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2012年07月28日

ボーイスカウトの祭典 日本ジャンボリーまで1年


 阿知須のきらら浜にボーイスカウトたちが集う「第16回日本ジャンボリー」(日本大会、来年7月31日~8月8日)まで、あと1年。この大会は「第30回アジア太平洋地域スカウトジャンボリー」も兼ね、国内のみならずアジア太平洋地域の小6から高3までのボーイスカウトら1万5500人(うち海外1500人)が参加する。
 3年後には161カ国・地域から3万人(同2万4千人)が集結する「第23回世界スカウトジャンボリー」(世界大会)も控える。日本大会は、そのプレ大会としても注目されており、両大会を通じて、ボーイスカウトの活動を広くPR。山口の魅力を世界に発信する場としての期待も高まっている。
 「市中心商店街を世界各地のボーイスカウトたちが歩き、街行く人たちと交流を深める。そんな『小さな国際貢献』ができれば」―。自身も長年、ボーイスカウトの活動に携わっている市教委社会教育課の上村浩司課長は個人的な考えとして、両大会への“夢”をこのように話す。
 世界大会では、県内すべての小中学校を各国から集まったボーイスカウトたちが回り、交流を図る計画がある。日本大会の開催時には、その予行練習として県内70程度の学校を巡回する計画だが、上村さんは「幅広い世代と触れ合えるようにしたい」と続ける。
 また、両大会とも一般の人も会場でボーイスカウトの活動の様子を見学できる。日本大会では、ボーイスカウトのメンバーでない子が野外遊びなどを体験できるプログラムも用意される予定だ。
 ただ、両大会の具体的な運営方法については、主催・主管するボーイスカウト日本連盟(東京)が中心となって内容を協議している段階で、年末まで骨子は固まらない。課題となっているのが、湿地帯のきらら浜でキャンプ地などの会場設営が十分にできるかどうかだという。日本ボーイスカウト県連盟は、8月に現地で実際に野営をするなどして、円滑な運営に向けた課題を洗い出す方針だ。同県連盟の蔦川常慶事務局長は「山口に来て良かったと思ってもらえるような大会になるよう、全力で取り組みたい」と意欲を見せている。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2012年07月28日

札の辻・21

 住宅の庭先や舗道の一角にキョウチクトウ(夾竹桃)の花があざやかに咲いている姿を見かけるようになった。真夏を迎えてから開く花はめずらしく数少ないので目を引くようになる。
 =キョウチクトウは高さ2・3mの常緑低木。インドの中央部からアフガニスタン、イランなどが原産で、日本には江戸時代末期に到来した。今では公園や道路筋などに植栽されており、その葉は肉厚で細長く夏季を迎えると枝先にピンクや白い花を競うように咲き重ねる=と歳時記にあるごとく炎天下を咲きつづける花。
 思い出が残る。かつて初夏の中国は南京、蘇州を旅したとき、町筋や集落の至るところにキョウチクトウが咲いていたことを。クリーク脇に並ぶ民家の土塀際の花は見事で、通訳の女性が中国の少女はキョウチクトウの花を髪に飾ると自慢した。その厚ぼったい葉はいかにも亜熱帯性の花木らしいが、東北地方や北海道ではしばしば寒波によって生育が遅れるから関西や九州地方にかけて多く植栽されている。
 作家井上靖は中国西域のウイグル地方を視察した旅行記に
 ―往古の古城も寺院も形骸化していたが、その幅広い庭園跡にはナツメの木とキョウチクトウが伸び残っておりおどろいた―と記述する。
 山口の真夏に咲くキョウチクトウの花に中国での回想を重ねて熱い季節に向かう。(鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2012年07月27日

稜線

 いよいよ、ロンドン五輪が開幕する。出場選手たちの全力プレー、記録の更新、そして日本選手団による一つでも多くのメダル獲得に期待しよう。時差が8時間あるのは少々つらいが、数多くの感動を与えてくれるはずだ。
 山口市からは、卓球女子で石川佳純選手(19)が、柔道男子100?超級で上川大樹選手(22)が、共に初出場する。2人とも全国的に注目を集めている選手でもあり「地元びいき」を超えて応援したい存在だ。
 石川選手は、シングルスでは第4シードに入った。3回戦からの出場で、かつ中国勢とは準決勝まで対戦しない組み合わせなので、上位入賞が期待できそうだ。さらに団体戦も第2シードに入り、第1シードの中国とは決勝まで当たらない。88(昭63)年のソウル五輪で正式種目になってから24年。これまで一つも取れていないメダルに、ようやく手が届くかもしれない。日本時間30日(月)に初戦を迎える。
 上川選手は、日本柔道チームの「エース」であり「大トリ」を務める階級への出場。試合は8月3日(金)にある。10(平22)年の世界選手権無差別級で、4連覇に挑んだテディ・リネール選手(フランス)を破って金メダルを獲得した再現に期待したい。(K)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)稜線

