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店長情報

2003年12月28日

札の辻・21

 2003年が緞帳を下ろそうとしている。
 1年をふり返って、あわただしかったのは11月下旬、高知から博多への移動だった。
 高知ではあるテレビ系列の近畿、中国、四国3地区の合同番組審議会だった。会議のあと、友人とふたりで町へ出た。はりまや橋も電車道も時雨に濡れて南国の初冬は寒かった。テレビ高知に紹介された小ていな居酒屋で、ニンニクたっぷりのカツオのたたきとドロメで地酒土佐鶴を呑む。ドロメはウルメイワシとカタクチイワシの稚魚で晩秋から初冬にかけて獲れたものを生のまま洗い、酢ミソにおろしショウガを入れて食べる。ホテルに帰るとまだ土佐のイゴッソウたちは酒と談論風発の真っ最中だった。
 翌朝、9時高知駅発の土讃線の特急に乗る。大歩危・小歩危の峡谷は紅葉を川霧の中に沈めていたが、はるかな山頂付近にある集落は朝陽を浴びて、平家落人部落の伝承を教えてくれる。
 瀬戸大橋を渡って岡山駅到着11時半、直ちに新幹線に乗り換えて博多到着午後2時半、1年をしめくくる大相撲九州場所13日目に向かう。
 博多湾の潮風にはためく力士幟の下で、見物に来たおばちゃんたちが、「あれ見んしゃい。魁皇が来よるばい」と話す九州弁がほほえましい。
 協会広報部役員室で放駒親方(元大関魁傑)に会う。相変わらず人なつっこい笑顔で話しかける。
 相撲は魁皇が朝赤龍に勝ち館内の郷土ファンが総立ちになった。
 羊年が暮れる。「羊群声なく牧舎に帰えり」北の大地に流れた寮歌の一節をしのび、大根煮しめで湯割焼酎を飲む。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年12月26日

赤田神社(山口市吉敷)



 周防五の宮のうち3神社が山口市に実在する。宮野の仁壁神社を三の宮、吉敷赤田神社を四の宮、大歳の朝田神社を五の宮と創建順に呼ぶ。周防一の宮は防府の玉祖神社、二の宮は徳地町の出雲神社であり、新春の5社詣でもいいと思う。

吉敷八景の一つである岩屋の絶壁が、シルエットになった時の撮影は成功だと思う。(マミヤRZ6×7 50ミリ  F16 1/125)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年12月24日

今年一年ありがとうございました

 今年もいよいよ最後のおんなの目となりました。太陽が昇り沈み、また昇るということの連続で、新しい年といっても変わったことではないと思いたいのですが、やはり、年の暮れとなると空気がギュっと引き締まってくるような気がします。1年の終わりの12月というのは、ましてや押し迫ったこの頃になると、この1年の反省、自分自身への問いが激しくなってきます。だらしなく、流れるままに身を処してきたことが悔やまれます。なんだか1年無駄に過ごした気がして仕方ありません。でも、生来ののんき者の私は、どこからか「おめでとう」という声が聞こえてきだすと、身体に新鮮な新しい年の空気が入ってきて、希望に膨らむのです。
 来年の干支は、十二支の9番目の申。サルの可愛い置物があれば求めようとデパートに行きました。顔や姿が様々に工夫されたサルが並んでいました。中で一番多かったのは、見ざる、聞かざる、言わざるの三ザルでした。何故、見ないで、聞かないで、言わないのか、それが処世術というものなのでしょうか。今は、見て、聞いて、発言してではないかと思い買わずに帰りました。雑誌をめくっていましたら、日光東照宮に彫られている三ザルは「子供の時は、世の中の悪いことを見聞きさせず、悪い言葉も使わせず、良いものだけを与えよという意味がこめられています」と書いてありました。納得です。来年早々買いましょう。
 皆様、今年1年ご愛読くださいましてありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2003年12月21日

札の辻・21

 めずらしい「おでん屋」の開店記念パーティーが市内のホテルで開かれたので出席した。
 新馬場にあるこの店は昭和23年に開店し、55周年になることから常連約80名が集まり、思い出ばなしに盛りあがった。
 おでんはもともと味噌田楽のことで、平安時代に流行した舞踊の田楽に由来するらしい。その舞いの姿が豆腐に串を通した形に似ていることから、豆腐の味噌焼きを田楽と呼ぶようになった。のちに豆腐だけでなく、コンニャクも串刺しに味噌をつけるようになる。
 現在のように「煮込みおでん」になったのは江戸時代で、醤油仕立てではなく味噌仕立てだった。明治になってからコンニャク、はんペン、里芋、豆腐を醤油味のダシで煮込んで「おでん」と呼び、または「関東だき」とも言った。
 東京千代田区の平河天神前にあるおでん屋「稲垣」では、今でも醤油、味噌、塩と3種類のダシに鍋を分けて煮込んでいる。
 関西では昭和30年頃までは味噌おでんで、関東風のおでんになったのは東海道新幹線が開通してからで、サエズリ(鯨の舌)、コロ(鯨の皮下脂肪)、牛スジも煮込む。
 池波正太郎は子供の頃味噌おでんのコンニャクが好きで、母に「コンニャクは何でできてるの」と聞いたら「消しゴムからできるのさ」と母は答えたと食味随想に書く。
 醤油でも味噌でも、おでんネタでうまいのは大根だと思うし、新馬場ではレンコンに人気がある。江戸の昔からおでん屋は庶民のたまり場であって人情が通った。
 鍋に立つ湯気の向こうに旧知の顔が浮かぶ。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年12月19日

キリシタン殉教碑(萩市堀内)



 明治3年、政府はキリスト教弾圧政策で、長崎の浦上村全信徒3800人を全国各地に流刑した。うち300人が萩に流され、改宗の3年間の拷問と飢えのため40余名が殉教を遂げた。これは、信徒が幽閉された岩国屋敷跡にビリヨン神父が「奉敬致死之信士於天主之尊前」と刻んだ碑文である。

碑の回りにある墓石に肥前国浦上村百姓と名が残り悲しいが、文字が写せなかった事が残念である。(ニコンF4 28ミリ F4 1/30)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年12月19日

No.28 県児童センター館長 山田泰久さん



 PTA広報紙づくり研修会の講師を24年間にわたって務め、県PTA連合会から感謝状を受けた。
 「PTA新聞はPTAの活動を主体に」が持論。研修会には、いじめや総合学習など、その時々に応じた特集テーマなど、様々な資料をいくつも用意してのぞみ、1校1校にていねいなアドバイスを送る。24年間に4度、全国コンクールで山口県代表が日本一に輝いた。編集に携わる親たちの苦労を知り尽くしている立場から「広報紙コンクールには県内から200校、全国から7千校の応募がある。その中の1位だから高校野球より競争率が高い。優勝パレードをしてもいいくらいだ」と笑う。
 研修会で繰り返し訴えたのは、原稿を依頼するのではなく自分たちで取材すること。「交通安全など、自分の体験をもとに書いた記事でなければ、共感を得られない」と強調する。またアンケートなど、親子や親同士に話題を提供できる広報紙づくりにも力を注ぐ。「良い広報紙を作るためには結局、良いPTA活動がなければならない。また、総会などに出席できない人にとっては、広報紙が唯一の情報源。押しつけではなく、本当にやりたい人が集まってワイワイ作るのがなにより大切」

1934年由宇町生まれ。57年山口大教育学部卒。山口高校教諭、県広報課広報監、県教育長文化課長、県立博物館長などを歴任。94年から県児童センター館長。69歳。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)聞かせて

2003年12月17日

おりあい

 今年もいよいよ残り少なくなりました。街には、クリスマス用品と、お正月を迎えるための品々が、華やかに売り出されています。本当にいわれているように不景気なのかと、疑ってしまうほどです。道行く人達の服装も小奇麗で、温かそうで、笑いあって楽しげです。
 私が今年一番頭の中に浮かばせた言葉は、「おりあい」です。「おりあい」とは、辞書には「妥協」と記してあります。私は、もう少し柔らかく「歩み寄り」ぐらいに考えています。
 「おんなの目」を書いている今もドンドンという家を壊す音が響いてきます。我が家の数メートル横に新しい道路ができるのです。そのために家が7、8軒立ち退きしなければならないのです。去年あたりから1軒また1軒と移転され、主がいなくなるとすぐに大きなクレーン車が来て、地から響くような音をたてて家を壊していきます。5年位しか経っていない立派な日本家屋や白い洋館もあります。田んぼも道路となります。
 この辺で生活の便利さと破壊との「おりあい」をつけなければいけないのではないでしょうか。我家の周りは、国道に市道、私道と縦横に巡らされています。朝夕は少し交通量が多くなりますが、日中は、空いています。これでも不便なのでしょうか。道路だけではありません。もうこのあたりで「おりあい」をつけて、ある範囲の中でそれぞれが工夫して、自己実現を果たしていかねばならないような気がします。私は来年も「おりあい」という言葉を考えつづけて暮らしていくでしょう。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2003年12月14日

札の辻・21

 馬齢を重ねると月日のたつのが早い。すでに師走である。その12月上旬に同い年の者が集まるゴルフコンペを湯田のゴルフ場でした。28(昭和3)年生まれが中心で春秋4回プレイをするが、陸士や海兵出身者もいてみんな元気である。
 この日は12月にしては暖かく、冬晴れを背景に鳳翩山が切り絵のように聳え、コース脇のアメリカフウの紅葉が見事だった。スコアはともかく、いつも昼食のひとときがたのしい。
 どこのゴルフ場でも自慢の味があり、「おでん」や「タイ茶漬」などいろいろで、湯田のゴルフ場では萩沖の瀬付アジの塩焼きに人気がある。
 生ビールでそのアジを食べていると、パートナーの友人が、アジを茶漬にするとうまいという。まず生干しのアジを焼いて身をほぐし、熱い御飯に乗せた上に、大きめの梅干しをひとつ、これに茶をかけると、風味のある茶漬ができると。
 もうひとりは、シラス干しより大きい「かえり」をひとつかみと、ねりワサビを御飯に置き、上から生醤油をたらして茶漬にすればいけると話す。齢のせいか茶漬談議がしばらくつづいた。
 食事苑によると、平安の貴族は夏に「水飯」と名付けて水漬を食することが多く、鎌倉時代から戦国末期にかけては湯漬が武士階級の常食であったとのこと。
 江戸中期になると茶漬屋が登場するようになり、鯛茶漬、天ぷら茶漬、鰻茶漬、海苔茶漬などの料理茶漬が工夫された。
 茶漬といえば、戦後の間もない頃、小津安二郎監督による松竹大船の映画「お茶漬の味」がある。なつかしい。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2003年12月12日

野辺の石仏(山口市吉敷)



 中尾の地を訪ねる。何度も通った道沿いに初めて目にする馬頭観音は、自然石に彫られたものであり、江戸時代から馬の保護神として広く信仰され、牛馬を大事にし旅人の安全(現在の交通安全)を祈願したものと思う。

農村風景が残る場を後方に配し、奥行のある写真にした。半逆光で像の表情が出たと思う。(マミヤRB6×7 110ミリ F11 1/125)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2003年12月10日

もう一つの話 2

 愛新覚羅氏は、友人の所望した”行雲流水”を瞬間に墨跡鮮やかに書いてくれた。墨のかすれも魅力的で、心落ち着く温かい文字だ。皇帝のみが使用できるという五つの爪を持つ龍の印と、満州文字の印やらなにやら五つ押して一幅が完成した。その書を掲げて、彼と写真におさまった。私達は、皇帝の末裔の波乱の人生(愛新覚羅という言葉には、そういうイメージがある)を思って深く頭を下げて帰った。
 愛新覚羅・毓鶴さんに書いてもらった軸を友人は、誰彼となく自慢しながら見せて歩いた。すると中国通のWさんが、「そりゃ偽者よ。私が故宮に行った時も、日本語を流暢にしゃべる中国人の男にその部屋に連れて行かれた。その時も愛新覚羅と呼ばれる人が字を書いていたよ。お茶が出たでしょう」と言った。友人は、渋い顔でうなずいた。
 中国は、奥深い国なので、何が起こっても、どんなことがあっても不思議ではない。愛新覚羅の末裔が、ラストエンペラーの血を引く人が、戦後生まれの私と目を合わせることがあったとしても不思議ではない。もしかしてその人が愛新覚羅一族とかかわりのない人でも不思議ではない。中国は面白い国なのである。
 友人と軸を眺める度に、いい字だなぁと、毎度引き込まれる。温かいと思っていた字が見る日によって、私の頬を打つほど力強いこともある。
 私は今、”満州帝国の誕生・皇帝溥儀と関東軍”という本を読んでいる。本の中にある皇帝溥儀の写真が、故宮の執務室で筆を持つ彼と似ていた。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目