アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 70人

店長情報 トップページ
店長情報

2005年02月27日

夢はF1、18歳の挑戦



 「厳しいことは百も承知。でも、F1ドライバーになるためには世界に出て戦うしかない」-。県鴻城高校3年の松村浩之さん(18、宮野)が卒業後の進路に選んだのは、競争の激しいレーシングドライバー。小学3年からレーシングカートのステアリングを握り、鈴鹿サーキットレーシングスクールでその実力を認められた青年は、F1の登竜門として知られる「フォーミュラ・ルノー」に参戦するため来月、ヨーロッパへと旅立つ。

 松村さんがレーシングカートに初めて乗ったのは小学3年生の時。カーレース好きの父・伸夫さん(48)に勧められてのことだった。ただ、エンジンから放たれる爆音、スピードへの恐怖心から、最初は「全くおもしろくなかった。当時やっていたサッカーの方がよっぽど楽しかった」という。
 しかし、4年生の時に近くの旭村に本格的コースを備えたナチュラサーキットがオープン。さらに母・芳江さん(48)がその施設に務めることになり、松村さんも自然とサーキットに足を運ぶことが多くなった。すると、次第に走ることがおもしろくなり、大人に交じり同サーキットで開かれる「旭チャレンジカップ」に参加。初戦でふがいない成績に終わったことから、持ち前の負けず嫌いに火が付き、5年生の夏休み中に猛練習し、9月のレースで見事優勝。翌年は年間総合優勝(SDクラス)に輝き、いつしか「将来はF1ドライバー」という夢を抱くようになった。
 中学、高校と進むに連れ、松村さんのカーレース熱に拍車が掛かり、「ジュニアカート全日本選手権」「全日本カート選手権」「鈴鹿選手権MFCクラス」に次々と参戦。優勝こそできなかったが、週末ごとに全国各地を転戦しながら、レーサーとしての技術、精神力を養っていった。
 夢に近づく大きなきっかけとなったのが、高校2年生の時に入った「鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ」。F1ドライバーの佐藤琢磨を輩出した同スクールで、松村さんは基本的な運転技術やフォーミュラカーの操作方法などを学習。レベルが上がるごとに選抜試験が行われる厳しい内容だったが、最終的に8人しか進めない「アドバンスコース」にも合格。週2回、中嶋悟、金石年弘、伊藤大輔らトップドライバーからライン取りや「ヒール&トゥ」(ブレーキとアクセルを片足で同時操作する技術)などの指導を受け、着実に力を付けていくと同時に「フォーミュラカーレースに出たい」と強く思うようになった。
 そして、スクールの教官らと相談した結果、高校卒業後の進路に選んだのはヨーロッパで開催される「フォーミュラ・ルノー」への参戦。FルノーはF1、F3などに次ぐミドルレベルに位置しているが、キミ・ライコネンら数多くのF1ドライバーを輩出していることで知られる。国内にもFルノーと同レベルのレース(Fドリーム、Fトヨタなど)はあるが、松村さんは「日本のレースと違い、Fルノーには若手有望ドライバーが世界中から集まってくる。もちろんそれだけ競争は激しくなるが、そこで勝てばF1ドライバーの道も見えてくる」と、海外を選んだ理由を説明する。
 初めての海外生活。言葉や食事など、不安は大きい。また、無名ドライバーのため、給料はほとんどなく、現地ではレースと並行してアルバイトもしなければならない。「プロとしてやっていくには、結果が全て。勝てばスポンサーも付く。不安はあるけど、夢に一歩近づけると思うと、楽しみの方が大きい」と松村さんの表情も明るい。

  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2005年02月27日

札の辻・21

 司馬遼太郎記念財団が主催する第9回菜の花忌に、ことしも招待をうけたので出席した。ステージに3千本の菜の花を飾る大阪サンケイホールは2階まで満席だった。
 第1部は今年度の司馬遼太郎賞の受賞者である評論家松本健一氏の表彰式と氏の受賞記念講演があり、第2部では「日本人を考える」を主題にして安藤忠雄氏が「土地と日本人」、養老孟司氏は「日本人と自己」と各々のサブタイトルで講演をした。
 受賞した松本氏の「評伝・北一輝」は、昨年10月の全国報道機関、作家、学者、文化人によるアンケートの中から、マスコミ11社の代表と陳舜臣、ドナルド・キーン、井上ひさしの各氏により選考されたもので、松本氏の記念講演も迫力があった。即ち魔王とまで呼ばれ、天皇機関説を主張する思想家北一輝が、2・26事件の首謀者とされ銃殺されるまでの一生を追った伝記で松本氏は左翼からは右翼、右翼からは左翼と呼ばれた自己分析をしながら、昨今、天皇家と国民の関係が最も至近距離にあることは意義があると話す。
 安藤氏は自然派の立場で現在取り組み中の「桜の会」について、大阪の街は京都や東京と違い官でなくて民でつくられてきた。それがいま誇り高い自立精神が失われて街に元気がない。造幣局の「桜の通り抜け」につづき、中之島公園を中心に桜1千本を、市民1人が1本1万円で植えようと語る。養老氏は解剖医学の立場から見る現在社会の裏面を解説した。
 菜の花前線は南国指宿から発し本州へ到達した。間もなく菜の花の沖が見えてくる。       (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2005年02月26日

05年度予算は454億円

 山口市はこのほど、2005年度当初予算案を発表した。一般会計は454億2千万円で、前の年に比べ4・0%減。ただし、合併に伴う電算システム統合事業費(約7億円)や減税補てん債の借り換え分(約6億円)を除いた実質的な額は441億1800万円、前年度比1・5%減となった。3年連続マイナスという厳しい予算編成に合志市長は「緊縮型だが、新県都建設の布石づくりと、緊急課題への対応ができた」と説明。今回初めて導入した「包括的予算制度」により、市民ニーズに的確に対応できる事業を選定した。なお、このたびは通年予算編成としており、合併後は9月末で打ち切り決算を行って執行残額を新市予算に移行する。
 国と地方の税財政を見直す「三位一体の改革」の影響で補助金や地方交付税などが減額、歳入が減る一方で、市の借金返済に充てる公債費など義務的経費がふくらみ、山口市の財政は極めて厳しい状況にある。そこで、05年度の予算編成では、あらかじめ配分された金額の枠内で各部局が事業を選択する「包括的予算制度」を初めて導入。市民に近く、行政サービスを実際に担当する各部局が予算編成の権限を持つことで、限られた財源を市民の目線に立って効率的に配分できるようにした。
 三位一体の改革による影響額としては、約4億600万円の減少を見込む。国庫負担金の約2億6千万円減や臨時財政対策債の約4億800万円減などに対し、改革に伴う減額に対応した財源措置「所得譲与税」(国から地方への税源移譲)が2億5500万円増となることから。
―歳 入―
 歳入の4割を占める市税は、伸びが見込まれる法人市民税と減少見込みの個人市民税を差し引きして、0・4%増の186億1700万円。地方交付税が1・5%減で62億2千万円、臨時財政対策債が21・9%減の約13億5700万円、国庫支出金が4・0%減の約39億9400万円、所得譲与税は4億9千万円。
 市の借金である市債の発行は57億1800万円。05年度末の市債残高は、今年度決算見込みと同じ過去最高の678億円。歳入の不足分に対しては、財政調整、減債、開発振興の3基金から21億円を取り崩す。基金残高は、4年連続減少の61億4300万円となる見込み。
―歳 出―
 歳出の主なものは、人件費が1・6%増の約73億1900万円、福祉手当などの増加により扶助費が1・0%増の約64億7200万円。投資的経費では、大歳小学校校舎増築工事が終わることなどから8・1%減で61億3200万円、市債の返済に充てる公債費は3・0%増の63億5500万円。
 公債費比率(一般財源に占める公債費の割合)は20・0%と昨年より0・2%下がり、財政の健全さの目安となる起債制限比率(20%以上になると地方債の発行が制限される)は13・8%と0・7%増加した。また、財政指標となる計上収支比率は、地方交付税の減額が影響して94・5%。財政の硬直化が一段と進む。

一の坂川周辺整備、幼・保に通報システム
新規事業3件減の39件
 当初予算案に関連する新規事業は、前年度よりも3件少ない39件。うち10件は、包括的予算制度の導入に伴って新たに取り入れられた「プロポーザル事業」(各部局のプレゼンテーションから市長が選択した配分枠外の事業・予算1億円)だ。
 主な新規事業は、中心市街地の活性化を図る「一の坂川周辺地区整備事業」(5150万円)、大内文化観光地区内に案内所を設ける「観光案内施設整備事業」(2千万円)、私立幼稚園と保育園に防犯の緊急通報システムを設置する「幼稚園・保育園安全対策事業」(計485万円)、自治体単位で設置する子育て支援の場「地域型つどいの広場設置助成事業」(788万円)、市休日夜間急病診療所で外科にも対応する「休日夜間急病外科平日開設事業」(2307万円)、「市民参画システム構築事業」(250万円)など。

