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店長情報

2004年11月28日

「山口の星空、案内します」



 「冬は空気が澄むので、これからが天体観測のベストシーズン。私たちが山口の星空を案内します」――。県立山口高校天文部は、昨年から一般の人たちを招き、同部自慢の望遠鏡を使って星の解説などを行う「公開観測会」を開いている。今年度2回目の開催日は12月18日(土)で、観測対象は月。部員たちは1人でも多くの人に天文に興味を持ってもらおうと、観測会に向け準備を進めている。

 山高天文部は、同校理科棟の屋上に天体観測ドームが完成した1968年に発足。ドーム内にある県内屈指の15センチ屈折式望遠鏡と20センチ反射式望遠鏡は、代々引き継がれた同部自慢の機材だ。
 活動は基本的に週2回。星の勉強会や望遠鏡の組み立て練習、天体観測などが主で、これまで文化祭での発表以外、対外向けの活動はほとんどしてこなかった。しかし昨年9月、火星が大接近した際、同校OBから「ドーム内の望遠鏡で火星を見せてほしい」という申し出があったのをきっかけに、創部以来初となるOB対象の観測会を開催。さらにその年の文化祭でも、白石地区の住民から「あの望遠鏡で星を見たい」と要望があり、11月と12月に地区民と一緒に星の観測を行った。
 今年度に入ってからは公開観測会もなく、しばらく通常の活動をしていたが、9月の文化祭で3年生部員3人が勇退。部員は太冬寧部長(2年)、中村主税くん(同)、大野祥子さん(同)、寺田志織さん(1年)の4人だけになってしまった。天文部はここ数年、部員不足により何度も休部の危機に立たされたことから、今後の活動のあり方について全員で話し合い。一般向け公開観測会に部の活路を求めた。
 太部長は「立派な機材があるのに、一般の人が使えないのはもったいない。それに、公開観察会をすれば自分たちの活動と天文の魅力を広くPRできるメリットがある」といい、「参加してくれた小中学生の中から将来、山高天文部に入りたいという子が出てきてくれるかもしれない」と期待も込める。
 今月6日に行った今年度1回目の観測会は、事前のPR不足からか1家族4人のみの参加だったが、双眼鏡や望遠鏡を使い、海王星や天王星、アンドロメダ大銀河、球状星団を観測。慣れないながらも、部員たちは一生懸命天文のすばらしさを伝えた。
 そして、引き続き2回目の観測会を12月に開催することに決定。前回参加した家族の希望を取り入れ、今回は月を観測対象にした。「月はあまりに身近な天体で、実は僕自身もよく見たことがない。今は天文部員だからこそ言えるような解説やコメントを勉強中」と中村くん。他の部員たちも月に関する専門書を読んだり、ドーム内を掃除するなど、一般市民の迎え入れに向け着々と準備を進め、「経験・知識不足のところもあるが、子どもたちなりに一生懸命やっている」と顧問の古本宏教諭も生徒たちの活動を見守っている。
 太部長は「火星大接近、しし座流星群などの大きな天文現象は、若い人を含め比較的多くの人が興味を持ってくれるが、天文部となると話は別。私たち部員一人ひとりが持っている天文に対する思いを、公開観測会を通して伝えていきたい」と話している。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年11月28日

札の辻・21

 芭蕉が亡くなったのは1694(元禄7)年旧暦の10月12日だった。新暦に換算すると今年は11月24日にあたる。今から310年前になるが芭蕉は51歳で現在にすればまだ若い。以後江戸時代から命日を芭蕉忌又は時雨忌と呼んでいる。
 芭蕉は裕福でなく江戸深川の草庵で平凡な市井の生活を送る中、
 「もらふてくらひ、こふてくらひ、やをらかつえもしなず」(貰って食い、乞うて食い、どうにか飢えて死ぬことなく)と俳文に書いている。
 
 雪の朝独り干鮭を
 噛得たり
 芭蕉が38歳の句で、俳人として自己を見定め、孤独に耐えつつ干鮭を噛む姿に哀感がにじむ。
 芭蕉の人生の後半は旅にあった。
 「草庵に酒肴さげ来りて行くへを祝し」と旅立ちに集まった門人達に囲まれる芭蕉だが、酒は好きで「辛口一升乞食申度候」と旅先で酒造業の俳友に無心をしている。
 干鮭のように食べ物にはぜいたくをせず北島広敏著「喰べる芭蕉」によると雑炊鍋をよく友人と楽しむことが多かった。
 鍋を囲む、それは日本特有の共食形態で、海や山からの獲物を味覚が失われぬうちに鍋にしての団らんである。
 わが中学時代(旧制)にUという越後訛りの強い国漢の先生がいて、魚屋から鮭の頭を手に入れ、石狩鍋をつくることを教えてもらった思い出がある。いま鮭の頭だけをスーパーでも売っている。あとは豆腐と冬野菜があれば良い。ミソと酒粕で味をつける。
 木枯の季節、いよいよ鍋奉行の出番だ。          (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2004年11月27日

長男の難病乗り越え10キロウオーク



 山口市出身の岡田和彦さん(48)が、12月12日のホノルルマラソン当日に行われるレースデー・ウォークに、尚子夫人、長男の桂四郎力丸ちゃんとともに参加する。昨年夏にハワイで生まれ、難病を抱える力丸ちゃんの治療に協力した多くの人々への感謝と同時に、力丸ちゃんが最初の手術を受けてからおよそ1年の記念として決意した。また、来年挑む3度目の手術に向け、家族の結束を強める意味もあり、岡田さんは「力丸が生きた証として毎年参加したい」と考えている。
 東京でITエンジニアとして独立している岡田和彦さんは昨年夏、妊娠9カ月の尚子夫人とともにハワイを訪れた。滞在中の8月7日、尚子さんが力丸ちゃんを早産。しかし力丸ちゃんは、心臓の奇形で「何歳まで生きられるかわからない」と宣告された。力丸ちゃんを救うために手術を受けようにも、ハワイでは不可能。アメリカ本土へ運ぶ必要がある。仕方なく尚子さんは、日系人社会の支援を受けながらハワイにとどまることになった。
 一方の和彦さんは、高額な医療費を捻出するためにも仕事を続けなければならなかった。格安チケットを使って、日米を往復する生活を余儀なくされたが、十数年来の取引先であるNECシステム建設が全面的に支援してくれたこともあり、当面の収入を確保することはできた。
 心臓奇形では、救命のための手術のほかに、延命のために血管をつなぎ換える手術を最低2回行わなければならない。力丸ちゃんは、重症の子どもたちが世界中から集まるスタンフォード大学(カリフォルニア州)のルシール・パッカードこども病院で手術を受けられることになった。スタンフォードでは、治療のためにやってくる日本人の支援を続けている井手祐二さんや、大阪国立循環器センターから心臓移植のために渡米した高山聖子さんらと出会った。こうした出会いを通して、和彦さんは「力丸が、仕事のことしか考えない乾いた人間だった私に、非常に多くのことを学ばせてくれた」という。
 スタンフォードでの2度の手術を経て、今年春にようやく帰国した力丸ちゃんは、祖父母との対面を果たした。あと1回の手術で、血管のつなぎ換えは終わるが、手術による治療はこれが限界で、その後の存命日数は生命力や運次第。また、医療費が大きな負担としてのしかかってくる。そこで、和彦さんの高校時代からの友人である森永恭平さんが支援の会を組織。和彦さんからの要請があれば、いつでも募金活動をスタートできる態勢を整えた。森永さんがハワイで支援を受けていたダイアナ・サトーさんと親戚であることを、その後に知った和彦さんは「不思議な縁で結ばれている力丸は本当に運が強い」と再確認した。
 こうした数々の出会いや人々の支援への感謝から、岡田さん一家はレースデー・ウォークへの参加を決めた。当日は、スタンフォード大学のTシャツに身を包んで、10キロの道のりを数人のボランティアとともに歩く。約3時間の長丁場で、力丸ちゃんの体調に気を使いながらの参加になるが、「友情に支えられ希望を取り戻した私たちの姿が、同じような立場や様々な苦しみを抱えた多くの人への応援メッセージになれば」と和彦さん。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年11月26日

