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店長情報

2012年03月31日

「大路ロビー」が新たなスタート



大内氏遺跡などのガイダンス施設に

 あす4月1日から、大殿大路の「大路ロビー」が「大内氏遺跡を中心とするガイダンス施設」として新たなスタートを切る。運営組織も「大路ロビー運営委員会」から「大路小路まち・ひとづくりネットワーク」(内山秋久代表)に名称変更。展示パネルなどが設置され、7日(土)から一般にもお披露目される。
 この施設は06(平18)年5月にオープン。毎年秋に開催されている「アートふる山口」のテーマ館として使用され、催しの事務局、伝統工芸品の販売、ギャラリーなど、多くの役割を担ってきた。
 しかしながら6年が経過し、施設のあり方を見直す必要性に迫られた。そこで、地域住民を交えた話し合いを開催。その結果、今後は「大内氏館跡池泉庭園」「龍福寺周辺」「十朋亭」など、周囲に数多く残る遺跡や文化財の発信・案内拠点として活用されることになった。
 内山代表は「3月に開催した『大殿ひなさんぽ』のように、住民と力を合わせた催しも企画していく。市と連携して、これまで以上に地域を盛り立てていきたい」と話している。

  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2012年03月31日

札の辻・21

 明日から4月である。キジバトが近くの電線で毎朝「デデッポッポー」と鳴いている。のどかなその声にうららかな春の旋律が生まれ、植物の発芽につづく開花前線も南から北へそして山麓から山頂へと伸びる。
 後河原、亀山公園だけでなく山口は町角や川筋にまでサクラ咲くの時期にめぐまれており、裏鳳翩の県道や、宮野奥の徳佐へ抜ける山道をたどると、満開の細枝に陽光を浴びたヤマザクラの一樹を見出すのも山口ならではの季節である。
 山口から津和野まで山口線沿いにも里桜あり山桜が目立つ。
 その津和野から山口までの通学経験を持ち山口高校から東京芸大出身の岩本拓郎氏の「さくら・桜・SAKURA2012」個展がいま井筒屋で開催中である。
 「桜、満開の桜、目の前にひろがり、私を包み込む桜。目をとじる。目の奥に浮かぶ桜、記憶の中にある桜、あの桜、あの時の桜。心で感じる桜。それは形ではない。不思議なひろがり―」とは今回の個展に寄せた氏のレポートの一節。
 数百年の星霜を越えてきた桜の老樹と共に一生を暮らした男を書いた水上勉の力作「桜守」を思い出す。丹波の山奥で生まれ京都で植木職人となり、一生を桜樹に託した男は琵琶湖の湖岸で見出した一本の桜にほれこみ、老骨を老桜の樹下にまでと守り続ける。
 画展の空間に万朶の花びらが匂う。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2012年03月30日

稜線

 地震に強いという説は本当か、国宝の五重塔11塔の歴史、工法、見所を詳細に案内した「五重塔入門」がこのほど新潮社から新しく出版された。
 戦国武士の墓標として1442(嘉吉2)年に竣工した山口瑠璃光寺五重塔も周辺の自然景観と共に優美な姿で写真紹介されている。その解説は塔身高21・48メートル、初重柱間5・096メートル。屋根は桧皮葺の勾配がゆるやかで軒反が美しい。塔は全体として和様を主調とするが、禅宗系のデザインも細部にまで取り入れられている。解説はつづく。この塔には家紋が入っており、二重の板壁に唐花を中央にあしらった飾板の大内菱で、12世紀中葉から16世紀半ばにかけて西国一帯を支配した大内氏の紋所である。歴代の当主のうち、この塔の創建にかかわったのは大内義弘と盛見の兄弟、しかし竣工は教弘のときである。1616(元和2)年には滅亡した大内氏に替わる毛利氏が萩城下へ塔を移築しようとするが、山口在住民の熱望に応じて〈願之通リ可差置候事〉の裁下があり現在に至るの詳述もある。
 他に法隆寺(奈良)醍醐寺(京都)羽黒山(山形)など国宝11塔の実態が紹介されている。
 山口の自然に絡み地震・風雪に耐えて570年の建築美である。(F)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)稜線

