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店長情報

2004年07月31日

No.42  山口税務署長 竹本利郎さん



 92年から95年まで広報専門官を務めて以来、14年ぶりの山口勤務。「初めての署長を、思い出深い山口で経験できることがうれしい」と喜ぶ。
 着任時、職員に納税者の視点に立った税務行政について訓示。専門用語を並べ立てず、できるだけ平易な言葉で分かりやすい説明を求めた。同時に「問題を先送りにせず、信頼される税務署に」という目標も掲げた。「例えば、内部では一生懸命やっていても、待たされる側はイライラしてしまう。すぐに結論が出ないことは『もう少し検討させて下さい』とはっきり伝えるなど、納税者に不安や不満を感じさせない気配りが必要。もちろん、じん速な対応が前提」といい、自身が考えた”速断速行”がモットーだ。
 週末には郷里で野菜をつくる生活を、10年以上続けている。「気がかりなことがあると農作業も手に付かないし、仕事自体の効率も悪くなる」と話し、速断速行は仕事とプライベートのメリハリをつけるための工夫でもあるという。できるだけ翌日に仕事を持ち越さないようにとの配慮から、部下に仕事を依頼する場合は「午前中に」と決めている。
 夫人と3人の娘、孫を広島市内に残し、4年ぶりの単身赴任中。

1949年広島県安芸高田市吉田町生まれ。73年広島大学政経学部二部卒。67年に税務職員になり、広島国税局広報専門官、岡山東税務署副所長、広島国税局人事第二課長などを歴任。今月から現職。55歳。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)聞かせて

2004年07月31日

十朋亭、きょうから公開



 大殿大路の市史跡「十朋亭」が、きょう31日から12月27日(月)まで暫定公開される。火曜日を除く午前9時から午後4時までで、入場無料。十朋亭は、幕末に藩庁が萩から山口に移った際、維新の志士の活動を支えた場所。今回はNHK大河ドラマ「新選組!」に合わせた一時公開で、志士が残した書なども写真パネルにして展示される。

 十朋亭は江戸中期(1800年頃)に、しょうゆの醸造業を営んでいた山口の旧家・萬代家の離れとして建てられた。亭名は、江戸時代の儒学者・篠崎小竹が命名。萬代家は勤皇志士の活動を支援したため、長州藩が萩から山口に政庁を移した1863年以降、藩指定の仮宿として周布政之助、桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、久坂玄瑞、山縣有朋ら多くの志士が起居、ここで国事を談じた。
 また萬代家は、奇兵隊を創設し明治維新の幕開けに大きな役割を果たした高杉晋作を十朋亭にかくまい逃したと伝えられる。さらに、元治元(1864)年の馬関戦争の際に、イギリス留学中の伊藤博文と井上馨が帰国して藩主に戦争をやめるよう具申した時にも、この十朋亭でいったん衣服を整えてから藩庁に出頭したという史実も残っている。
 市の文化財でありながら個人が所有していた十朋亭は、96年からの秋の催し「アートふる山口」でのみ開放されてきたが、昨年11月に9代目当主・一平氏(東京都在住)が、掛軸や書簡などとともに市に寄贈。十朋亭保存にかかわる市民グループから「(暫定的でも)ドラマ放映に合わせた公開が観光客誘致のためにも望ましい」との声が上がったため、今年度800万円を計上して整備を進めていた。今回は、全敷地(385・2平方メートル)の半分程度が公開される。
 公開後の利活用は、大内氏館跡などの歴史・文化遺産が集中する大殿地区を中心とした整備事業「大内文化まちづくり」を進める庁内組織・大内文化まちづくり推進会議を中心に検討。全体計画が固まれば、来年度にも本格公開に向けた整備に着手することにしている。
 一方、費用の8割を国が、1割を県が負担して天花に移築が完了した「菜香亭」の跡地では、来年度から大内氏遺跡発掘・保存整備が始まる。発掘資料などを展示する「(仮称)大内文化歴史館」も菜香亭隣に建設される予定。なお、きょう31日午後1時から9時までは菜香亭も一般公開。午後1時、5時、8時からの3回、市職員による簡単な説明が行われる。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年07月30日

大内氏館跡発掘の場(山口市大殿大路)



 南北朝から室町時代に守護大名として活躍した大内氏の館跡は、まわりを空堀と土塁で囲った約8000坪の広大な土地。朝鮮王朝陶磁のの(陶磁製の枕)や白磁の(左右に耳状の把手がある杯)などが出土、朝鮮王朝と大内氏の交流が密接であった事が垣間見える。78年から始められた発掘作業は現在も続く。

大変な苦労を伴う炎天下での作業を撮影する。(ニコンF4 28ミリ F11 1/125秒)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2004年07月30日

