倉清さんの「竹野点筒」と山口市高杉紀美子さんの「タイムカプセル」の2作品には、古代人の生活文化の匂いといったものが感じられたことである。どちらも原始的色彩が現代感覚に溶け込んでおり、とくに小倉さんの竹の素材を陶器に近いまでに変化させた手法は見事だった。
 おもしろかったのは、小郡町山科君代さんの「子沢山」と「みのり」。キノコとザクロをモチーフにし、野生の躍動感がデッサンと色彩に溢れていた。
 また下関市・山下進一郎さんの「くわがた」も印象的だった。大キャンバスいっぱいに描かれた落葉、その中にひそむクワガタやカブトムシなどの昆虫、落葉のいろどりと虫のかたちに季節感が漂う。
 佳作の山口市・片山雄一さんの「Organic cycle」は濃く赤い色を組み合わせた構図がすばらしかった。展示場でひときわ目立った存在と思った。
 優秀賞5点のうちでは下関市・瀧石菊乃さんの「温身 ″The Boundary
of a Contradiction゛に見応えがあった。黒という色のもつ深さが、動く鯉の位置により、変化して伝わってくる。思索的な雰囲気を持つ作品だと思う。
 大賞「ワタシのかぞく」は家族それぞれの顔が障子の桟からこぼれてきて微笑ましい。
 美術館を出ると、色づいたケヤキ並木には乾いた風があった。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年10月24日

名水龍の涙(山口市小鯖棯畑)



 市内の三名水といわれる場は、道場門前の藤の下水、中央3丁目のおぼろの清水、法泉寺にある柳の水は現在もお茶、コーヒー用として汲みに来る人は多い。名水龍の涙といわれる水は龍登岳からであり、小鯖地区での茶会でもこの水が使われるという。この水で水割りを飲むが柔らかな感触であった。

後方のコスモスが気になり、水が出ている場が目立たなかった事が失敗であった。(マミヤRZ6×7 110ミリ 1/125 F11)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年10月19日

札の辻・21

 ソウルの南西、京畿道の南羅里にある韓国民俗村を散策した。数年前に訪れたとき、広大な園内の樹々は芽吹きの早春を迎えていたが、今回は秋、ケヤキの紅葉と路傍の野菊が季節を彩る。
 30余万坪に及ぶ自然景観の中に、朝鮮半島を北
・中・南と区分し、各地からの民家約260戸をあつめて朝鮮時代の生活様式を再現している。それは木棉・絹の機織りの仕事場をもつ大・中・小の農家から水車小屋までが、雑木林に囲まれた空地に点在し、家の軒先にはトウモロコシの束を吊し、庭にはトウガラシをムシロいっぱいに干している。鍛冶屋があり、竹細工屋もある。
 やがてキムチとなる白菜や大根が良くできた畑の道を歩くと、戦前、日本の農村にあった原風景が重なってくる。
 中国でも四川省あたりの農家では、放し飼いのニワトリが遊び、藁小屋から牛や豚の声がするという光景があった。
 ユーラシア大陸から日本列島にまで伝来した農耕文化の、歴史的な足音が聞こえてくる気分だ。
 伝統式結婚式場をもつ両班屋敷の庭園で、カササギに会う、翼は金属光沢のある黒色で腹部が白く尾が長い。なれているのか数羽が飛来しカシャカシャと鳴く。日本では佐賀県の県鳥で筑紫平野にしか棲息しない。
 前日、公州市の百済文化祭を見た。飛行雲のよぎる秋空のもとで行われたパレードに、「農者国之大本」と染める大のぼりを掲げた韓国農民グループの根源を、民俗村に識る思いであった。
 アジアは一つなり  岡倉天心の茶の本のことばを、世紀が綴ってゆく。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年10月17日

木造阿弥陀如来座像(山口市仁保源久寺)



 藤原時代作の像は、鎌倉から平子重経が移入したものといわれる。源頼朝に仕え、山口市内をほぼ囲む仁保、大内、平川の一部を賜った重経は、建久8(1197)年仁保の地に居館を定めた人物である。像の金箔は傷んでいるが、刳り貫かれた内部は製作当時の光を放っていた。

県指定有形文化財である像を、影が出ないように上部、左右からストロボで照明した。(マミヤRZ6×7 180ミリ 1/125 F22)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年10月17日

