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2004年02月15日

札の辻・21

 所用で下関に行き、時間が空いたので久しぶりに唐戸の海岸から関門海峡を眺める。
 濃紺の冬波が大きくうねりながら岸壁に寄せてくる。海峡の潮は東流れなのか、西に向かって進むパナマ船籍の大型船の船足が遅い。
 この海域で長州藩がアメリカの商船をはじめ、フランス、オランダの軍艦に砲撃を行ったのは、1863(文久3)年4月のことであった。
 その日、フランス軍艦キャンシャン号は、長崎へ向かうため関門海峡を航行中に攻撃された。
 長州藩は久坂玄瑞の率いる萩本藩の藩兵をはじめ長府、清末各藩の援軍を合わせて約千名、「攘夷」にたぎる藩論の意気を示したものだ。だが1カ月後には各国連合艦隊の報復攻撃によって、長州軍は壊滅的な打撃を受けることになる。
 1863年の春といえば、あの新選組も京都残留組と江戸帰幕組に分かれ、近藤勇らは壬生浪士隊となり、京都の守護体制に苦渋するときである。
 唐戸岸壁には、いまひとつ遠い歴史の潮音を伝える存在があった。
 フランシスコ・ザビエル上陸記念碑である。
 1550年、西日本の覇者大内義隆を山口に頼るザビエルは、鹿児島から平戸を経由して、下関に上陸したいきさつを碑文に記し、上半身のザビエルのブロンズ像と「今世界を手に入れたとしても、自分の魂を失ったならば何の益にもならないだろう」というザビエルが日本を訪ねる決意をしたときの言葉も刻まれている。
 おだやかな冬日の海峡には、今がシーズンのアブラメ釣りの船が舳先を並べていた。(鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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