アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 70人

店長情報 トップページ
店長情報

2004年09月29日

柔道「形」で全国大会出場



 10月17日(日)に東京都文京区の講道館大道場で開かれる「平成16年全日本柔道形競技大会」に、野田学園の宮原健太郎教諭と川棚温泉タクシー社長代理の森重修さんペアが中国地区代表で初出場する。「形」は、「乱取」が「作文」なら「文法」に例えられる柔道の基本中の基本。ともに6段の二人は年齢をものともせず、「五の形」部門の全国一を目指し稽古に励んでいる。

 講道館と日本柔道連盟主催のこの大会は、形を通じて柔道を普及・振興しようと毎年開かれているもの。種目は「投の形」「固の形」「講道館護身術」「五の形」の四つで、それぞれの形に全国10地区の予選を勝ち抜いた代表1組ずつが出場する。今年4月に島根県松江市で開かれた中国地区大会に初出場し、見事優勝を果たした宮原・森重組は、「五の形」で全国の強豪と技を競う。
 柔道の稽古には形と乱取の二つがあり、自由に技をかけ合い勝敗を競う乱取に対し、形は「取り」と「受け」が定められた技をかけ合い、互いの術技と身体を練り合うというもの。現在の柔道は試合形式の乱取が主流で、勝ち負けのない形稽古は衰退の一途をたどっている。二人が出場する「五の形」は柔道の原点ともいえる形で、攻防に必要な原理的な理合が五本の技で構成されている。
 形稽古は、受けの高度な導きがあってはじめて成立するもので、初心者同士では体をなさない。柔道歴55年の森重さんと42年の宮原教諭の段位はいずれも赤白帯の6段。取りの森重さんと受けの宮原教諭が組んだのは今年に入ってからで、地区予選をにらみ、宮原教諭が声をかけたという。「5年前の1度の手合わせで、組むならこの人しかない、と思った」と宮原教諭。技を知り尽くした二人の呼吸はぴったりで、動作も正確だ。
 小郡町出身の森重さんは、子ども時代に姿三四郎にあこがれて柔道を始め、72年の県大会で優勝したのを最後に現役を引退。川棚に移住するまでの30年間は町内スポ少の指導者も務め、現在も小串警察署の道場で子どもたちの指導にあたっている。一方の宮原教諭は、大学卒業と同時に現役を退き、同学園柔道部で34年にわたり部員の指導に力を注いでいる。「やるからにはもちろん優勝をねらいます」と口をそろえる二人。今回は特に、後進に対する形稽古の普及を意図した挑戦でもあり「柔道は本来、形と乱取の二本立てでなければならない。おろそかにされがちな形の大切さを若い世代に伝えるため、老体にムチ打ってがんばります」とも。
 また、アテネ五輪柔道女子78キロ級で金メダルを獲得した阿武教子選手の小学生時代を知る二人は「小さい体で何歳も上の子を背負い投げるなど、すでに頭角を現していた。阿武の金メダルは、7年後の国体を目指す子どもたちのいい刺激になった」と話していた。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年09月29日

世間知らず

 今日も新聞の旅行案内でまた見てしまった。見る度に私は苦笑する。まだ旅人として未熟だと確認する。白骨温泉の湯に入浴剤を入れ白濁させたと問題になっているが、G温泉だって看板に偽りありだと私は思っている。
 皆さんもきっと御覧になったことがあると思うが、女性二人が海に接して満ちれば海水も入ってくるという洞窟風呂に、優雅に入っている宣伝写真。私は、この宣伝写真に魅かれてG温泉に行った。夕日を見ながら、ゆっくりと温泉につかりたいと思ったのだ。
 それがなんということ! 胸をワクワクさせて風呂の扉を開くと、薄暗い洞窟の中には、おびただしい裸の女性がうごめいていた。光の当たり具合で大きな臀部が白く光ったり、脂肪のついた背中が伸びたり縮んだりするのがわかる。笑い声と桶の音が洞窟に反響して、キーキーという高い音になって降ってくる。人の頭ばかりで、海など見えない! 私は裸のまま茫然とする。探したが桶もない。
 ちょっと考えればわかることである。たった二人の入浴客では旅館は成り立たないではないか。それにこの島に渡る船には、乗り切れないほどの人がいて、ピストンの渡しをやっていたではないか。島にはこの旅館1軒しかないので、全員がここに宿泊するのだ。となれば、誰でも名物の洞窟温泉に入る。すると、どうなる…こうなるのだ。ちょっと考えればわかることではないか。私と同じ世間知らずの誰かが、今日も宣伝写真に魅かれて洞窟風呂の扉を開け仰天しているだろう。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2004年09月26日