”地劇”で一人芝居



 光市出身で、東京在住の俳優増野亜土さん(35)が、一人芝居「入るなの座敷」(ほっとけないコミュニケーションズ主催、山口市など後援)をあす31日から8月8日(日)まで、道場門前の起業シティ・レッツ(どうもんビル4階)で上演する。増野さんは地域の言葉や文化、人を盛り込んだ地酒のような劇”地劇”に取り組んでおり、「小規模だが、キラリと光る味のある公演にしたい」と張り切っている。
 増野さんは東京の大学在学中に演劇を始め、90年から劇団「未踏」に在籍。俳優として全国各地の劇場や文化ホールなどを巡り、年間100を超える舞台をこなしてきた。
 そうした中、「演劇を含め、全てが東京中心になり、地方は個性を失いつつある。生活に根ざした文化芸能を地域から発信したい」と02年に劇団を退団し、仲間と演劇の企画団体「ほっとけないコミュニケーションズ」を設立。昨年11月には出身地の光市で、使われなくなった酒蔵を会場に戦前の嫁ととの確執をユーモラスに描いた「周防の女たち」(島利栄子さん原作)の一人芝居に初挑戦。地域にこだわった”地劇”と銘打ち、舞台セットや照明、音響など全て地元の人たちの協力で進め、3日間の公演で300人以上の観客を動員した。
 今回、起業シティ・レッツを会場に選んだのは、閉店した商業施設を利用して、行政・大学・若者が協力して地域活性化に取り組んでいるという新聞記事を読み、共感したから。上演作は周南市の向谷喜久江さんがまとめた証言集「よばいのあったころ」を基にした。
 今はなき習俗「夜ばい」と「若衆宿」に視点を当てたもので、昭和初期からタイムスリップしてきた一人の男が、夜ばいの真の意味や決まり事、若衆宿で学ぶ事など、山口弁を交えユーモアたっぷりに伝えていく。「昔、若い男達は若衆宿で大人になるための様々なルールを目上の人から習った。夜ばいもその一つ。人と人との関わりが希薄になった今、この二つの俗習を通じて学ぶことはたくさんあると思う」と増野さんは話す。
 山口でも増野さんの協力者が現れた。舞台作りを、レッツで手作り品などの店を出す佐藤誠一さんや中野光次郎さんらが引き受けた。また、県立大学のダンス部(20人)は、萩市見島の盆踊りのシーンで踊り子として出演する。踊りを忠実に再現するために見島まで赴き、振り付けと衣装を研究した同部の丸山陽子部長は「地域に根ざした地劇の趣旨と増野さんの熱意に心を打たれた。セリフはないが、部員一同、張り切って練習に取り組んでいる」という。
 公演時間は8月2日(月)~5日(木)が午後6時半で、それ以外の日は午後2時半から。入場料は2500円。詳しくは、ほっとけないコミュニケーションズ山口事務所(TEL083-921-5312)。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年07月28日

「大殿春秋」50号発行



「大殿春秋」50号発行
 大殿地区の活性化を目的に活動している「大殿春秋会」はこのほど、20年間続く会報「大殿春秋」の50号を発行した。
 同会は1978年に発足し、現在の会員数は地区内の自営業者ら44人。83年から、会報を年に2~3回作成し、同地区の約4千世帯に無料配布している。会の活動PRが主な目的だが、内容は活動報告に加え、地区内のニュースや行事、歴史的建造物の紹介等も。
 50号では発足当初からの会員6人の思いを紹介。また、会員の田嶋秀男さんによる創刊時からの挿絵15点を掲載した。
 広報部会長の三隅美奈子さんは「今年度中にはホームページを立ち上げるので、地区外の人にも見てもらいたい」といい、会長の堀博之さんは、「よくここまで続けられたと思う。この会報が、地区民にとって大切な情報源になるよう、これからも頑張っていきたい」と話している。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年07月25日

山口駅に駅弁復活



 明治維新発祥の地・山口をPRする駅弁「薩長同盟弁当」が17日、JR山口駅で新発売された。大内御堀の弁当・仕出し業者「すぎの子」が史実をヒントに開発したもので、鹿児島産の豚肉と山口産の鶏肉を使用している。国鉄からJRになって以来、同駅で駅弁が販売されるのは初めてということもあり、初日には目標の2倍を売り上げる好評ぶりで、まずは順調な滑り出しを見せた。

