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2006年12月24日

札の辻・21

 わが家に明治・大正・昭和は10年代まで、毛筆和綴じの「萬日記覚帳」がある。整理していたら1906(明治39)年の部に、11月20日「くじら三百五十匁弐拾五銭也」があった。
 高知では旧暦の12月1日に土佐沖で獲れる大クジラを食べて年の瀬を越すという風習があり「鯨肉に醤油、酒、ショウガを加え甘辛く煮る」と高知新聞版「土佐の味百科」に載っている。周防の中山間地のわが家では明治頃にクジラをどう料理して食べたものか覚帳に料理法は記していない。
 「近代日本食文化史」には、1887(明治20)年に東京日本橋の魚店で高知から届いた鯨肉を売り出したところ、人気が良く即日完売したとあり、また同文化史には1919(大正8)年に農商務省は牛肉の値上がりを抑えるため、鯨肉を安くし百匁30銭にしたと伝えているがそれによれば、明治39年のクジラは安かったことになる。味をしめたのかわが家では翌40年2月1日にもクジラを買っている。
 クジラの捕獲・利用は有史以前から世界各地で行われ、日本でも太古からクジラを食用とし縄文遺跡から鯨骨が出土している。和歌山、高知、長崎、山口は捕鯨の歴史も古く、長門市の仙崎にはクジラの墓まである。
 いま捕鯨に反対するアメリカでさえ、かつては鯨油の確保に日本近海まで捕鯨船を出漁させ、ペリーが浦賀に開港を迫ったのは船団の給水・食料補給にあったといわれる。
 クジラは尾の身の刺身も良いが、新鮮な水菜との「はりはり鍋」がうまい。明治39年のクジラも鍋だったか。   (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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