鷺流狂言50周年記念公演



 山口鷺流狂言保存会(樹下明紀会長)の結成50周年記念公演が、10月2日(土)午後2時から天花の野田神社能楽堂で行われる。上演するのは、「神鳴り」「舎弟」「骨皮」「抜殻」「末広がり」の5曲。「末広がり」では、県の無形文化財保持者・小林栄治さん(79)と米本文明さん(49)が熟練した演技を見せる。入場無料。雨天の場合は3日に順延。

 鷺流狂言は、大蔵流、和泉流と並ぶ狂言三大流儀の一つ。狂言師は江戸時代に幕府や諸大名に召し抱えられて栄えたが、明治維新後、経済的後ろ盾を失い急速に衰えた。その後、大蔵流と和泉流は家元が存続できたが鷺流は断絶、プロの世界からは姿を消した。現在、地方に伝承する形で受け継がれているのは、宗家仁右衛門派を伝える新潟県佐渡、民間伝承を続けている佐賀県千代田町、そして分家伝右衛門派を伝える山口市だけだ。
 山口鷺流狂言の元祖は、長州藩お抱え狂言師の流れをくむ春日庄作。1886(明治19)年に野田神社で狂言を奉納して以来、山口市に住んで弟子たちを育てた。
 保存会は、この貴重な鷺流狂言の保存伝承を目的として、54(昭和29)年に設立。67年には同狂言が県指定無形文化財の第1号となった。
 86年以降、毎年の定期公演のほか、小中学校での巡回公演などを行い、日頃の伝承活動の成果を披露している。
 保存会設立当初からの会員・小林さんは「初めはせりふを覚えることで精一杯だったが、長年続けてきて、やっと役の味を出すことや、表情、雰囲気づくりができるようになった。これからも後世に伝承していきたい」という。また、樹下会長は「毎年足を運んでくれる観客や関係者の支援・協力のおかげで50年を迎えることができた。感謝の気持ちでいっぱい」と話している。
 なお、同会は50周年を記念して、上演記録や写真を掲載した「山口鷺流狂言保存会五十年のあゆみ」(A4判、32ページ)を作成。当日、500円で販売する。
 上演する5曲のあらすじ、出演者(敬称略)は次の通り。      
 〔神鳴り〕西国へ修行に向かう医者が落雷に遭う。落ちて腰を痛めた雷は医者に治療を頼み、やがて全快。御礼として800年の間、干ばつや水害がないように守ることを約束し、雷は昇天する。(米本次郎、池田幸枝、土村廣隆、米本文明、米本太郎)
 〔舎弟〕いつも兄から「舎弟」と呼ばれる弟。その意味がわからないので、日頃世話になっている知人に聞くと、知人は「舎弟とは物を盗むこと」と教えたから大変。兄弟の間で一もんちゃくが。(岡村繁、岡村薫、鈴木太龍、米本文明)
 〔骨皮〕住持(住職の老僧)から寺を譲られた新発意(弟子の僧)が、新品の傘を檀家に貸したので大目玉。その後も何度も失敗を繰り返して怒られる。最後は住持のスキャンダルを暴露するというとんでもない展開に。(岡本浩嘉、藤村成生、森文子、土村光子、磯部節子、米本次郎)
 〔抜殻〕お使いを命じられた太郎冠者は、主人にもらった酒を飲んで酔っぱらい、途中の道で寝てしまう。あきれた主人は、鬼の面をかぶせておく。(土村廣隆、吉松高敏、米本次郎)
 〔末広がり〕大名の命令で、末広がり(扇の一種)を買いに都に行った太郎冠者は、末広がり屋の亭主と自称する男(詐欺師)にだまされ、古い傘を買ってきてしまう。それを見て主人は怒るが、冠者は男に教えてもらった囃子物を思い出し、めでたく囃して首尾よく主人の機嫌を直す。(小林栄治、米本文明、升井洋至、米本太郎)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年09月26日