No.23 「第1回危険業務従事者叙勲」受章者 伊坂悌二さん



 春秋の叙勲とは別に、今秋から新たに設けられた「危険業務従事者叙勲」を受章。市消防本部に38年余り勤めた伊坂さんは、地域に密着した火災予防活動や果敢な消火活動など、長年にわたる消防業務の功績を評価された。受章の朗報に「まさか私とは。消防の仕事は共同作業。仲間の代表として頂戴します」と謙虚に語る。
 敗戦色が強まった1943年、国のため、親兄弟を守るためにと、自ら志願して甲種飛行予科練習生となった。終戦後、叔父の勧めで消防士に。常に危険と背中合わせの大変な仕事だったが、市民の生命、身体、財産を守る職務に大きなやりがいを感じ、日夜消防業務に明け暮れた。「当時は布製の刺し子をまとい、戸板で火を防ぎながら消火にあたった。電話も普及していなかったので、消防士は「火の見やぐら」に1時間交替で上り、24時間態勢で街の見張りをしたものだ」。
 長年現場で消火にあたりながら、積極的に地域に出向いて防火教室を開くなど、予防活動にも力を入れた。これまでの消防士人生を振り返りながら、「やるべきことをやっただけ」と伊坂さん。
 大内御堀で妻と息子夫婦、二人の孫と6人暮らし。

1927年山口市生まれ。43年に旧制山口中学を中退し、甲種飛行予科練習生として鹿児島へ。49年から山口市消防本部に勤務。85年から消防司令を務め、88年に退職。76歳。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)聞かせて

2003年10月15日

詩 14



 結婚すれば、日常生活が待っています。

 くらし   石垣りん
 食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた

四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣のなみだ 「家庭の詩」より

 台所で涙する女は多いことだと私は思います。台所は、野菜を刻みながら哲学する所です。哲学すれば涙はでてきます。

 家庭  室生犀星

 家庭をまもれ
悲しいが楽しんでゆけ
それなりで凝固ってゆがんだら
ゆがんだなりの美しい実になろう
家庭をまもれ
百年の後もみんな同じ諦めきれないことだらけだ
悲しんでいながらまもれ
家庭を脱けるな
ひからびた家庭にも返り花の時があろう
どうぞこれだけはまもれ
この苦しみを守ってしまったら
笑いごとだらけになろう   「家庭の詩」より

 彼女は詩集「家庭の詩」を編んだ時、後書きにこう書いています。「家庭が幸せに満ちたところだなどとは、ひとこともいっていない。始めから終わりまでどうしようもなく悲しいのが”家庭”で、それをまもれ、脱けるな、この苦しみを守ってしまったら、笑いごとだらけになろう、という。自分に向かって励ましているのだと思います。そのことが読者自身への励ましとして作用します」
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2003年10月15日

旅へ 1

 友人のU子さんが、体調がすぐれない毎日が続くので健康診査を受けた。すると、胃に腫瘍がみつかった。2日入院して精密検査をした結果、経過観察ということになった。無罪放免ではない。55歳の彼女は、2年前に夫を大腸ガンで亡くしたばかりだった。
 U子さんが、夫を亡くして思う一番の後悔は、二人で旅行に行かなかったことだという。自営業だったので、二人して出かけると店を閉めなくてはいけない。いつかきっと、二人で出かけようとパンフレットを集め、眺めては話していた。亡くなった夫の一番行きたかったのは歴史のある中国。中でも北京。宇宙からも見えるという万里の長城を歩きたいということだった。
 腫瘍が見つかった瞬間、U子さんは私に電話してきた。「北京に行こうよ」。私は、すぐにその話に乗った。誘われた時、列車や飛行機に乗ってビューンと知らない町に行ってみたかった。私とU子さんは同じ年だ。
 北京のパンフレットを見ながらU子さんが、「福岡からなら2時間ちょっとなのに…どうして彼が生きている時、思い切らなかったのかしら」と天を仰いだ。それから、彼女が「万里の長城と胡同(フートン)に行こう」と言った。「フートン?」。「ガイドブックに2年後には消えてしまう町と書いてあるわ。消えてしまうものは見ておかないと後悔するわ。2度と会えないから」
 私達は、小振りのボストンバックに荷物を詰めて3泊4日の旅に出発した。もちろんU子さんは、夫の写真を胸のペンダントにしのばせて。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目