2005年09月21日
どうなるんだろう
先日テレビを見ていたら“野菜の見分け方”をスーパーの野菜担当者が話していた。「レタスは重さの軽いもの。人参は芯の小さいもの。ブドウは、上の方が太陽が当たって甘いので、下の方を食べて、それが甘かったら全体が美味しいです」。次々と滑らかに教えている。
しかし、しかしですよ。レタスは、軽いものも重いものも実る。人参も体質的(?)に芯の太いものもできる。ブドウだって運良く太陽に当たった房は、甘く美味しくなるだろうが、そういう位置に実をつけなかったものは…甘くない、おいしくない。ということは、どうなるのだろう。スーパーでは売れ残る。すると、捨てられるのだろうか?
きっと、重いレタス、芯の太い人参、すっぱいブドウは出荷段階で等級がつけられ安くスーパーに並ぶ。すると、料理上手の人がお買い得だ、と買って帰り、レタスは生で食べなくって、スープの実にしたり、人参は漬物にしたり裏ごしして、工夫し美味しく食べる。ブドウはきれいな色のジャムに。そうだといいなぁー。
レタスや人参、ブドウという言葉を人間という言葉に置き換えてみれば、ゾッとする。重いレタスは、世渡りのヘタな人。芯の太い人参は、慎重派でめまぐるしい世の中についていけない人。甘くないブドウは、運の悪い人。これ等の特性を生かした生存はあるのか。野菜と人間は違うのだろうか? これからは品物を選ぶとき、長く首をひねって思案にくれるだろう。
しかし、しかしですよ。レタスは、軽いものも重いものも実る。人参も体質的(?)に芯の太いものもできる。ブドウだって運良く太陽に当たった房は、甘く美味しくなるだろうが、そういう位置に実をつけなかったものは…甘くない、おいしくない。ということは、どうなるのだろう。スーパーでは売れ残る。すると、捨てられるのだろうか?
きっと、重いレタス、芯の太い人参、すっぱいブドウは出荷段階で等級がつけられ安くスーパーに並ぶ。すると、料理上手の人がお買い得だ、と買って帰り、レタスは生で食べなくって、スープの実にしたり、人参は漬物にしたり裏ごしして、工夫し美味しく食べる。ブドウはきれいな色のジャムに。そうだといいなぁー。
レタスや人参、ブドウという言葉を人間という言葉に置き換えてみれば、ゾッとする。重いレタスは、世渡りのヘタな人。芯の太い人参は、慎重派でめまぐるしい世の中についていけない人。甘くないブドウは、運の悪い人。これ等の特性を生かした生存はあるのか。野菜と人間は違うのだろうか? これからは品物を選ぶとき、長く首をひねって思案にくれるだろう。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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