2012年03月30日

山口国体の感動を再び! 維新公園で記念展示



 昨年開催された山口国体と全国障害者スポーツ大会(山口大会)閉幕から約5カ月。国体のラグビー、体操、陸上、弓道、山口大会の卓球、陸上競技が行われた維新百年記念公園では、総合優勝の感動を再びよみがえらせる「記念展示」が開かれている。同施設を運営する県施設管理財団の主催。
 スポーツ文化センター2階の図書室に、県代表選手が使用したユニホームや用具をはじめ、大会の様子を迫力満点に撮影した写真、表彰状、メダルなど約150点が並べられている。視覚障害者競技用の転がすと音がする卓球ボールや、点字パンフレットなど、実際に展示物に触れられるコーナーもある。
 同財団・樫部裕人理事長は「選手の健闘を多くの人に知ってもらいたい。また、各競技に関係する品々を間近に見ることで、スポーツに興味を持つきっかけになれば」と話す。
 期間は来年の3月まで。展示物は随時入れ替えられ、近々、成年女子走幅跳で優勝した岡山紗英子選手と、砲丸投2位の横溝千明選手愛用スパイクも登場する予定。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2012年03月30日

水道局受配電室 (山口市宮島町)



 昭和10年水道発足にポンプ室として建てられたもの。県内では明治39年に初めて下関市で水道が作られたが、山口市は小河川が多くあり、民家で簡単に井戸水が取水されるため整備が遅れたと聞く。当時の水道料金は一家5人まで月1円20銭、1人増えるごとに15銭追加、車を1台所有すると2円50銭などの、いわば贅沢税を掛けたとあり、大雑把な時代の意味を思う。
建物の裏側からの撮影だが、レンガ作りの表現は出来たと思う。
(ニコンD200 80ミリ F8 1/125秒)
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2012年03月28日

No.250 2年ぶりに開催される「湯田温泉白狐まつり」実行委員長 宮川 力さん



4月7日(土)と8日(日)に、2年ぶりに開かれる「湯田温泉白狐まつり」の実行委員長を務める。49(昭24)年4月に始まった祭りは、今年64回目を迎える。「被災地へのエールを込めて、よりいっそう賑々しく盛り上げたい」と熱く語る。
 来年は、長州ファイブの一員だった井上馨が渡英してから150年目。この節目の年を控え、メーンステージの高田公園は30日、井上公園の名称に戻される。整備計画も目白押しだ。「新しい歴史公園のお披露目となる。祭りをきっかけに、維新志士の生誕地を広く知ってもらえれば」
 震災後激減した湯田温泉への観光客は、国体の前後から回復傾向だ。その勢いのままに、2日間で5万人の人出をもくろむ。「初日夜には、初開催のスリッパ卓球決勝戦もある。観光客にも地域の人にも、心から楽しめる祭りを目指す」

41(昭16)年8月、福岡県福津市生まれ。36(昭11)年創業の西の雅常盤会長。県旅館生活衛生同業組合や湯田温泉旅館協同組合の各理事長など、多くの要職を兼ねる。自称、根っからの「仕事人間」で、趣味も旅行。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)聞かせて

2012年03月28日

31日・4月1日 生協まつり



抽選会、キャラクターショーなど

 毎年10万人近くの来場者がある、コープやまぐち主催の「第37回生協まつり」が、31日(土)と4月1日(日)、維新百年記念公園内の県スポーツ文化センター一帯で開催される。時間は午前9時半から午後5時(1日は4時半)まで。
 メーン会場のスポーツ文化センターでは、恒例の「お楽しみ抽選会」が開催。特賞の東京ディズニーリゾート1泊2日ペア旅行券ほか、豪華賞品が多数用意されている。さらに盛岡冷めんなどの東北名産品販売や縁日ゲーム、地産知食コーナーも設けられる。アリーナ前広場には食べ歩きコーナーやメーカー・問屋直売コーナーも。
 一方、野外音楽堂でも催し多数。子どもたちに人気のキャラクターショー(入場無料)は午前11時半からと午後2時半からの各日2回で、31日に「はなかっぱ」、1日に「海賊戦隊ゴーカイジャー」が登場する。1日午後0時10分からは、よさこい大会があり、2時半からは出場14チームによる総踊りも披露される。そのほか、ミニSL試乗など、盛りだくさんのプログラムが用意されている。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2012年03月28日