役行者像(山口市大内菅内)



 鋳銭司から大内菅内に通ずる道沿いにある仁平寺には、大内氏の祖といわれる多々良氏の名が見える。その境内に自然石の役行者像がある。役行者は奈良時代の山岳修行者で、多分に伝説的な人物である。役小角ともいわれる像は、市内の寺でも見る事が出来る。

色彩の無い石物に、前ボケの緑の葉を配す事により、画面が優しくなったと思う。(ニコンF4 105ミリ F5.6 1/125秒)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2004年11月26日

市民が商店街のガイドブックづくり



 「意外と知らないお店や個性的な店舗があるんですよー」「買い物以外でも楽しめる!」…。市内の主婦ら25人が、中心商店街の魅力を発信するガイドブック「せわやき広報誌」の作成に向け、取材・編集活動に奔走している。市民の視点から地元商店街のファンを増やそうという、街づくり山口と商店街連合会の新しい試み。店舗紹介や商店街全体マップ、活用術などを掲載した冊子を来年3月までに完成させ、市民に配布する。
 このガイドブックづくりは、市が商店街に設置している「ほっとさろん中市・まちのえき」と「ほっとさろん西門前・てとてと」のコミュニティ施設商店街活性化事業として同事業運営委員会(運営委員長=志村哲郎県立大教授)が今年1月に行った、商店街ニーズ調査アンケートの結果を受けて始まった。商店街の利用者からは「ぶらぶら歩いていて楽しい商店街に」「お店の情報が欲しい」などの要望があり、商店街関係者からは「外に向けた情報発信手段を」「市民や市民団体と商店街の連携が欲しい」といった声が出された。そこで同運営委員会は、商店街全体の情報を発信できる広報誌の作成を㈱街づくり山口と商店街連合会に提案。広報誌作成実行委員会を9月に立ち上げた。利用者の視点から商店街の魅力を発掘・発信することで、市民と商店街との結びつきを促進しようと、制作は全て公募の市民に任せることにした。
 集まったスタッフは、主婦を中心に20歳代から60歳代までの25人。商店街に愛着がある人、広報誌づくりに関心がある人など動機は様々だ。10月の打ち合わせで、参加店70店舗の取材とガイドブックの作成に必要な作業班を割り振り、さっそく活動をスタート。参加店に足を運んで店主の話を聞いたり、写真撮りをしたり、商店街全体を知るためのまち歩きを行ったりと、家事や仕事の合間を縫っては忙しく走り回っている。
 3年前に市内に引っ越し、県内にもまだ元気な商店街が残っていたことに驚いたという市民スタッフの久保田美代さん(37)は「個性的な店が集まっているこの商店街には以前からおもしろみを感じていたが、取材するごとに店主のこだわりやプロの技が見えてきて一層魅力を感じるようになった」と感想を語る。彼女が取材に訪れていた道場門前の生花店・マーキュリーの店主、沓野優紀さん(40)は「山口生まれの山口育ち、高校生時代には毎日通った商店街だけに、愛着も深く、活気づけたいという思いも強い。利用者の目からどんなものが出来上がるのか、とても楽しみ」と話していた。
 ガイドブックには、参加店紹介の他、商店街全体のマップ、活用術、豆知識、コラムなどを掲載。携帯に便利なB5判サイズ、約80ページで、1万部発行する。
  

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2004年11月24日

乳がん患者の会・リマンマコネクション



活動の場となる済生会山口総合病院の談話室

 「不安なことも、経験者に相談すると気が楽になる」――乳がん患者の会・リマンマコネクションは、毎月第2・4火曜日と第3土曜日、緑町の済生会山口総合病院内の談話室に集まり、手術前・後の心身ケアを目的に情報交換や勉強会を行っている。胸を切除する辛さなど経験者にしか分からない悩みを気軽に話せる場として、大切な役割を担っているようだ。
 現在、日本人女性がかかるがんの中で最も多いのが乳がん。年間患者数は3万5千人にのぼり、山口県でも毎年推計270人が乳がんと診断されている。このような中、同じ悩みを持つ患者が集まり、相談の場を作る動きが全国的に広がっている。
 その中の一つとして、リマンマコネクションは5年前、済生会病院に通う乳がん患者らが、気軽に相談できる場を作ろうと結成。「リマンマ」とは、英語の「re=再び」とラテン語の「mamma=乳房」の合成語で、「美しい乳房をもう一度」という願いを込めている。当初3人だった会員も、現在では40人にまで膨らんだ。
 手術で乳房を切除することへの不安や苦しみはなかなか1人では乗り越えられない。ここには、実際に手術を受けて入院している人、手術後のショックから立ち直ろうとしている人らが集まり、それぞれの悩みを打ち明けている。「いくら年をとっても、やっぱり女だから。手術後、自分の胸が無くなったのを見た時はショックで立ち直れなかった」という60代女性も、「ここに来て救われた。皆同じ苦しみを味わっているから、自分のことのように親身になって話を聞いてくれる」と涙ながらに話す。
 抗ガン剤治療をする場合など、副作用が人によって違うため自分と同じ症状の人がいるだけで安心できるという。また、何年も通院しなければならない患者にとっては、仲間の存在が心の支えになっている。
 乳がん患者にはもう一つ大きな悩みがある。手術後の下着選びだ。乳房の一部又は全てを切除する場合など、人によって状態が異なるため、試着をして自分に合った下着を探さなければならない。ある女性は、何も知らない人から胸の形が変だよと冗談で言われたことがあり、「その時は本当に辛かった」と振り返る。
 このようなことから、同会では年に一回、補正下着を扱う「ワコールリマンマ」の専門スタッフを呼び、無料試着・相談会を実施している。今年は、他の病院で手術した人も対象に、12月4日(土)午後1時から同所で開催する。
 同会の徳光美津枝さんは、「カタログで注文することはできるが、県内にはまだ乳がんの補正下着を取り扱っている店がない。ぜひこの機会を利用してもらいたい」と話している。問い合わせは、徳光さん(?925-3597)へ。早期発見のため、検診を 山口市では30歳以上の女性約2万2千人を対象に、毎年乳がん検診の通知を出して早期発見を呼びかけている。検診時期は、5月・6月と9月・10月の4カ月間。しかし、受診する人は毎年2千人程度と少ない。  
 検診は、今年度まではしこりがないか触って確かめる視触診だった。だが来年から、より精密な診断ができるレントゲンで撮影するマンモグラフィー(乳房X線)検査の導入を検討している。市保健センターでは「しこりが小さいうちに発見できれば、再発の可能性も少ない。自分は大丈夫と思わずに、できるだけ検診を受けてほしい」と話している。
 また、しこりは実際に自分の手や目で発見することもできる。月経開始後5日目から一週間ごろは、乳房のはりが減少し、しこりが分かりやすい時期。風呂の中で石けんなどをつけて滑りやすくし、しこりがないか確かめるとよいという。自己検診を続けることで自分の乳房の状態がつかめるようにもなる。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年11月24日

世界は悪意に満ちている!

 私の周辺全部、悪意に満ちている…なんて思う時がある。なにをやってもうまくいかないときは、そう考えてしまう。
 蒲団を干そうと竿に手を伸ばすと、キュッと横腹の筋がひきつり、一週間も痛かったり、弁当の中に入っている醤油の小袋をあけると、ピッと飛び散り、着たばかりの白いスカートに絶対取れないシミができる。読みかけの推理小説にしっかり挟んだはずの栞がとれていて、続きのページを探しているうちにひょいと犯人の名前が目に飛び込んできて、がっかりする。何故かしら? ハイキングに行くと、誰もなんともないのに、私だけ首や腕が赤くかぶれる。虫の仕業か木か草か、わからないけれど、私だけが好かれる臭い(毒素?)を発散させているのかしら。カップラーメンに湯を入れ、3分して蓋をはずそうとひっぱると必ずこぼれる。インスタントコーヒーはいつもカップに入れる粉の量が多すぎて、苦い。気をつけているつもりなのに…。ここ最近美味しいコーヒーを飲んだことがない。
 全てこのように、世界は悪意に満ちている! なんてね。私はひがみの心で悪意なんて言っているけれど、報じられているニュースを見ると、地球のいたる所に悪意は生まれ、人々の憂う声が聞こえる。荒々しい風が世界に吹いている。世界は悪意に満ちているのではないか、と私は近頃感じている。
 今年も後、12月を残すだけとなりました。世界の人たちが穏やかな年の終わりを迎えられますように。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2004年11月21日