札の辻・21

 長野の松本を訪れたついでに穂高町の安曇野まで足を伸ばした。
 松本から北々西へ北アルプスの常念連峰を左手に走れば久しぶりの安曇野である。常念岳は標高2857メートル、平野のどこからも見られる主峰で、この日は中腹に雨雲を巻いていたが、その情景通りに驟雨が山裾を過ぎてゆき、信州はすでに時雨の季節を迎えていた。
 文芸評論の臼井吉見は安曇野生まれで、彼に「幼き日の山」というエッセーがあった。
ー常念岳の存在が大きく僕の前に姿を現したのは小学3年生のときからである。新しく着任した校長が月曜日の朝礼に毎回、常念を見よ! と呼びかけた。それは秋晴れの又は雪の常念だったが僕たちは常念によって新しい精神の世界を発見したのだった。ーと。
 山麓のみのり豊かな田園にはソバの畑も多く、いま白い花が真っ盛りで黄金色の稲穂とのコントラストが見事だ。
 9月上旬の信州では、早くも自然が演出する秋の彩りがはじまっている。穂高神社の杜近くなるにつれて街路樹のナナカマドの葉も実も赤く染まりはじめ、コナラは黄色を濃くしていた。
 碌山美術館に到着する。ロダンの彫刻に芸術性の高さを知り、パリから帰国した荻原碌山は生命感あふれる数々の力作を残した。代表作「女」の後手のポーズと表情には秘められた情感が漂う。ポプラと白樺の大樹に囲まれ蔦の這う教会風の美術館は、安曇野の空をバックにシンボル的な風景を見せる。次に訪れたワサビ畑から山口の友人に電話して、台風18号の猛襲を知り安曇野回遊は狼狽となった。  (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2004年09月25日

10月26日、日本フィル山口公演 岩村力 田部京子



 第15回「日本フィルハーモニー交響楽団山口定期演奏会」(TYSテレビ山口主催)が、10月26日(火)午後6時半から山口市民会館で開催される。今年は指揮者に、近年国際的に活躍の場を広げる岩村力、ソリストに日本を代表するピアニスト田部京子を迎え、ストラヴィンスキーの出世作バレエ組曲「火の鳥」などの名曲を披露する。

 1956年に創立した日本フィルによる山口定期演奏会は今年で15回目。日本最高峰の演奏を毎年楽しみにしている人も多い。
 今回の演奏会の指揮者・岩村力は、小澤征爾、飯守泰次郎、R・シューマッヒャーらに師事。99年の「別府アルゲリッチ音楽祭」で世界一流の女流ピアニスト、マルタ・アルゲリッチやチェロの巨匠、ミッシャ・マイスキーらと共演し、一気にその名声を高めた。確かな音楽性と誠実な人柄で世界のトップアーティストからの信頼も厚く、これまでにハンガリー国立交響楽団、デブレツェン交響楽団などで指揮。現在はイタリアと日本に活動の拠点を置き、NHK交響楽団アシスタントコンダクターを務めている。
 ピアノ独奏で登場する田部京子は、日本を代表するピアニストの一人。4歳からピアノを始め、東京芸術大附属高校在学中に出場した日本音楽コンクールでは最年少1位に輝き注目を集めた。88年に文化庁派遣芸術家在学研修員としてベルリン芸術大学に留学。バイエルン放送交響楽団、ポーランド放送交響楽団などと共演した。90年以降、日本国内でも本格的な活動を行い、これまでにピアノ協奏曲「メモ・フローラ」など20枚以上のアルバムをリリース。ファンクラブもでき、幅広い支持を集めている。
 当日は、モーツァルトの「交響曲第40番ト短調」とシューマンの「ピアノ協奏曲イ短調」、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919版)の3曲を演奏。「ピアノ協奏曲イ短調」は、シューマン独自のピアノ観と管弦楽が結び付いた幻想曲で、田部の演奏と岩村の指揮に注目が集まる。
 入場料は、S席6500円、A席5500円、学生席3千円(高校生以下)。チケットは、山口市民会館、山口情報芸術センター、三好屋、山口十字堂楽器店、ちまきや、ゆめタウン山口サービスカウンター、TYS企画推進部(TEL083-923-3200)で販売中。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年09月24日

