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2007年08月25日

誠英高自転車部 山下一輝くん 日本代表としてアジア大会出場



 誠英高校3年の山下一輝くん(18)が、9月3日からタイで開かれる「第14回ジュニア・アジア選手権自転車競技大会」に、日本代表選手として出場する。「自分より強い外国人選手の走りを見るのが楽しみ。結果はともかく、最後まで全力で挑戦したい」と意気込んでいる。

 山下くんが本格的に自転車競技を始めたのは中学生の終わり。中学3年間は野球部だったが、テレビで見た競輪選手にあこがれ、地元のジュニアスポーツクラブに入会。「将来はプロへの道に進みたい」と、誠英高校に進学して自転車部に入り、県自転車競技連盟理事長を務める久和正孝さん(65)の指導の下、短期間でめきめきと力をつけてきた。
 持ち味は、レース後半になってもトップスピードを維持しながら粘り強くこぎ続けるスタミナ。「普通の選手は後半スピードが落ちてくるが、彼は人が苦しいところで我慢する忍耐力がある」と久和さんは評価する。山下くんはこの2年半、ほぼ毎日競輪場に足を運んで自転車の練習に没頭。津和野や須佐方面まで往復100~200kmを走るロード練習もこなし、持久力をつけてきた。
 「最初のころはきつくてやめたいと思ったこともあったけど、今では趣味も特技も自転車。夢は高校時代に日本一になり、将来競輪選手になること」ときっぱり。自転車を通して精神面でも鍛えられ、人間的にも大きく成長できたという。
 2年生の時には兵庫国体(1kmタイムトライアル)で4位、シドニー・ユース・オリンピックフェスティバル(ケイリン)で6位、3年になってからは5月のJOCジュニアオリンピックカップ(1kmタイムトライアル、スプリント決勝)で2位に入賞。そして、優勝を目指して臨んだ今月のインターハイ(1kmタイムトライアル)では自己ベストの1分7秒を出したが、惜しくも0・5秒差で優勝を逃し、2位という結果に終わった。
 しかし、これらの成績が認められ、今回アジア選手権大会の日本代表選手に選ばれた。山下くんは、今週初めから静岡県で行われている代表選手(男子6人、女子2人)の強化合宿に参加しており、8月30日に成田空港からタイに向けて出発する予定だ。
 久和さんは「アジアには手ごわい選手が多いが、彼なら優勝も可能」と期待を寄せ、山下くんは「強い選手を見て、世界のレベルを肌で感じることができるいいチャンス。結果はともかく、最後まで挑戦者として全力で走りたい」と闘志を燃やしている。

  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2007年08月25日

香山公園、常栄寺に千本以上の和ろうそく「山口ゆらめき回廊」開催



 きょう25日、9月8日(土)、22日(土)の計3日間、香山公園と常栄寺で「山口ゆらめき回廊」が開催。千本を超える和ろうそくと竹灯籠が灯され、ライトアップとはひと味違った幻想的な雰囲気が味わえる。主催の市デスティネーションキャンペーン実行委員会は「山口の夏の風物詩として定着させたい」と話している。

 きょう25日と9月8日、22日の3日間、午後7時半から国宝・瑠璃光寺五重塔が建つ香山公園と常栄寺で「山口きらめき回廊」が開かれる。
 これは、今年1月に行われた山口お宝展のオープニングイベント「キャンドルライトの点灯」が来場者から好評を呼んだため、山口商工会議所(TEL083-925-2300)や市観光課などで構成する「市デスティネーションキャンペーン実行委員会」が山口の新たな目玉イベントにしていこうと提案。来年行われる同キャンペーンのプレイベントとして、「山口きらめき回廊」と銘打って第1回目を25日に実施することにした。
 香山公園では、五重塔に続く石道と毛利家墓所で合わせて約千本の和ろうそくに火が灯され、幻想的な明かりが一帯を包み込む。また、常栄寺では山門から鐘楼までの道をろうそくの炎が彩る。
 そのほか、香山公園では7時半から30分おきに計4回、大内文化まちづくりサポーターによる紙芝居「五重塔はかくして残った」の上演が、常栄寺では庭園内(要入園料)で、虚無僧の格好での尺八演奏が行われる。
 同委員会は「大内文化の象徴で、山口の観光シンボルでもある五重塔の更なるPRのためにも、山口の夏の風物詩として定着させていきたい」と話している。

  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2007年08月25日

札の辻・21

 わが家の近くを椹野川に合流する仁保川が流れている。
 葦原の繁った川土手には旧盆を過ぎる頃から月見草が咲きはじめる。
 月見草は待宵草、大待宵草の別称があり、南米または北米から1850年代(嘉永年間)に渡来したという。
 草丈は60センチくらいだが、夕暮れになると黄白色四弁の清楚な花を開き、翌朝になるとしぼんで淡紅色となる。
 明治の生んだ詩人で画家の竹久夢二は、郷里岡山は旭川の河原に咲いた待宵草(または大待宵草)を見て「待てど暮らせど来ぬ人を」と、やるせない想いを月と花にからめ、待宵草を故意に逆さにして宵待草の歌を作詞した。
 作家の太宰治は代表作「富嶽百景」のなかで、
「私の目には、いま、ちらと見た黄金色の月見草の花ひとつ花弁もあざやかに消えず残った。三七七八米の富士山と立派に相対峙し、みじんもゆるがず、けなげにすっくと立っていたあの月見草はよかった。富士には月見草がよく似合ふ」と書き、現在、富士山を望む山梨県の御坂峠に「富士には月見草がよく似合ふ」と刻まれた太宰治の文学碑が建てられている。
 いずれにしても月見草の咲く8月下旬にもなると、残暑きびしいなかにも川面を渡る朝夕の風には、晩夏のもたらす涼感が秘められている。そして葦原の上には季節の句読点の如く、赤トンボが数匹姿を見せはじめ新秋が近づく。   (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