 JR山口駅では、国鉄時代に津和野の駅弁を入荷し販売していた時期もあったが、20年ほど前に取り扱いを終了。地元山口産の駅弁もなく、観光客や駅利用者から「どうして県庁所在地なのに駅弁がないのか」「山口の駅弁を食べようと楽しみにしていたのに…」という声が聞かれていた。このままではいけないと、同駅売店を運営する下関駅名店街は、取り引きのあるすぎの子の宮崎忍常務(42)に相談。今年4月、駅弁開発がスタートした。
 宮崎常務がテーマに選んだのは”維新”。山口には全国に名の通った食材が少なく、県外から来た人に食材でアピールすることは難しい。歴史をテーマにした駅弁は、そのための苦肉の策だったという。「幕末、山口には高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)、西郷隆盛、大久保利通らが集い、維新発祥の地にもなった。これを前面に出した駅弁ならインパクトがあると思った」と宮崎常務は振り返る。
 そして、数ある維新の史実の中から、土佐藩坂本龍馬らの仲介で、それまで対立していた薩摩藩と長州藩が手を結び、倒幕を進める原動力となった「薩長同盟」(1866年)を弁当名にすることを4月下旬に決定した。
 その史実を基にメニューを考えていったが、価格、ボリューム、食材調達、保存などの壁にぶつかり、試行錯誤の繰り返し。山口駅長らの意見も取り入れ、発売日3日前にようやく、鹿児島産豚肉を使った和風トンカツと、長州鶏のクワ焼きの二つをメーンのおかずにし、その間を取り持つようにタケノコとカツオ節の土佐煮を盛り付けた「薩長同盟弁当」が完成。包装紙には薩長同盟の説明書きと、桂小五郎、西郷隆盛、坂本龍馬のイラストを添えた。
 価格は840円(税込)で、土・日・祝日だけの限定販売。「観光客の乗り降りが少ない山口駅で本当に売れるのか」(宮崎常務)という不安もあったが、発売初日には目標の2倍の120個を完売した。同駅売店に勤めて30年の岩本幹枝さんも「物珍しさもあったかもしれないが、驚くぐらい反応が良かった。観光に訪れた人たちも喜んでくれている」とうれしそうに話す。
 宮崎常務は「県外の人たちに山口の魅力を駅弁を通じて伝えたかった。いろいろ苦労もあったが、まずは上々の滑り出しでホッとしている」と安堵(あん ど)の表情を浮かべる一方、「今回の駅弁はボリュームがあり、どちらかというと男性向き。第2弾として、年配者や女性をターゲットにした『大内の殿むすび・姫ちらし』(仮称)を年内に販売したい」と次なる商品開発に意欲を見せている。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年07月25日

札の辻・21

 先日、地元のテレビ局が光市の室積漁港からハモ料理を全国に中継していた。
 ハモは瀬戸内海から九州にかけて暖海性の海域に生息する。ウナギよりも大きく体長は2㍍にも達し、鋭い歯をもち噛みつきやすく活力のある魚で、好んでカニ、イカ、タコ、エビ、貝類などを捕食し、どう猛な顔つきをしている。生命力が旺盛なので、江戸時代には大阪湾で獲れたハモが内陸部の京都まで52㌔の道を運ばれて料理されるようになった。
 ハモは小骨が多く「ハモの骨切り」と呼ばれるほどで、特別な骨切り包丁で3.8㌢(一寸)の身に24もの刃筋を入れる料理人もあるとか。室積漁協の婦人も見事な包丁さばきを見せていた。
 昔から京都の祇園祭にはアユと並んでハモが夏料理の主役だが、大阪でも愛染祭、住吉祭など梅雨あけに集中する祭りには、梅雨ハモといわれるシュンのハモとタコが庶民の味として喜ばれる。
 読売新聞の編集局長をした作家上司小剣(かみ つかさ しょう けん)に、有名な「鱧(ハモ)の皮」という小説がある。大阪の仕出し料理屋を舞台にしたもので、家出した道楽亭主からの手紙に『鱧の皮を細う切って二杯酢にして、ひと晩漬けておくと温飯(ぬく めし)にのせて、ちょっといけるさかいな』とあって本妻の心がゆれる。
 周防灘のハモにも人気があり、山口県から東京・大阪の市場へも送られている。山口市内の料理店では今の時期どこでもハモ料理が食べられる。照焼、湯引き、洗い、ハモちりと多彩だ。
 湯田には水槽に活(い)かしてハモを料理する店もある。ハモは硬直すると骨切りをこばむ。 (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2004年07月24日

近い学校に通学OK



 山口市立小学校及び中学校通学区域審議会(中川亮介委員長)の2回目の会合が21日、市防災センターで開かれた。現行の通学区域の定めでは、隣りの学区にある学校の方が距離が近いというケースも生じていることから、こうした地域では修学する学校の選択を可能にするなどの見直し案について審議。前回挙げられた課題を整理し、答申の方向性について意見のすりあわせを行った。次回、市教育委員会に提出する答申案をまとめる予定。