地蔵院・2(山口市旭通り)



 私を感動させた地蔵院は、県道21号山口防府線の桜会館そばの小路を入ってすぐにある。日限地蔵が並ぶが、御堂の右側には地蔵様、役行者(奈良時代の山岳修行者)、西国14番近江国三井寺の如意輪観音、七福神の弁財天(学問、芸術の守護神)、不動明王の他に33観音が並び、ほとんどの願いが叶うと思うが、気持ちが落ち着く場でもある。

何度も訪ねた中で、午前中の撮影によって陰影を表現した。(マミヤRZ6×7 65ミリ F11 1/125秒)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2004年09月24日

共学6年目の山口中央高「男子ここにあり」



 県立山口中央高等学校(中島俊泰校長)が男女共学になって5年半。生徒数では、全体の3分の1といまだに少数派の男子だが、部活動などでは女子に負けない活躍を見せている。特に、今の3年生はバイタリティにあふれたタレントぞろいで、学校全体の牽引役になっているようだ。

 中央高校は、1955年に新設高校としてスタートして以来、98年度まで男子の入学がなく、女子校としてのイメージが定着していた。しかし、 98年に中央高校の男女共学化を求める市民の会が発足。学校側も男子の制服を決めたり、校歌の一部を変更するなど共学化の準備を進め、99年4月に11人の男子生徒が入学した。その後も、毎年60人から80人の男子が入学。現在は、全校生徒683人中、約3分の1にあたる224人が男子だ。
 今年度は、運動部・文化部合わせて23の部活動のうち、14の部に男子が加入。運動部では、ソフトテニスの田丸彰悟・行本幸雄ペアと、岡達也・嘉村鉄也ペア(いずれも3年)が高校総体出場を果たした。男子のソフトテニスは、現3年生が入学した02年度に同好会として発足し、すぐに部に昇格した。その原動力となった田丸・行本ペアは常に後輩のあこがれの存在。「歴史や伝統がなかった分、何でも自由にやれた」という2人だが、後輩に対して「もっと試合で勝てるように努力しなければ」と先輩としての厳しさも見せる。
 またサッカー部は、共学初年度の99年に同好会として発足した、運動部で唯一の男子のみの部。県大会でベスト4やベスト8入りするなど、対外的にも存在感を示し、大学の体育会系で活躍するOBも出てきている。顧問の内田忠範教諭は「ノーマークだった頃のような結果を出すのは難しくなってきた。しかし、創部の精神を忘れず、常にチャレンジャーとして挑んでほしい」と望む。それに対し横山慎キャプテン(2年)は「OB戦などを通して、先輩の情熱をもらっている。食事面など家族の協力に応えるためにも、より上を目指したい」という。
 一方、文化部では合唱部が高校総合文化祭に参加。今月18日の中国合唱コンクールでも銀賞を獲得した。同部は、現在の校舎移転とともに発足。昨年からは、男女が一緒に歌う混声合唱に取り組んできた。コンクールでは、男声2パートを武安佳孝君と桑原幸宏君の3年生2人で担当。審査員に絶賛された。中学校で合唱の楽しさを知り、1年次には唯一の男子部員として、女声合唱を歌っていた武安君は「中央高で混声合唱ができてうれしかった。後輩にも、混声の楽しさを味わってもらいたい」と願う。武安君は、全国高等学校放送コンテストにもチャレンジ。さらに、文化祭では演劇部の舞台にも参加するなど、幅広く活躍している。
 男子の活躍について、生徒会長の中尾明日香さん(2年)は「男子、特に3年の先輩達の力強さは頼もしい。私たち女子も負けないように頑張りたい」という。また、松田政道教頭は「受験に関しても、男子のねばり強さが全体に良い影響を与えている。今後も、男女がお互いに刺激しあえる環境を整えていきたい」と話している。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年09月22日

被災者支援策 続々と



 風速50・5メートルという観測史上2番目の強風を記録した台風18号は、建物の損壊など市民生活に大きな爪跡を残した。先週13日から市社会課内に設置された被災者支援相談室(TEL083-934-2790)と「り災証明書」の交付を行っている市総務課(TEL083-934-2723)には、連日多くの被災者が訪れ、生活再建の手だてを模索。市や県は災害見舞金支給や市税・固定資産税の一部減免といった救済措置を、各金融機関でも復興支援のための特別融資をスタートさせている。

