2006年05月10日
地域交流ステーション宮野 開館から5年
努力実り、宮野の顔に
宮野駅に地元自治会などが運営する「地域交流ステーション宮野」が開設されて丸5年。かつて若者のたまり場となっていた無人駅は、見違える程きれいになり、年々ステーションの利用者も増加。今では学生や地元住民の笑顔が絶えない憩いの場になっている。開館当初から毎日トイレ掃除やごみ拾いなどをしている和田敏男館長(70)は「今後も宮野の玄関口として恥じない場にしていきたい」と力強く話す。
地域交流ステーション宮野は、地元住民や県立大学の学生、駅利用者などの交流の場として01年4月に開設。洋室および和室の会議室に加え、展示室、トイレ、炊事場などを備え、会議室は365日いつでも無料で利用できる。
しかし開館当初、若者がたむろしていた駅を利用したいという人は一人もいなかったという。和田さんは「最初が肝心」と毎日ステーションに通い、若者たちがたばこやごみを捨てるそばで黙々と掃除を続けた。
さらに、宮野駅に降り立った県立大生がその汚さにショックを受ける“宮野ショック”という言葉まで使われていた駅のイメージを変えようと、周りに四季折々の花を植え、ごみの山になっていた駅横の池を整備。水を入れてコイを放したほか、空き缶が山積みになっていた玄関両サイドの自動販売機を撤去するなど、ステーション周辺の環境整備にも力を入れた。
そうした地道な活動が実を結び、半年後には若者たちの来る回数も減りだし、逆にステーションの利用者は増えていったという。
また、雨の中傘をささずに走って行く学生の姿を見たのをきっかけに、01年7月に傘の貸し出しも開始。年間100本近くが返却はされないが、それでも和田さんは近所の人や公共施設などから必死で集め、5年間貸し出しを続けている。
このほかにも、02年から県立大学の受験日には「健闘を祈る」といった垂れ幕を掲げ、県内外から訪れる学生を出迎えるなど、ハード面だけでなく、ソフト面でもさまざまな取り組みを実施。当初は、趣味や大学生の定期的なグループの使用が多かったステーションも、最近では町内の会合や打ち合わせなど地元住民の利用も増え、昨年度は月平均約300人が利用。かつて“ごみ捨て場”とまで言われた宮野駅は、この5年で“宮野の顔”へと変ぼうをとげた。
和田さんは「この5年間、学生をはじめ、小さな子どもからお年寄り、旅人や外国人まで数多くの人との出会いや忘れられない感動のドラマがあった。今は館長という職を与えてもらったことに感謝している」といい、「自分がいつまで続けられるかわからないので、次に館長をやってこの楽しみを味わってみたいという人がいれば、いつでも申し出てほしい」とも話している。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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