2012年07月27日

8月7日 “マイケルとマドンナが奪い合ったダンサー” ケントモリが初来山



スタジオ・レイ ワークショップ

 マドンナやクリス・ブラウンなど、世界のトップアーティストの専属ダンサーを務めているケントモリが直接ダンスを指導するワークショップ(スタジオ・レイ主催、ファーストホーム協賛)が、8月7日(火)に青葉台の同スタジオで開かれる。
 ケントモリは、名古屋市生まれの27歳。08(平20)年、渡米からわずか1年半にしてマドンナの世界ツアー専属ダンサーに抜擢された。翌年、マイケル・ジャクソンの世界公演「ディス イズ イット」オーディションにも合格するが、マドンナとの契約期間中だったため参加を断念。それから約2カ月後にマイケルが亡くなり、直後にあったマドンナの公演で彼にふんした追悼ダンスを披露した。その“マイケル生き写し”の姿が各国のメディアに取り上げられ、世界中を沸かせた。CM出演などで日本でも活躍の場を広げている。
 当日は、未経験者でも参加できる初級(午後6時から)と経験者対象の中級(8時半から)、各1時間半のクラスが開講される。参加費はいずれも4千円で、先着各75人。ファクス、メール(info@lilrei.com)のいずれかで、氏名、年齢、受講クラス、電話番号を明記して申し込むこと。
 さらに、12日(日)には同スタジオ出身で、元「劇団四季」の俳優・朝隈濯朗さんのミュージカルワークショップも初開催される。
 問い合わせはスタジオ・レイ(リル・レイ・ダンススタジオ、TEL083-923-1816)へ。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2012年07月27日

葵の紋がある燈籠(山口市上竪小路)



 氷上興隆寺は大内氏の氏寺で、大内氏の全盛時は栄えた場であったといわれるが、大内氏滅亡後、明治の時代境内に建っていた東照宮の社殿は移築、この地で宝現霊社と合祀され築山神社となる。社殿前の二基の大きな石燈籠に葵の紋を見る。日光東照宮権禰宜の高藤晴俊氏がこの地を訪ね、反徳川の長州の地に現存する事に驚いて感激されたと聞く。
石燈籠の笠石と葵の紋を大きく表現する。
手前の葉にある雨水を強調する為、広角レンズで大きく奥行を表現する。
(ニコンD200 80ミリ F8 1/30秒)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2012年07月25日

No.267 初出場ながらフラダンス日本大会で3位 髙橋 利枝さん



7日から9日まで宮崎市のシーガイアで開催された「第7回モク・オ・ケアヴェ・インターナショナル・フェスティバル」日本大会で、初出場ながら個人で3位に入賞。国内の実力者約5千人の前で、手作りの衣装を着てダンスを披露した。「2カ月前から緊張で食事がのどを通らなくなり、やせて衣装が合わなくなるほどだった。本番はいつも通りの力を発揮できなかったと感じていたので、まさか入賞するとは思わなかった」と驚く。
 5年ほど前、新町にある教室講師の踊りに衝撃を受けフラダンスを習い始めた。今ではインストラクターも務めており、週に4回、中学生から60代までの約50人にレッスンをしている。「フラダンスはわたしの人生そのもの。自分の店と実家の店での仕事、講師の“3足のわらじ”で忙しいが、もっと極めたい」

73(昭48)年7月、本町生まれ。野田学園高卒業後、東京の服飾専門学校へ進学。服飾やIT関連の企業に勤めた。01(平13)年に帰山し、夫婦でサーフショップ「ワンウェイサーフ」をオープン。実家は学生服販売「タケナガ」。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)聞かせて

2012年07月25日

ロベール・ドアノー「バヌーの昼食」1946年

 

フランスの写真家ロベール・ドアノーの展覧会が始まった。1930年代から80年代までのパリの市民が主な被写体である。市場の人々、酒場に集まる人々、さまざまな労働者、散歩する老人たち、子どもたち、そして有名な「パリ市庁舎前のキス」に代表される恋人たち。
 それぞれの写真からはさまざまな物語が読み取れるけれど、この一点は見ていて楽しい。撮影は1946年。戦争が終わったばかりで、物資も不足したまま。でも日差しが温かくなってきたので、みんなで外に集まって食事をしようか…という一場面なのだろう。 
 ばらばらの椅子、急ごしらえのベンチ。でもテーブルクロスをちゃんと敷いて食器を並べた。お母さんは後ろのドアから大きな鍋を抱えて今にも登場してくるはずだ。そんなささやかだけれど平和なひとときのうれしさは、生まれたばかりの赤ちゃんを抱く若い父親の笑顔に見事に表れている。
美術館副館長 斎藤 郁夫  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)サンデー美術館

2012年07月25日

いざという時に備えて 広がる自主防災組織



 市内でがけ崩れや断水などの被害が発生し、市民生活に多大な影響を及ぼした09(平21)年7月の豪雨災害から、21日で3年。その後も全国各地で自然災害が相次ぎ、市民の防災への意識は高まっている。いざという時に「ご近所さん」同士が協力して助け合うことも大切となる。
 そんな時に有効なのが自主防災組織だ。地域の自治会や学校区の単位などでつくられる任意の組織で、災害が起こった時に各自がどのように行動するかをあらかじめ定めておき、日ごろから訓練を積むなどして、災害に備えている。
 山口市は、06(平18)年に自主防災組織の認定に関する要綱を制定。これを受ければ、資機材の購入や活動に対する補助金が支給されるほか、防災に関する講座を受けられる。市内では、今月20日の時点で81組織が認定。年度ごとの推移を見ると、07(平19)年度の4組織を皮切りに、年々増加している。とりわけ、09年は18組織だったのが、翌10(平22)年には48組織と約2・5倍に拡大。豪雨災害をきっかけに防災意識が高まり、組織数も急増したことがうかがえる。
 ただ、今年4月現在の市の自主防災組織率は80・6%と、市内全域には及んでいない。組織そのものが立ち上がっていない地域もあり、市は説明会を開くなどして、組織化を促している。
 なお、県防災危機管理課によると、県内全体の自主防災組織率は4月現在で85・0%。組織率100%に達しているのは岩国市など8市町ある。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2012年07月25日

走り去る季節

 もう、7月も終わりなんて信じられますか! 私の感覚では、まだ3月なんですけれどね。そりゃ、庭の花も梅から桜、水仙に紫陽花と変化していますよ。でも、あっという間じゃないですか。私の部屋にはまだストーブがあります。片付け下手というより、時間の去るテンポが速くって、ついていけないんです。言い訳ですが梅雨の間、洗濯物をストーブを点けて乾かしたんです。
 日本に四季があって良い、といわれますが、そうかしら? 
 春は山々は桜で美しく霞むし、新緑は気持ちを浮き浮きさせる。雨ばかりの梅雨すら、しっとりと物事を考えさせてくれる。夏は西瓜に海水浴。海の色も空の色も青い。秋は落ち葉に埋もれた歩道を歩くのはとても好き。つま先で葉を蹴りながら歌を口ずさむ。冬は冷たい木枯らしが吹く中をマフラーを巻いて自転車で走ると賢い人間になった気がしてくる。
 反面、四季があるのは面倒。暑かったり寒かったり、湿気たり、乾燥したり、生活が面倒でたまらない。四季の変化をゆっくり楽しめない。人生は雑事とともに終わっていく、そう聞いたことがある。実感。この夏、サンダルを買おうと思っていたのに、もう夏も終わる…8月も9月もあっという間に走り去っていく。だからサンダルは買えない。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2012年07月21日

「あの火事を忘れない」 市中心商店街火災から1年



 市中心商店街で発生した火災から23日で1年がたつ。被害に遭った店舗の中には、別の場所へ移って営業を続けているところもあれば、休業や廃業を決めたところもあり、商店街に大きな傷跡を残した。だが、火災を機に、各店舗や商店街の防火意識が高まったほか、復興に向けた再開発計画も進みつつある。
 「火事だ! 火事だ!」。火災から1年を前にした17日、米屋町商店街の飲食店から火が出たという想定で、防火訓練が実施された。同商店街や中市商店街の店舗関係者ら約60人が参加。火災発生時の通報や初期消火、買い物客の避難誘導の方法を確認した。その後、市消防本部の指導により、消火器の使い方などを学んだ。米屋町振興会の下鐵太郎理事長は「商店街を利用している買い物客らの安全が第一。火事発生時には自然と体が動くように、繰り返し訓練をしていく」と話した。
 火災は昨年7月23日午後5時ごろ、中市商店街の店舗から出火。火はあっという間に近隣の建物に広がり、店舗・住宅9棟(延べ約1400平方メートル)が全半焼した。現場周辺は一時騒然となったものの、死傷者がでなかったのが唯一の救いだった。「火の回りが早く、どうすることもできなかった。状況をただ見守るだけだった」と、あの日も現場近くの店舗で働いていた女性は振り返る。火災後、焼け落ちた建物は撤去され、現在は更地になっている。火災で店舗を失い、今は別の場所で営業を続ける店の関係者は「商売ができなくなるということは、生活ができなくなるということ。初期消火がきちんとできていたならと思うこともある」という。
 跡地は、新たなにぎわいづくりの場として活用される日を待っている。商店街の中でも一等地とあって、土地活用を急ぐ声もあり、地権者などは先月11日、「山口市中市町一番地区まちづくり推進協議会」を発足させ、跡地利用策を検討している。同会のメンバーでもあるOK無線中市支店の藤本玲子さんは「しばらくはフリーマーケットなど、商店街の活性化につながるイベントで活用してほしい」と話した。
 ところで、本紙が昨年9月2日付の紙面で紹介した、大火に包まれながらも焼け跡に奇跡的になっていたモミジの木。今年3月には根本から約50センチを残して炭化した部分が切り取られた。“復興のシンボル”として復活が期待されているが、残念ながらいまだに芽吹いていない。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース