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2008年12月06日

札の辻・21

 博奕岬-という聞き馴れぬ岬がある。
 その岬は先月所用で舞鶴市に行き初めての地だから地図を見ると、日本海から瓢箪型に入り込む舞鶴湾の湾口にあった。舞鶴市で由来を聞くとサイコロや花札の賭博と関係なく、古代から天候と潮流を占う観測地点だったことによるという。
 舞鶴は岸壁の母や裏日本的な印象と異なり、造船所の巨大クレーンが並び、カモメが飛び交う明るい港湾都市だった。
 丹後の山なみに抱かれた湾は凪ぎ、自衛艦2隻が停泊中で往年の軍港を偲ばせる。
 舞鶴に旧海軍の鎮守府が置かれたのは1901(明治34)年で、初代鎮守府司令長官は東郷平八郎大将だ。当時ウラジオストックと旅順に基地を得たロシアは、更に日本への威圧を示すので防衛上舞鶴軍港が生まれる。
 イギリス海軍の影響を受ける明治海軍の名残りを語るものに、舞鶴は海岸沿いに赤レンガの建造物が並んでいる。その堂々たる英国風のレンガ造りが市庁舎や文化ホール、博物館等に利用され旧平和海軍のシンボル的な存在となっている。
 市内やホテルにはロシア人のグループが目立つ。いま舞鶴とウラジオストックは自動車、電化製品、雑貨の交易港だ。
 旧舞鶴城主で文人でもあった細川幽斎が旅の途中、山口道場門前は本圀寺での連歌の会に立ち寄ったのは1587(天正15)年の夏で、七夕提灯まつりの宵だったと行程記に書き残す。        (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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