2005年12月28日
師走
12月も後わずか。がぜん街は活気に溢れてきましたね。新しい年を迎える準備に皆さん忙しそうです。この気ぜわしい時、私は静かに過ごしています。いつもの月より音と光に溢れている師走、私はとても静かなんです。なにか宗教的境地に達したような書き方をしましたが、なんのことはない、ただ、耳の中の蝸牛殻が少々老化し、聞こえにくくなっただけなのです。だから、静かなのです。
耳の中ではいつもサラサラという風の音がしています。そして、人の話し声はステレオで聞こえるのです。左耳から普通の声がし、右耳がそれを洞窟の中の声のように反響させて私に聞かせる。耳の中は、複雑に音が飛び交い結局わけのわからない世界となります。実は、私はこの世界を楽しんでいるのです。言葉が聞き取れない、ということは、とても楽なのです。
“言葉に付き合うと、見えない恐怖に脅かされる。不安や心配、絶望や失望はすべてことばの産物である。愛を語りえないことばも、不安や心配、絶望や恐怖だけなら雄弁に語るのである。意識や言葉に縛られると、何ごともうまくゆかず、気持ちが阻喪するのはそのせいである”(なぜ〈ことば〉はウソをつくのか? より)
眉をしかめて人が私に何かを言っているが、私の耳には風が吹くので聞こえない。私がただ微笑んでいると、その人もいつの間にか愁眉を開き笑っている。知らないうちに問題は解決したのである。その人はにこやかに手を振って去った。年の瀬、私は静かで幸せだ。
耳の中ではいつもサラサラという風の音がしています。そして、人の話し声はステレオで聞こえるのです。左耳から普通の声がし、右耳がそれを洞窟の中の声のように反響させて私に聞かせる。耳の中は、複雑に音が飛び交い結局わけのわからない世界となります。実は、私はこの世界を楽しんでいるのです。言葉が聞き取れない、ということは、とても楽なのです。
“言葉に付き合うと、見えない恐怖に脅かされる。不安や心配、絶望や失望はすべてことばの産物である。愛を語りえないことばも、不安や心配、絶望や恐怖だけなら雄弁に語るのである。意識や言葉に縛られると、何ごともうまくゆかず、気持ちが阻喪するのはそのせいである”(なぜ〈ことば〉はウソをつくのか? より)
眉をしかめて人が私に何かを言っているが、私の耳には風が吹くので聞こえない。私がただ微笑んでいると、その人もいつの間にか愁眉を開き笑っている。知らないうちに問題は解決したのである。その人はにこやかに手を振って去った。年の瀬、私は静かで幸せだ。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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