 山口市の災害に対する見舞金支給は、住宅の全壊が4万円、半壊が2万円。日赤災害見舞金は全壊1万円、市社会福祉協議会災害見舞金は全壊4万円、半壊1万円となっている。家屋の改築、修繕などについては、低所得世帯を対象に150万円を限度に年利3・0%で融資する生活福祉資金制度がある。
 また、市県民税、固定資産税、国民健康保険料、介護保険料は、被害程度に応じた割合で今年度分を一部減免。市県民税は住宅または家財全体の3割以上の損害、固定資産税は資産の2割以上の損失を受けた場合が対象となる。
 住宅が全・半壊した65歳以上の高齢者や障害者に対しては、市が介護保険や福祉の短期入所施設でのショートステイサービスを30日間を限度に無料提供。市老人憩いの家(寿泉荘、嘉泉荘、潮寿荘)の入浴施設も、10月15日まで無料開放する。
 県は、被災農業者や中小企業を支援する災害緊急対策資金制度を創設。農林業は被害額が平年収入の1割以上だった農業者が対象で、個人は500万円、法人は1500万円を上限に年利1・0%で融資する。申し込みは各農協で受け付ける。
 中小企業向けでは、被害額50万円以上の企業に2千万円までを貸し付ける。年利は5年以内が1・6%、5年超は1・7%で、県内の各金融機関などで取り扱う。受付期間は、いずれも来年3月末日まで。
 所得税の減免に関しては、山口税務署で相談を受け付けている。減免方法は確定申告の雑損控除、または災害免除で、翌年の申告で精算される。控除額は損失額や所得金額などで決まり、全額または一部が軽減される。

支援制度・相談窓口一覧ホームページ
市:http://www.city.yamaguchi.yamaguchi.jp/somu/saigai/top.htm
県:http://www.pref.yamaguchi.jp/gyosei/shobo/t18.htm

金融機関も復興支援
 一方、各金融機関も、台風18号の被災者を対象に相次いで復興支援の特別融資を始めた。
 住宅金融公庫中国支店(TEL082-221-8695)は、住宅の補修や新築用に災害復興住宅融資を始めた。年利は1・8%。補修の場合は耐火住宅640万円、木造590万円を限度に最長20年間貸し出す。公庫取扱店で06年9月8日まで受け付ける。
 山口信用金庫では、個人および個人事業者向けに「やましん台風18号災害復旧ローン」を開始。住宅補修、家具家電修理・購入資金として300万円以内(ただし年収の1/2)を貸し付ける。期間は5年以内で、年利2・5%。受付期間は今年11月30日まで。
 吉南信用金庫も、住宅や自動車、家財電化などを対象に特別融資を行っている。個人は500万円、事業所は1千万円までで、年利は2・0%(3年以内の場合)。今年12月30日まで取り扱う。手続き前にり災証明書を 市町村長が交付する「り災証明書」は、損害保険の請求、各種の復旧・生活再建支援制度の適用申請などで必要になる重要なもの。家屋や家財などの被害状況を示す被災写真と印鑑を持参して、市総務課で申請する(受け付けは各出張所でも対応)。写真がない場合は、町内会長など第三者による証明でも対応できる。無料で交付しており、受付期間は現在のところ限定していない。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年09月22日

猛烈台風18号

 台風18号は猛烈でしたね。皆様には、被害はございませんでしたか。被害に遭われました方々には、心よりお見舞い申し上げます。
 我家は瓦が飛び、テレビアンテナが屋根から道路にすべり落ち、庭の柳の木が1本根から倒れました。瓦が飛んだので,雨が漏り、天井板がポロンポロンポロンと忙しくメロディーを奏でていました。バケツを持って待っていましたが、下まで落ちないのです。天上板の上に溜まった雨はどこに行ったのでしょうか? のん気者の私は、停電になるなんて思ってもいなかったので、16号台風がすごいすごいという前評判にも関らず、すごくなかったので、今度もそんなものだろうと思っていて、ご飯も炊いていず、食べるものがなかったので、嵐が小休止したのを見計らってスーパーまで行きました。営業しているかどうか心配だったのですが店内は満員でした。蝋燭の光で照らされたパンやラーメンを皆が買っていました。日本だからこんなに静かに買い物をしているが、世界の幾つもの町では、略奪が起こっているのではないかと思いながらレジの長い列に弁当を抱えて並びました。日のあるうちに風呂に入って、乾電池を8個入れたラジオで音楽を聞いていました。真っ暗になったら本当に何も見えない。懐中電灯をつけてトイレに行くのも、風変わりで楽しかった。というのも、私が世話をしなければならない子供も年寄りもいない気楽な暮らしだからです。まだ台風は発生し、襲ってくるのかしら。強烈でないことを祈ります。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2004年09月19日