札の辻・21

 庭にジョウビタキの夫婦が来たのは10月23日の朝だった。日記によれば昨年の到来より7日もおくれている。
 朝刊をとりに出ると2羽はそれぞれ庭石と山茶花の枝でヒッヒッヒッカッカッと鳴き、お辞儀をしながら尾も上下に動かして到着のあいさつだ。オスはあざやかな白、メスは少し薄いがどちらも白紋付の姿である。
 この鳥はあまり人を恐れず近くまで寄ってくるし、ガラス戸に映る自分の姿にライバルが現れたと勘違いして直接ガラスに体当たりをすることもある。
 ところで20世紀の後半から急速に巨大化してきた大都市では、野鳥たちが個体群を維持していく上で、餌の確保、天敵からの安全、繁殖の条件などがむつかしい状況となってきた。
 しかし、地球上における生物進化の歴史を見れば、多くの生物は常に新環境に適応する努力で生息圏を拡大してきた。現実に東京銀座の高層ビル屋上では、野生の勇者ハヤブサの仲間であるチョウゲンボウの営巣が確認されたり、副都心新宿の飲食街では残飯あさりのタヌキが出没するとの情報もある。
 タヌキといえば先日長門市までの国道筋で、輪禍に昇天しているタヌキを3匹も見た。道路公団の記録では、野生動物の道路上の事故ではタヌキがいちばん多いという。
 古くから村の里山は人間と野生動物の接点であった。その里山が道路網の発達で分断されて、タヌキは変遷に対応できていないらしい。
 ジョウビタキは今日も元気にお辞儀をしつつ晩秋から初冬へと季節のリズムを刻んでいる。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2004年11月21日

23日に山口天神祭



 西の京・山口の三大まつりを締めくくる山口天神祭が23日(祝)、古熊神社などを会場に行われる。今年の大拝司は黒川の入交知則さん、小拝司は朝倉の岡部達矢さん。当日は、総勢250人を超える御神幸行列やチビッコすもう大会、もちまきなどでにぎわう。また、22日(月)午後6時からは花神子祭も行われる。

 古熊神社は、1373(応安6)年に大内弘世が京都の北野天満宮から御分霊を勧請し、山口北野小路に鎮座した。山口天神祭は、1618(元和4)年に毛利秀就が社殿を今の古熊に移して以来、今年で386回目を迎える伝統行事。古来よりの例祭、御神幸行列を今に伝えている。
 古熊の祭神は、学問の神様・菅原道真公。大拝司が竿衣を来ているのは、太宰府へ流される途中の道真公が多々良の浜に船を着けた際、土地の代官・土師氏が物干し竿の着物にそのまま手を通し、あわてて駆けつけたという古事による。道真公は、その姿に心を和まされたと伝えられている。
 祭りの前日となるあす午後6時からは、古熊神社で花神子祭を実施。一夜酒に黄色の菊花を添えて、花神子自らが神前に供え、御神幸祭の成功を祈願する。
 23日は、午後1時に獅子舞と御網代車が古熊神社を、備立行列が八坂神社を出発する。二つの行列は、1時20分に大市の札の辻で合流。呼び物のひとつであるお稚児さんを乗せた宝恵籠と長持ちもここから参加する。
 今年は、宝恵籠行列の装束を新調した。宝恵籠実行委員会がうどん販売などを行って10年がかりで費用を貯めたもので、はなだ色とうす茶色の生地に、鮮やかな古梅柄の装束30着がそろった。
 総勢250人を超える一行は、「いさぎよい すなおな心」でお迎えしようという意味の「イ~サヨイシ~ ヨイトマカナ~」という威勢のいいかけ声とともに街を練り歩く。コースは、大市~中市~米屋町~道場門前~西門前~黄金町~山口駅通りを経て、3時に天神通りのお旅所に到着。天神さまのご神体を載せたお網代の前で祭典を行い、獅子舞、稚児舞、長持唄を披露。3時45分に古熊神社拝殿前に帰着する際には、50段の石段をお網代車が一気に駆け上がる。最後には行列を終えた感謝と参拝者への「お福わけ」として、もちまきを行う。
 参勤交代を今に伝える備立行列は、1995年に大殿地区の有志約30人が保存会を結成して復活。行列をより忠実に復元するため「台傘」「馬印」「大内十文字槍」などを少しずつ新調した。
 また、古熊神社では午前10時から市内小中学生剣道大会と市内中学生奉納相撲大会が、午後1時からチビッコすもう大会が行われる。

神役関係者
 大拝司=入交知則(黒川)▽小拝司=岡部達矢(朝倉)▽御先乗=吉村虎太朗(大内御堀)▽花神子=大倉美咲(矢原)▽神酒官女=白木千鈴(宮野下)▽菊官女=藤井瑠南(矢原) (敬称略)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2004年11月20日

県大に“ぷちぼら”開設



 県立大学社会福祉学部の学生が、県立大生のボランティア活動を支援する「ぷちボランティアセンター(ぷちぼら)」を立ち上げ、先月から月1回のペースで同学部実習室に開設。ボランティア情報を提供しながら、活動に役立つミニ講座も開いている。今月の「ぷちぼら」は、16日、17日に開設。約160人が訪れ、市内で行われている様々な活動に触れた。

 「ボランティアをしてみたいけど、どんな活動があるのか分からないし何となく不安…」。そんな学生たちの声に応える、ボランティア活動のきっかけづくりの場、それが「ぷちぼら」。学内に情報提供の窓口がなく、自らも同じ思いを抱いていた同学部の荒瀬久美子さん(22)ら約10人は、ボランティアセンターの必要性を強く感じ「ぷちぼら」を立ち上げた。「ボランティア募集のチラシが張り出してある掲示板はあるのだが、情報が古かったり、チラシだけでは内容がよくつかめず、申し込むにも不安。ちょっぴり背中を押してくれるような場があれば、皆の気持ちを生かせるんじゃないかと思った」と荒瀬さん。4月に実行準備委員会を発足させ、学生のニーズを探るアンケート調査を実施。同学部約300人を対象に行った結果、ほぼ全員がボランティアに興味を持っているものの、きっかけがつかめず活動できないケースが多いことが分かった。
 「ぷちぼら」は月に1回2日間程度、同学部実習室を借りて開設。ボランティア情報の提供が活動の中心で、それぞれの地域活動や団体を詳しく紹介した手作りパネルや情報ファイルを一斉に掲示。学内ボランティアサークルの紹介コーナーや、全国で発生した自然災害の情報提供・募金コーナー、相談コーナーなども設けている。さらに、「ぷちぼら」のアドバイザーである県ボランティアセンターや市民活動支援センターなどから講師を招いてのミニ講座を毎回企画。活動に役立つ知識や技術を学ぶ機会も同時に提供している。
 2回目の開設となる今回の来場者は、第1回の約90人を大幅に上回る160人。ミニ講座に参加していた同学部の1年生は「先月ここで見た団体のボランティア活動に今度参加します。情報が多くて選びやすいし、挑戦してみようという気持ちになりました」。ぷちぼら実行委員会では「いずれはきちんとした場所を確保して、いつでも利用できるセンターにしたい。今はまだ手探りの状態で先生方の力を借りながらの運営だが、しっかりとした基盤ができれば、地域に向けた直接窓口としても機能していくつもり」と話している。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース