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2003年08月10日

札の辻・21

 長い不況につながるような、うっとうしい今年の梅雨であった。
 その梅雨の晴れ間に市民の眼をあつめたのは、夏の高校野球予選で準決勝に進出した山高野球部の健闘である。岩国高と決勝戦を行えば、明治初年創立の山口県5中学(岩国、徳山、山口、豊浦、萩)を代表する戦いになると期待をしたが惜しかった。
 山高の前身、旧制山口中学が甲子園に初出場したのは、33(昭8)年春のセンバツだった。好投手御園生崇男を中心のチームは、1回戦で大阪の強豪浪華商業と対戦し5-3で惜敗した。この大会には球史に残る巨人軍の名投手沢村栄治も京都商業の投手として活躍している。
 御園生はその後関大を経て阪神タイガースに入団、51年まで投手で活躍するが、打者としても3割近い打率をマーク、二刀流選手と呼ばれ、野口二郎(阪急)と共にプロ球界の双璧だった。
 山中野球部からは御園生に続き、チームの主将で名投手の名が高かった小林吉男(45期)も阪神に入団し活躍した。
 とくに御園生は47年阪神が戦後初優勝したとき、若林、梶岡と三羽ガラスといわれ、御園生は13連勝を飾って優勝に貢献した。この年、山口県営球場(現県立中央高)で太陽ロビンスと阪神のオープン戦が行われ、御園生はスタンドの市民から熱い声援をうけた。
 阪神タイガースの今年度セリーグ優勝は間もなく決まるだろう。
 戦後の阪神初優勝の主軸だった御園生崇男を思い出すとき、山口と阪神タイガースとの因縁は深く、「熱球」に「六甲おろし」が重なる。(鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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