旧制山高が85周年大会



 旧制山口高等学校開校 85周年記念大会が、10月17日に県立山口高等学校体育館および記念館(旧講堂)で開かれ、全国各地から同窓生など約500人が集まる。前日の16日(土)午後1時半からは、映画監督・山田洋次氏の講演と特別上映会を、一般に公開して開催。記念大会では、記念式典や記念コンパのほか、記念写真展や期別コンパを実施するほか、翌18日には記念エクスカーション(小旅行)やゴルフコンペも予定されている。

 旧制山高開校85周年の記念行事として、10月16 日(土)午後1時半から6時まで、大手町の県教育会館で映画監督・山田洋次氏の講演と「たそがれ清兵衛」の特別上映会が開かれる。
 山田監督は、1931(昭和6)年大阪府豊中市生まれ。少年期を旧・満州で過ごし、旧制山高を修了。54年に東京大学法学部を卒業して松竹に入社。61年に「二階の他人」で監督デビュー。69年には、「男はつらいよ」シリーズ第一作を公開。日本中の人々から愛され続けた同シリーズは96年までに48作が製作され、日本映画界の金字塔となっている。そのほかにも、第1回日本アカデミー賞監督賞ほか5部門受賞の「幸福の黄色いハンカチ」や「遥かなる山の呼び声」、松竹・大船撮影所50周年記念映画「キネマの天地」、第15回日本アカデミー賞作品賞ほか4部門受賞の「息子」など数え切れないほどの代表作がある。また、96年には紫綬褒章、02年には勲四等旭日章を受賞している。
 当日は「映画と私」の題で講演。続いて、「たそがれ清兵衛」を上映する。この映画は、藤沢周平原作による山田監督初の本格時代劇で、02年に公開。各映画賞を独占し「日本映画にまたひとつ名作が誕生した」と絶賛された作品。
 入場は無料だが整理券が必要。整理券は、ちまきや1階受付、近江屋本店、コープどうもん店、山口観光コンベンション協会で配布している。17日には記念式典、コンパなど 旧制山口高等学校は、1886(明治19)年11 月に日本で三番目の高等中学校として開設。東京の第一高等中学校をはじめとする、いわゆる「ナンバースクール」ではなく「山口」の名を冠することで、山口県民のための高等教育機関としての性格を色濃く打ち出していた。同校の誕生によって、県民は県外に出ることなく、同校の予科(3年)、本科(2年)を経て帝国大学への進学が可能になった。その後、1894(明治27)年の学制改革で、山口高等中学校から山口高等学校と改称された。
 しかし、明治30年頃から高等学校入学者の共通選抜制度が施行され、他府県からの入学者が急増。山口県子弟の授業料免除措置などを行ってきた防長教育会が経費負担に耐えられなくなったため、1905(明治38)年にいったん廃校となり、実業専門学校の山口高等商業学校に転換した。そして、廃校から14年後の 19(大正8)年、官立山口高等学校が現在の県立山口高校の場所に再興され、49(昭和24)年6月に学制改革で新制大学に移行するまでの30年間に、4600人余りの卒業生を輩出した。
 同校同窓会である鴻南会は、これまでにパークロードにケヤキの並木を寄贈したり、一の坂川にかかる錦水橋への歌碑設置、山高内に残る旧講堂の改修などの記念事業を行っている。
 85周年記念大会では、校歌斉唱や物故者への黙とうなど式典に続いて記念コンパを開催。祝宴歌や寮歌などを合唱して旧交を温める。さらに18日には、3コースに分かれての記念エクスカーションや記念ゴルフ大会も予定されている。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース