2007年07月21日
札の辻・21
古い大阪の友人から大阪は高麗橋にあるウナギ料理の店「柴藤」の蒲焼きが届いた。関西風の白焼きである。
柴藤は1734(享保19)年創業で現在は15代目という老舗だ。
池波正太郎の時代小説「剣客商売」で、又六というウナギ職人が、江戸深川で畳2枚ほどの縁台を置き商売していた頃とほぼ同時代になる。
大阪はウナギを腹びらきにし白焼きの状態でタレをつけて焼き上げるが、東京では背びらきを素焼きにし、いったんセイロで蒸し脂を抜いてからタレをつけて焼く。いまウナギの味覚は大阪風に人気があるというが、蒲焼きの味つけだけではあっさりした東京風も好まれている。
将軍おひざ元の江戸は「腹切り」を嫌い、商人の町大阪は「腹を割って話す」の商談によるとの珍説もある。
またウナギ料理を大阪では「まむし」と呼ぶが、これはウナギを御飯にまぶしたり、間蒸しにすることによるもので大阪独特の呼称であるとか。
ところで、東京流はまずウナギの頭を落としたのちに背びらきにするが、大阪流では腹を割って頭を残したままで焼いたあとから落とす。少し肉の残った頭を半助といっているが、大阪人はこの半助だけを買ってきて、豆腐とネギで煮込み半助なべとして食べる。
到来した白焼きは、おろし大根にワサビ醤油で食べた。剣客秋山小兵衛の味覚を偲びながら。 (鱧)
柴藤は1734(享保19)年創業で現在は15代目という老舗だ。
池波正太郎の時代小説「剣客商売」で、又六というウナギ職人が、江戸深川で畳2枚ほどの縁台を置き商売していた頃とほぼ同時代になる。
大阪はウナギを腹びらきにし白焼きの状態でタレをつけて焼き上げるが、東京では背びらきを素焼きにし、いったんセイロで蒸し脂を抜いてからタレをつけて焼く。いまウナギの味覚は大阪風に人気があるというが、蒲焼きの味つけだけではあっさりした東京風も好まれている。
将軍おひざ元の江戸は「腹切り」を嫌い、商人の町大阪は「腹を割って話す」の商談によるとの珍説もある。
またウナギ料理を大阪では「まむし」と呼ぶが、これはウナギを御飯にまぶしたり、間蒸しにすることによるもので大阪独特の呼称であるとか。
ところで、東京流はまずウナギの頭を落としたのちに背びらきにするが、大阪流では腹を割って頭を残したままで焼いたあとから落とす。少し肉の残った頭を半助といっているが、大阪人はこの半助だけを買ってきて、豆腐とネギで煮込み半助なべとして食べる。
到来した白焼きは、おろし大根にワサビ醤油で食べた。剣客秋山小兵衛の味覚を偲びながら。 (鱧)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│札の辻