2002年06月09日
札の辻・21
書棚を整理していたら、「火の車板前帖」という本が出てきた。
詩人草野心平氏が東京小石川に赤提灯の店「火の車」を開店したのは、昭和27年の春であった。
その頃、神田で出版関係の仕事をしていた私は、都電の初音町停留所で降りて、白山上に向かう電車道の近くにある店によく行った。今から50年も前のことでまだ若い頃の話である。
「火の車板前帖」を書き、私に恵送してくれたのは当時店の手伝いをしていた橋本千代吉さんである。橋本さんは草野心平氏と同じく福島出身の青年だった。心平詩集「日本沙漠」の蛙の詩に出てくる「福島県石城郡上小川村の川原に」の村で、今はいわき市となっている。私とよく店に行ったのは、やはり石城出身で当時早稲田文学に所属していた津国という男だった。
店の黒板には詩人らしいメニューが書かれていた。
白夜-冷奴、五月-山菜サラダ、悪魔-酢ダコ、美人の胴-板ワサ、天-日本酒、麦-ビール、鬼-焼酎、白樺-ウォッカなどと。
火の車は、文字通り経営も火の車であった。
あの頃の文学、新聞、出版に関わる連中の飲みっぷりはすさまじかった。
心平氏自身も、夕飯でもない、夕食でもなく俺のは夕飲だと称し、肴は小皿に少し、一升ビンからのコップ酒で大抵客より先に酔っていた。結局は家賃、酒屋はおろか豆腐屋にまで借金し3年で店を閉じた。
きのふもけふも火の車。
道はどろんこだけど。
燃ゆるは夢の炎。
心平作詩、深井史郎作曲「火の車の唄」がなつかしい。橋本千代吉さんはどこかで元気だろうか。飲んでいるとすれば私と同じ「鬼」かも知れぬ 。 (鱧)
詩人草野心平氏が東京小石川に赤提灯の店「火の車」を開店したのは、昭和27年の春であった。
その頃、神田で出版関係の仕事をしていた私は、都電の初音町停留所で降りて、白山上に向かう電車道の近くにある店によく行った。今から50年も前のことでまだ若い頃の話である。
「火の車板前帖」を書き、私に恵送してくれたのは当時店の手伝いをしていた橋本千代吉さんである。橋本さんは草野心平氏と同じく福島出身の青年だった。心平詩集「日本沙漠」の蛙の詩に出てくる「福島県石城郡上小川村の川原に」の村で、今はいわき市となっている。私とよく店に行ったのは、やはり石城出身で当時早稲田文学に所属していた津国という男だった。
店の黒板には詩人らしいメニューが書かれていた。
白夜-冷奴、五月-山菜サラダ、悪魔-酢ダコ、美人の胴-板ワサ、天-日本酒、麦-ビール、鬼-焼酎、白樺-ウォッカなどと。
火の車は、文字通り経営も火の車であった。
あの頃の文学、新聞、出版に関わる連中の飲みっぷりはすさまじかった。
心平氏自身も、夕飯でもない、夕食でもなく俺のは夕飲だと称し、肴は小皿に少し、一升ビンからのコップ酒で大抵客より先に酔っていた。結局は家賃、酒屋はおろか豆腐屋にまで借金し3年で店を閉じた。
きのふもけふも火の車。
道はどろんこだけど。
燃ゆるは夢の炎。
心平作詩、深井史郎作曲「火の車の唄」がなつかしい。橋本千代吉さんはどこかで元気だろうか。飲んでいるとすれば私と同じ「鬼」かも知れぬ 。 (鱧)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)