 現在の市立小・中学校の通学区域は、町単位で指定されており、区域外の学校への就学は、1.指導監督上 2.身体の障害、虚弱等によって指定校への通学が困難 3.保護者が他の学区へ転居 4その他教育委員会が必要と認めた時──について許可している。
 このうち4.は、いじめへの対応や通学中の交通安全に問題がある場合などに適用されてきたが、最近は通学距離の短縮を理由とする申し立てが目立って増えている。
 そこで市教委は、隣の学区にある学校の方が近い18区域と、行政区と学校区とが一致していない11区域の計29区域を選定。区域内の住民に限り、隣接する学区の学校への就学を認める案を示している。審議会ではまず、前回挙げられた選択制の導入に関する課題点について市教委が説明した。すでに指定学校に通学している兄姉がいる場合は、5年間の猶予期間を設けて同じ学校への転学を認める。また、選択の機会は小学校入学時のみで、中学校は選択した小学校と同一学区の学校へ通うことになる。これに対して、委員からは「クラブ活動を理由に選択しても良いのでは」「中学校入学時にも選択の機会を与えて」といった意見が出た。しかし今回は、通学距離のみに焦点を絞った見直しであることから、提案を大筋で認める方向で答申をまとめることを確認。これらの意見は、今後の検討課題とした。
 一方、選択制の導入によって、同じ町内に異なる学校へ通う子どもたちが混在することになり、学校が異なると子供会などの地区行事に参加しにくいなどの声が上がる可能性がある。こうした心の壁を取り除くには、家庭・地域・行政の協働による地域コミュニティの充実などが必要で、答申にはこのような見直しに伴う影響への対応を求める付記事項が添えられる。
 8月24日に開かれる第3回審議会では、答申をまとめる予定。中川委員長は「これからは、通学区域の弾力化がますます求められてくる。一方で、急激な変化は新たな問題を生み出す可能性もあり、十分な検討が必要。今回の見直しをきっかけに市民の議論が深まることを期待する」という。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年07月23日

嘉村礒多の生家(山口市仁保上郷)



 嘉村礒多は父母・妻子との不和に煩悶(はん もん)し、宗教に教化した作風は私小説の極北といわれる。礒多は明治30年生で昭和8年没、中也は明治40年生で昭和12年没、山頭火は明治22年生で昭和15年没と同時期を生きた3人の親交の事が気になる。中也、山頭火と記念館がある中で、礒多の生家は荒れている。

 周囲の自然も生かして、そのままの状態を撮影する。
(マミヤRZ6×7 50ミリ F11 1/125秒)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2004年07月23日

市産業コーディネーター活動1年、着実な成果も



 「山口市産業コーディネーター」が活動を開始してから8月1日で丸1年が経過する。知名度はまだ低いものの、新たな起業家が誕生するなど、着実な成果も生まれつつあるようだ。

 市産業コーディネーターは、起業家でもある中村伸一さんと河津良一さんの2人が務めている。事業を始めようとしている人や新しい事業展開を考えている人を対象に、起業に関する相談を受け付け、アドバイスやノウハウ・情報の提供、企業連携の支援、産学連携の促進などを無料で行っている。また、定期的にセミナーや交流会なども開催。事務所(TEL083-920-1357)は熊野町のニューメディアプラザ山口2階で、平日の午前10時から午後5時まで応対している。
 この1年間で、コーディネーターが関与して起業した事例は4件、相談に訪れた事業者間での共同事業開始が3件、将来開業するためのステップとして希望業種の会社へ就職したのが1件。
 起業例はまだ少ないが、毎月の相談者数は平均して約50人にのぼる。その多くはリピーターで、具体的な相談よりも、雑談をしに来る人が大半を占める。話をする中で自分の考えが整理できたり、アイデアがひらめいたり、自分に足りないものを認識できたりする事も多いという。
 コーディネーターを橋渡しにして新たなつながりができることもある。「偶然同席した人同士が共同事業を起こしたケースもあった」と、河津さんは振り返る。
 相談者の職種は、ウェブデザイナーやプログラマーなどIT関係が中心で、インターネットを活用したビジネスを考えている人が多い。4月にウェブデザイナーとして独立した芥川愛子さん(29)は、主に企業が商品を販売するためのホームページを作っている。「コーディネーターや、自分と同じように起業を目指している人の存在が独立する勇気を与えてくれた」という。阿東町で学習塾を経営している古谷誠人さん(40)は「セミナーで知り合った人やコーディネーターから、自分では気づかなかった経営者としての考え方を教わった」と話し、塾から数学オリンピックに出場できる人材を育てようと取り組んでいる。
 中村さんは「これからも、それぞれが持っている能力を最大限に引き出せるような、良い人間関係づくりの手伝いをしていきたい。それが地元の活性化にもつながる」と話している。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース