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2006年08月06日

札の辻・21

 玄界灘に浮かぶ対馬はネムノキの島である。
 先月下旬、対馬へ一泊旅行したが、厳原から比田勝まで島を縦断する国道382号線の道路脇は、いまネムノキの花盛りで今年は例年より盛んに咲いたとは島の人たちの話だ。
 数万年前、大陸と日本列島は陸つづきで、朝鮮半島から九州までは一体であったから、大陸系の動植物の分布もひろがり原始人は自由に移動した。しかし海流による地殻変動が起こり、朝鮮半島から分離して対馬や壱岐は次第に浸食されて島に形成された。
 対馬は80%が山岳で平地は20%にすぎない。その山にはスタジイ、タブノキ、ネムノキなどが密生し、初夏になると山肌を白い花で染めるヒトツバタゴが上対馬の鰐浦地区に咲く。約3千本が自生し国の天然記念物で、別名ナンジャモンジャの木とも呼ばれている。
 合併し対馬市(人口4万)となった厳原の屋敷町に現存する旧武家屋敷跡の長い石垣を見るとき、対馬は国境の島として古代、中世、近世を耐えてきた歴史を羽交い締めにしていると思った。
 14・15世紀以降、室町時代には日本と朝鮮の通交玄関口の使命をもち、大内氏の対朝鮮交易にも助力し1400年以降数回にわたる朝鮮からの使節団を保護し、さらに江戸時代1607(慶長12)年から1811(文化8)年までの約200年12回に及ぶ朝鮮通信使の渡来に貢献した。因に通信使とは「信を通わす使節」という意味である。
 なお対馬藩は1862(文久2)年には長州藩と勤皇の同盟を結んだ。対馬への往復はおだやかな霧の海だった。(鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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