2002年10月13日
札の辻・21
県立萩美術館・浦上記念館で「心のやすらぎ李朝」を観た。02年日韓国民交流年記念による朝鮮時代の陶磁展である。
122点に及ぶ作品の中で、素人眼にも驚いたのは「志賀さんの壺」として知られる高さ45.5センチ、直径43.6センチの白磁大型壺だ。これは作家の志賀直哉氏の所蔵であったが、氏が東大寺の別 当に寄贈したもので、今から約300年前の白磁で韓国では「満月壺(タル・ハンアリ)」と呼ばれた朝鮮王朝時代の名品である。なぜ驚いたかといえば、東大寺の観音院に飾られていたこの壺が、1995年に盗まれたとき警備員に追われた犯人が、参道の石畳に壺を叩きつけて粉々にし300余の破片となったが、その後6カ月の修復作業で以前と変わらぬ 姿に復元された奇跡の壺だからである。会場にある事件当時の現場写真から見ても完全な復元で、落ち着いた乳白色の釉肌に、白い頬ひげを貯えた志賀直哉氏の柔和な顔が浮かんでくる。
李朝はわが国でいうと南北朝から明治末期に至る約500年余の長い歴史があり、その間の陶磁器にもいろいろな変遷・発達があった。
粉青という李朝陶磁伝統の技法を日本では三島と呼び、彫三島、釘彫三島、刷毛三島、絵三島などがある。
数多く並ぶ作品のうちで、四君子(梅、菊、蘭、竹)の文様が浮かぶ白磁の角瓶に惹かれた。19世紀前半の作だが、洋酒にも日本酒にも使えるかと、けしからぬ 連想もしたことである。 全作品見学で少々疲れて美術館を出ると、城下町にはキンモクセイの匂いが漂っていた。 (鱧)
122点に及ぶ作品の中で、素人眼にも驚いたのは「志賀さんの壺」として知られる高さ45.5センチ、直径43.6センチの白磁大型壺だ。これは作家の志賀直哉氏の所蔵であったが、氏が東大寺の別 当に寄贈したもので、今から約300年前の白磁で韓国では「満月壺(タル・ハンアリ)」と呼ばれた朝鮮王朝時代の名品である。なぜ驚いたかといえば、東大寺の観音院に飾られていたこの壺が、1995年に盗まれたとき警備員に追われた犯人が、参道の石畳に壺を叩きつけて粉々にし300余の破片となったが、その後6カ月の修復作業で以前と変わらぬ 姿に復元された奇跡の壺だからである。会場にある事件当時の現場写真から見ても完全な復元で、落ち着いた乳白色の釉肌に、白い頬ひげを貯えた志賀直哉氏の柔和な顔が浮かんでくる。
李朝はわが国でいうと南北朝から明治末期に至る約500年余の長い歴史があり、その間の陶磁器にもいろいろな変遷・発達があった。
粉青という李朝陶磁伝統の技法を日本では三島と呼び、彫三島、釘彫三島、刷毛三島、絵三島などがある。
数多く並ぶ作品のうちで、四君子(梅、菊、蘭、竹)の文様が浮かぶ白磁の角瓶に惹かれた。19世紀前半の作だが、洋酒にも日本酒にも使えるかと、けしからぬ 連想もしたことである。 全作品見学で少々疲れて美術館を出ると、城下町にはキンモクセイの匂いが漂っていた。 (鱧)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│札の辻