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2005年04月10日

札の辻・21

 中世、大内氏の弘世時代、1373(文中2)年に、中国の明から来山した学僧で詩人の趙秩は、当時西の京と呼ばれていた山口の名勝10カ所を選んで漢詩に詠んだ。いわゆる山口十境の詩である。
 大内文化まちづくりプロジェクトでは、大内氏最盛期から500年、毛利氏の江戸時代より明治維新に至る山口の歴史の深さを識るため、過去の歴史をたどって検証し見直し新しい文化の創造を目指そうと十境詩碑建立をすすめている。
 昨年春には湯田温泉湯の香通りに十境詩のうち「湯田春色」の詩碑を建立した。これにより湯田温泉が大内氏時代から500余年の伝統を持つ名湯であることが立証される。そしてこの4月には、大内氷上の興隆寺跡に「氷上滌暑」の詩碑と、古熊の古熊天神参道の鳥居脇に「猿林暁月」の詩碑がお目見えした。
 山口県文書館所蔵の興隆寺文書によると、氷上山興隆寺は南北朝期から大内氏の氏寺とされたとあり、創建者は大内氏の始祖林聖太子といわれている。この地域は古くは大陸系の文化を持っていた人々が住んでいたことは、古墳の発掘調査でも明らかになっている。
 猿林とは古熊にあった永興寺跡から現在の古熊神社に及ぶ一帯の山林のことである。永興寺は荒廃したが、古熊神社は1373(應安6)年に大内弘世が京都北野天神を勧請し、市内北野小路に祀ったが1618(元和4)年に毛利秀就が現在地に移した。本殿・拝殿共に国指定重要文化財になっている。
 十境詩碑建立は歴史の町山口を中国詩人の目でよみがえらせる。
         (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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