2006年04月30日
札の辻・21
「鉄の胃袋中国漫遊」など、料理に酒に食文化の研究家として知られる石毛直道氏の近著「ニッポンの食卓-東飲西食」の中に、わが山口県になじみ深い春野菜のひとつチシャが登場している。
曰く「チシャ、チサ、ともいうキク科の野菜でサラダにするレタスと同種である。東地中海から小アジアが原産地で中国を経由して日本に渡来、奈良時代にはよく食べられた記録がある。日本で栽培されたのは掻きチシャという種類で、茎が伸びるので下の葉から順に掻きとり、あえ物、おひたしにしたがサラダ風に生食はせず(中略)生食目的ではサラダ用にレタスが栽培され、伝統野菜のチシャは絶滅に近い」とあるので少し異議がある。山口、島根、広島では郷土食としてチシャはまだ生食されている。
農文協の「日本の食生活全集」にも、山口のチシャもみについて-チシャは赤いちりめんヂシャがうまい。洗って食べやすい大きさに手でちぎり水にさらしたあと、漁村部では焼き魚を、農村部では煮干イリコなどを焙り酢ミソであえる-と記述される。おとなりの韓国ではチサと呼び、焼き肉を包んで食べる。
チシャもみといえば、まだ野田の菜香亭が料亭として営業していた頃、タレクチイワシの刺身とチシャもみがよく出てきた。湯田あたりで出されるものは品良く少な目だが、菜香亭流は皿も大きく、豪快で風土の味覚に溢れていた。
座談会で来山した藤村志保、草柳大蔵、河竹登志夫の3人が、チシャもみとタレクチの刺身を食べて「山口は海と陸との味の十字路だ」と喜んだ思い出がある。
(鱧)
曰く「チシャ、チサ、ともいうキク科の野菜でサラダにするレタスと同種である。東地中海から小アジアが原産地で中国を経由して日本に渡来、奈良時代にはよく食べられた記録がある。日本で栽培されたのは掻きチシャという種類で、茎が伸びるので下の葉から順に掻きとり、あえ物、おひたしにしたがサラダ風に生食はせず(中略)生食目的ではサラダ用にレタスが栽培され、伝統野菜のチシャは絶滅に近い」とあるので少し異議がある。山口、島根、広島では郷土食としてチシャはまだ生食されている。
農文協の「日本の食生活全集」にも、山口のチシャもみについて-チシャは赤いちりめんヂシャがうまい。洗って食べやすい大きさに手でちぎり水にさらしたあと、漁村部では焼き魚を、農村部では煮干イリコなどを焙り酢ミソであえる-と記述される。おとなりの韓国ではチサと呼び、焼き肉を包んで食べる。
チシャもみといえば、まだ野田の菜香亭が料亭として営業していた頃、タレクチイワシの刺身とチシャもみがよく出てきた。湯田あたりで出されるものは品良く少な目だが、菜香亭流は皿も大きく、豪快で風土の味覚に溢れていた。
座談会で来山した藤村志保、草柳大蔵、河竹登志夫の3人が、チシャもみとタレクチの刺身を食べて「山口は海と陸との味の十字路だ」と喜んだ思い出がある。
(鱧)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│札の辻