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2007年08月04日

札の辻・21

 反体制の闘士として戦前、戦中、戦後を通じ、日本共産党の象徴的存在であった宮本顕治氏が先月98歳で亡くなった。
 私が宮本顕治という名前を初めて知ったのは、1943年1月、旧制徳山中学(現徳山高)の柔道場での寒稽古の日だった。旧徳山中柔道場の壁面には、明治開校以来の柔道部員の名札がズラリと並んでいた。その中に1枚、裏返しになっている名札があった。友人の肩車に乗り裏返してみると、宮本顕治という名札だった。その時道場に居合わせた木村武彦・愛称をパクーと呼ぶ国漢の先生が「おゝ宮本はワシと徳中同期じゃ、東大を出た文学青年だが現在は思想犯で刑務所に居る。だから札が裏返しだ。純朴な男での―」となつかしげに話した。
 宮本氏は東大在学中に雑誌「改造」の懸賞論文に芥川龍之介論「敗北の文学」が第一席となり、第二席は小林秀雄の「様々なる意匠」で、この二人の示した進歩的と芸術的な両論が、その後の昭和文壇史の方向を決め、宮本顕治はプロレタリア文学運動の理論的な旗手となる。
 また宮本顕治選集全16巻のうち対話集には次の一節もある。
 「私は獄中で吉田松陰を読んだ。学校で習った松陰とは異なり『やむにやまれぬ大和魂』ということばは実践者として、死刑を前にした心境の真実だと感じた」と。
 夫人宮本百合子の力作「幡州平野」には周南地方の風土が濃い。         (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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