  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2005年02月25日

用途地域 拡大へ



 山口市は都市計画区域の適切な土地利用を図るため、用途地域の拡大や、用途無指定地域(白地地域)の建築形態規制の見直しに関する素案をまとめた。きょう25日とあす26日に説明会、3月18日に公聴会を開き、新たな都市計画案に対する市民意見を求める。

 山口市は、仁保地域を除く2万8405㌶が、一つの都市として総合的に整備・開発・保全される区域「都市計画区域」に指定されている。県が昨年定めた長期的な土地利用方針「都市計画マスタープラン」では、この区域を「自然・歴史・文化と活気に彩られた県都にふさわしい中核都市」に位置付け。適切な土地利用を保つために市街化区域と市街化調整区域とを区分けする「区域区分」(線引き)については、適用が望ましいものの当面は線引きをせず、建築形態規制などでコントロールする考えだ。このたびの山口市の見直しは、00年の都市計画法・建築基準法改正を受けて行うもので、同プランも踏まえた上で内容を検討。土地利用の大きな見直しは96年の同法改正以来9年ぶりとなる。
 素案内容は、土地ごとに建てられる建物の種類や用途などを示した「用途地域」の拡大と、それに伴う新たな準防火地域(一定規模以上の建築物について不燃化を規定)の指定、また快適な住環境を保つため建物の大きさや高さなどを制限する「建築形態規制」の見直し。宅地開発や道路整備等によって変化した現在の土地利用状況に合わせて変更している。
 用途地域は、これまで白地地域だった18カ所・約210㌶を新たに指定。吉敷地区4カ所、錦町2カ所、宮野下4カ所、県立大学周辺、青葉台周辺3カ所、大内御堀問田2カ所、黒川閏2カ所で、都市計画道路・御堀-平井線に沿う大内御堀問田の一部(準工業地域へ)を除いて、全てを「第一種低層住居専用」などの住居系用地に指定。従来からの用途地域の指定替えについては、都市計画道路沿線の神田町、泉町を住居や店舗、事務所などが建てられる「第二種住居」から商業施設や小規模工場の建築が可能な「近隣商業」に、下市を「第一種住居」(住居や3千平方㍍までの店舗等)から「準住居」(自動車関連施設等の立地が可能)に改めるなどしている。
 白地地域の建築形態規制は、市内一律だった容積率(延べ床面積の敷地に対する割合)400%、建ぺい率(建物面積の敷地に対する割合)70%から、北部地域(仁保地区除く)100%・60%、南部地域200%・60%、南部地区の一部(秋穂二島の長沢川左岸かつ惣栄橋以南)200%・70%へと3区分して見直す。それぞれの地域の特性に対応する形で設定し、近隣地域との整合性も図っている。ちなみに、県の決定により3月から適用される小郡町は100%・60%(一部を除く)、秋穂町は200%・70%。
 素案は都市計画課(?934-2831)で閲覧公表中。きょう午後2時からと6時半から、あす午後6時半から市役所第10会議室で説明会を開く。公聴会は3月18日(金)午後2時から同所で。市民意見を取り入れ、都市計画審議会などを経て8月をめどに決定する予定。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2005年02月25日

"いつでもアートふる"1周年

イベント加え 魅力アップ

 一の坂川や竪小路周辺の古い町並みを一つの美術館に見立てた秋のイベント「アートふる山口」を、小規模ながら年中楽しめるという常設展示企画「いつでもアートふる山口」が、今月で1周年を迎えた。新たな観光の目玉にしようと始まった市民手づくりの試みは、国民文化祭関連事業として市の06年度予算案にも盛り込まれるまでに成長。今年は関連イベントも打ち出し、さらに開催地域を盛り上げる。

 アートふる山口実行委員会が、歴史文化に恵まれたこの地域を秋の2日間に限らず、年間を通じてアピールしようと、05年2月に始めた企画。商店や喫茶店などのほか市歴史民俗資料館、山口市菜香亭といった公共施設、約20軒が常設展示場の「小さな美術館」に参加して、季節ごとのテーマに沿った共通展示を行っている。オリジナルメニューや小物などを販売しているグルメ・アイテムショップ22軒も、まち歩きの一つの楽しみとして観光客らに好評だ。
 開始から1年でずいぶんと定着したこの企画は今年、各展示期間中に関連イベントを行ってさらなる来場者の増加を目指す。「山口お宝展」に合わせた1月20日からの企画展では、小さな美術館を巡るスタンプラリーを初めて実施。135人が6軒以上のスタンプを集め、記念品を手に入れた。今後もそれぞれの企画展にちなんだ催しを用意して、交流人口を増やしていくという。

3月12日に「人形供養祭」
 3月1日には、桃の節句にちなんだ「お雛様めぐり」が始まる。参加店舗自慢の所蔵品や市民から寄せられた明治から昭和にかけての古いひな人形を中心に、めったにお目にかかれない珍しい人形を見て回ることができる。4月3日まで。
 なお、3月12日(日)午後3時からは八坂神社そばの築山神社境内で「お雛様供養祭」を実施。処分が難しいひな人形を引き取って供養し、同所でたきあげる。供養料は一対千円で、段飾りの場合は別途千円が必要。当日午前10時から供養祭が始まるまでの間に受け付けを行う。問い合わせ先は、山口まちづくりセンター内同実行委員会(TEL083-934-3515)。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2005年02月25日

山水園の庭園(山口市緑町)



 久しぶりに訪ね、庭の大きさに改めて感動する。権現山の斜面の山裾も庭に取り入れ、1万坪の広大な地に建物と、温泉の湯を流す池泉回遊式庭園(池の回りや、築山を回遊する様式)があり、アオサギやカワセミを見ることができる。

2月の暖かい日であり、湯気が表現出来ず残念だが、池の鯉の事が気になる。(マミヤRZ6×7 50㍉ F8 1/60秒)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2005年02月23日

みんなの拠点「森の夢」完成



 宮野上岩杖に、森林ボランティア「マロニエの森の会」(斉藤亘会長)の拠点施設「森の夢」がこのほど完成。10年来の夢をかなえた同会は、周辺の田畑や森林とともに市民に開放し、環境保護の大切さをこれまで以上に訴えていきたいという。27日(日)午前11時からは、一般へのお披露目となる落成式を開催。「気軽に参加して」と呼びかけている。

 美しい森と水を守る活動を続けている同会は、環境視察でパリ・リュクサンブール公園を訪れ、落葉樹の鮮やかな紅葉に心奪われた斉藤会長の感動がきっかけで設立された。「落ち葉は降った雨を保ち、美しい水を生む。深い根は山崩れを防ぐ」と落葉樹に熱い思いを込める斉藤会長の呼びかけで、96年春に発足。木戸山公園周辺での広葉樹の植林や手入れ、美化活動などを続けながら、「地球の緑を親から子へ」という目標に向かって森や樹木を地道に育んできた。会員は現在約90人。そして活動10年目を迎える今年、念願だった会の拠点をついに手に入れたのだ。
 2年前のこと。長年活動の場としてきた木戸山公園のふもとにあたる岩杖の伊藤賢彦さんから、ある話を持ちかけられたことがきっかけだった。手入れできずに荒れ果て、ゴミの不法投棄の恐れもある田畑や山林を管理してもらいたいという申し入れだ。1・2㌶の農地、広さ500平方㍍の古びた鶏舎、竹がはびこった里山を20年間、無償で借り受けることになった同会は、つるや雑草に覆われた田畑を1年以上かけてコツコツ整備。一面にコスモスの種をまき、10本のマロニエの木を植え、昨春は国際ソロプチミスト山口から贈られたクリ、リンゴ、イチジク、サクランボなどの果樹130本も植樹。さらに農地整備が一段落した昨夏、同会は新たな仕事に取りかかった。
 それは、かつて鶏舎として使われていた建物を手直しし、キャンプなどができる自然体験施設にしようというもの。改修には多額の費用がかかるが、「グラウンドワーク活動支援事業」として市と県から200万円の補助を受け、何とか材料費をまかなうことができた。屋根や壁を張り替え、鉄骨のさびを落としてペンキを塗り、入り口や照明を取り付け…。会員たちは仕事の合間をぬっては鶏舎を訪れ、改修作業に汗を流し、やっと今週、最後の仕上げとなる看板を掲げた。
 「森の夢」周辺には、自然の恵みがあふれている。生き物が豊かな渓流・岩杖川が側に流れ、辺りにはトンボやチョウなどの昆虫が飛び交い、山からは野鳥のさえずりが聞こえてくる。山菜採りやホタル狩りなど、四季折々の楽しみもいっぱいだ。「この恵まれた自然環境を最大限に生かし、我々が中心となって、多くの人とともに美しい森と水を育てていきたい。いずれは一帯をみんなの自然公園にしようと思っている。環境を壊したのが人間なら、元に戻すのも人間。皆さんもぜひここに足を運び、環境について一緒に考えてみませんか」と斉藤会長。27日の落成式では参加者とともに今後の活用法についても話し合い、会員以外の希望者にも貸し出しするという。
 問い合わせ先は、同会事務局の杉山さん(TEL083-928-0614)。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2005年02月23日

ニースへ行けるかも? 1

 “ニース行き、皆さんにご迷惑をおかけするのではないかと少なからず心配ですが、これが最後と甘えさせていただきます。いよいよとなりましたら町角に捨ててください”
 習字の先生でもあるFさんから手紙が届いた。ホッ、と私は笑ってしまった。町角に捨てるなんて…Fさんは元気だからきっと大丈夫だけれど、なにかあったら抱いて帰るわ、捨てるなんて、と思いながら、80を迎えたばかりのFさんの肢体を思いだした。2年前に一緒に露天風呂に入ったことがある、その時、しっかりと見たのだ。ピンク色のポチャとした腕やすべすべしたまっすぐな背中のFさんは、さて、どのくらいの体重なのだろうか、見当もつかない。なんキロだって、連れて帰りますFさん、と美しい文字に見とれながらつぶやいた。
 Fさんと私、それにあと3人の女性とで月1回、会って話して遊んでいる。私達はもう20年も前にT市で開かれた文学講座で知り合った。講座はすぐに終わってしまったが付き合いは続いた。その頃から毎月会っていたのではない。5年くらい前からこうなったのだ。なんとなく全員60歳を過ぎるとわかってくれる仲間が欲しくなる。気の許せる友達が欲しくなる。ただ喫茶店でコーヒーを飲んで、サンドイッチなんぞを食べて4時間くらいしゃべっているだけなのだ。まぁ、本だとか食べ物、旅行、映画、そんな話題かしら。女性店主とも馴染みになって、長居しても許してくれる。時々は一緒に話していくこともある。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2005年02月20日

厳しい不妊患者の現状 

高額な医療費、周囲の不理解など
県は今年度から医療費助成を開始
 赤ちゃんが欲しくても妊娠できない不妊症。日本では10組に1組の夫婦、推定30万人以上が不妊治療を受けていると言われている。医学の進歩と共に妊娠の確立は以前と比べ高くなったものの、高額な医療費、周囲の不理解など、不妊患者を取り巻く環境は依然として厳しい。こうした中、山口県は97年に不妊専門の相談センターを開設、今年度からは治療費の一部助成を開始するなど、徐々にではあるが支援体制を整えている。
 県が97年2月、防府市の県立中央病院内に開設した不妊専門相談センター。ここでは保健師や助産師、産婦人科医らが毎日交代で電話相談を受け付けており、相談件数が千件を超える年もある。
 相談の大半は、検査や治療の内容、副作用に対する不安、専門病院の情報など。しかし、医療保険適用外の体外受精や顕微受精は1回平均30万円前後の費用が掛かるため、経済的な負担を口にする相談者も少なくない。「不妊治療は長期になればなるほど、肉体的、精神的、そして経済的にも負担が大きくなる。赤ちゃんが欲しいという思いは切実で、定期預金を崩したり、親戚にお金を借りたりして、治療を続ける人もいる」と同センター。この他にも「治療と仕事の両立ができない」「『子どもはまだ?』と言われるのが辛い」「自分が劣っている人間だと思ってしまう」など、様々な悩みを抱えている。
 不妊治療を受けている女性を対象に、県が03年に行ったアンケート調査(回答数265人)からも、不妊患者を取り巻く厳しい状況の一端がうかがえる。アンケートに答えた女性の年齢は「30~34歳」が最も多く124人。次いで「25~29歳」71人、「35~39歳」49人の順で、「40歳以上」も11人いた。不妊治療の期間については、初期段階の「1年未満」の127人が一番多いが、「3年以上5年未満」28人と「5年以上」23人を合わせると、長期診療を受けている人は全体の5分の1を占めていた。
 また、これまでに要した治療費の総額は平均で43万円。体外受精を受けた人の中には「100万~200万円未満」が26人、「200万~500万円」も15人おり、県や市町村への要望(複数回答)でも「不妊治療の保険適用」(240人)、「不妊治療費の補助」(225人)を望む声が圧倒的に多かった。
 こうした状況等を踏まえ、県は二つの助成制度を柱とした「不妊治療等支援事業」を今年度から開始。不妊治療に伴う経済的負担軽減のための支援に乗り出した。
 その一つ「特定不妊治療費助成制度」は国からの補助を受けて実施しているもので、保険適用外の体外受精と顕微受精に対して年10万円を上限に2年間、国と県で2分の1ずつ助成。一方、タイミング法、排卵誘発法など保険適用される不妊治療に対しても、県独自の「一般不妊治療費助成制度」で支援。治療費の自己負担分を年3万円、県と市町村で2分の1ずつ助成している。想定申請件数(年間)は特定で500件、一般で3千件。
 ただ、こうした一時的な助成だけでは、まだまだ十分とは言えない。県が実施している「不妊専門相談」(面談式)の担当医でもある山口赤十字病院産婦人科の谷川正浩医師は「働く女性が増える中、診療時間の延長や休日診療なども検討しなければならない。また、悩みを抱えている患者さんに対して、専門的なカウンセリングも必要。経済的な理由で治療を途中であきらめざるを得ないケースもある。クリアしなければならない問題は多い」と指摘する。

西村知美さんのトークショー
26日に「不妊を考える集い
 県は、不妊患者への情報提供と一般の人達に理解を深めてもらうため、「不妊を考える集い」を26日(土)午後2時から湯田温泉の県婦人教育文化会館で開催する。入場無料。
 当日は、県立中央病院婦人科の中村康彦診療部長が「不妊症、その原因と治療」と題して講演。続いて、宇部市出身のタレント西村知美さんが「不妊治療、くもりのち晴れ」をテーマにトークショーを繰り広げる。西村さんは結婚後、2度の流産を経験。長く辛い不妊治療を経て、03年8月に待望の長女咲々ちゃんを出産した。著書に「天然出産」などがある。
 県健康増進課は「不妊症の患者さんが治療を続けていくには、周囲の理解が不可欠。1人でも多くの人に参加してもらいたい」と話している。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2005年02月20日

札の辻・21

 節分も過ぎ日陰に残っていた雪も消えた日、北浦からとれたての生ワカメが到来した。潮に濡れたままで春浅い海の潮騒が聞こえるようだった。
 ワカメは古くから昆布、荒布と共に日本特産の海藻である。北海道の一部地域をのぞき各地で採れるが、なかでも三陸、鳴門、島根、萩・長門のものが品質の良いことで知られている。
 以前NHKの鍋物料理特集で「ワカメしゃぶ」なるものを紹介していたことを思い出し、わが家流にワカメのとりあわせには、雪の下でたくましく育った冬野菜の王ダイコンとの小鍋仕立てにしてみた。
 ダイコンの歴史もまた古い。万葉集には仁徳天皇が皇后の美しさを称えて、「オオネ(大根)のように真っ白い腕」との歌もあるごとく、昔から日本人の好む健康食には豆腐と大根が主役で、おろし、ミソ汁、煮物、漬物と多角的に食材として利用されてきた。
 さて、わが家では仁保産で、ダイコン足と呼ばれても恥ずかしくないほどの、豊饒で純白な1本が手に入った。
 まずダイコンの皮をとり、厚さ5㍉ほどの輪切りにしておく。
 昆布を敷いた小鍋が沸騰してきたらダイコンを入れ、ダイコンが躍りはじめると適当に切ったワカメを加える。みるみるうちにワカメは美しいみどり色に変わるから、早速ゆずポンズと七味で食べる。特に芽茎はあざやかでダイコンの白とワカメのみどりが早春譜を奏でているような気分となり、里山のフキノトウや岬に乱舞するウミネコの声などを偲べば、これからつづく三寒四温の日々も重なる。                 (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