ふしの川情景

 先日、ふしの川の土手を散歩した。日曜日の午後3時頃で、少し平年より寒い日だった。それでも、もう冬は去ったというのはわかった。吸い込む空気の中に春の気配は濃厚だった。寒さの苦手な私は、川に向かって大きく深呼吸し、これからは暖かくなるばかりだと安堵した。 
 川では、43羽のおしどりが、矢印の形で上流をめざしていた。中州の葦の原では、青鷺が一羽水面を凝視していた。葦は枯れて褐色で折れたり、曲がったりしていた。土手の上の道を二人の男性が並んで走っている。帽子をかぶっていたので、年齢はわからなかったが、背が真っ直ぐ伸びて若々しい身体をしていた。
 対岸では、車が速いスピードで走っている。病院だろうか、5階建てのビルがあり、3階の窓に三つの人影が見える。4階に窓はなく、5階のすべての窓にはカーテンが引かれている。隣は写真館で、横はうどん屋。土手の終わりに廃屋があり、猫が眠っていた。猫の上にだけうっすらと陽が差し込んでいる。遠くの方にアドバルーンが揚がっている。
 急に強い風が吹いてきて、おしどりの矢印の形が崩れて、羽が乱れ、青、緑、赤、茶、黒色が華やかに開いた。青鷺は、片足を曲げたままじっと動かない。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2012年03月24日

~25日 震災直後の河北新報 支援イベントで展示



 東日本大震災復興支援イベント開催中の道場門前商店街で、東北地方のブロック紙・河北新報の11(平23)年3月12日・13日付紙面が20日から追加展示されている。同イベントの被災地写真出展者の気仙沼市元職員・梅津覚太郎さんが提供した。旧健勝苑であす25日まで。
 紙面には、震災発生時や直後の様子をとらえた写真に加え、安否、ライフライン、利用できる医療施設など、他地域では報じられていない生活関連情報が事細かに記載されている。
 「マイクロフィルム化されるため、新聞そのものは僅かしか残されていないという。現地記者の目線で、大災害の惨状を詳しく知ることができる貴重な内容です」と同商店街。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2012年03月24日

札の辻・21

   ビール樽
 コロガセ、コロガセ
 ビール樽、赤い落日ノ
 ナダラ坂、
 トメテモトマラヌ
 モノナラバコロガセ
 コロガセ、ビール樽
        白秋
 先週所用で北原白秋のふるさと有明海に近い柳川市に行った。
 柳川は明治の鉄道造成に反対して鹿児島本線を拒否、1938年になって博多から西鉄大牟田線が開通して以後、水郷の風情ある城下町としての繁栄をとり戻した。
 山陽本線乗り入れに反対し支線利用となった山口市と似通っている。
 立花藩12万石の城下町は筑後川河口を縦横に巡らした掘割と柳並木が目立つ史都である。
 ひさしぶりに宿泊した立花家別邸の歴史をもつホテル「お花」では有明海の通称クツゾコと呼ぶ大型舌ヒラメを眼玉だけ残して堪能した。
 柳川に酒造家の長男(トンカ・ジョン)として生まれた北原白秋は「わが詩情の母体は水の町柳川である」と青年期を過ぎてから青春をバネに《ふるさと》を肯定し美化した。その郷愁のイメージは中原中也の望郷詩情と通じるものを想う。
 柳川はいま雛まつりイベントの最中である。おひな様水上パレード、流し雛まつり、柳川きものまつりなど商店街中心に4月3日までつづく。江戸時代からの味覚ウナギの蒲焼にタレを絡めたセイロ蒸しをひるめしに、早春の筑後平野を電車で博多へ急ぐ。   (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