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2008年06月08日

一時代築いた商店街の顔「ちまきや」閉店 153年の歴史に幕

一時代築いた商店街の顔「ちまきや」閉店 153年の歴史に幕

 幕末以来153年間、県央商圏の灯台的存在であった「ちまきや百貨店」が今秋をもってその灯りを収めることになった。


 社歴によれば1855(安政2)年に八木宗兵衛氏が呉服店を創業、1864(元治1)年には毛利公より「ちまきや」の称号を与えられたとある。
 山口市史に次の記述がある。
  -大内氏滅亡後失われていた西の都的都市像が回復し、現代山口の息吹きが生まれたのは、毛利敬親が幕末の時局に対処するため、藩庁を山口に移したことにより、廃藩置県後の県政の中核となってからである-と。
 山口には県都・学都それに商都の顔があり、維新後の商業文化が中世以降の山口をよみがえらせた。
 旧態勢から脱し近代的商店街が形成されてゆくなかで、1907(明治40)年には第二代八木宗十郎氏を会長に山口実業談話会が設立され、八木会長の発案で商店街連合の大売出しを、斬新な「山口デー」として開催し、近郷近在からの集客で賑わい現在に至っている。
 1929(昭和4)年山口に市制が施行され、八木宗十郎氏が初代市長に就任し、八木家は経済界のリーダー役だけでなく自治行政の重鎮ともなる。
 1930(昭和5)年になると百貨店形態にし「ちまきや八木」と改名、1961(昭和36)年には鉄筋コンクリート3Fに店舗を充実させ、大阪万博の開幕した1970(昭和45)年に、八木重樹氏が社長へ就任。その後第四代宗十郎を襲名する。氏は一方で山口商工会議所会頭職を25年に亘り在任した。
 「ちまきや」は山口商業文化の空間を維持し、商都の景観をデザインした先駆者的存在であった。
 ともあれ、これから先経営の方向性は変革されても「ちまきや」というロゴは、市民の回帰線上にいつまでも残影するであろう。    (鱧記)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)ニュース
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