2009年09月23日
後始末
なんでも後始末というものは、大儀なことである。
我が家の狭い家にまだ夏服がぶら下がっている。紺色のスーツ、白の半袖のワンピース、綿のスラックス。なぜ、すでに朝夕は涼しい秋風が吹き、夏服では身体が冷たいこの時期に、夏服がしまわれもせずぶら下がっているのか。邪魔なのに…。
理由はただ一つ。私がケチなのである。ぶら下げられて秋風に揺れている夏服は、まだ洗濯しなければならないほどには、汚れていない物ばかりなのだ。だから、ケチな私はもう一度着て、素直に言えば“汚して”洗濯して整理したいのである。綿のスラックスは自分で洗濯できるからまだいいとしても、ワンピースやスーツは洗濯屋さん扱いとなる(我が家で洗濯するには、私の能力を超えている)。
人間の頭は地球の温暖化解消や世界の平和、日本の高齢者医療、ひいては人間の幸せについて考えるためにあるのだろうけれど、これも私の能力をはるかに超えている。今、私の頭の中は、いかにしてもう一度夏服を着るかでいっぱいである。広い世界には、こんな女もいるのだ。
ロマンチックな秋の夕暮れ、ワンピースを着て、スーツを重ね着して、自転車で買い物に出かけた。モゴモゴしたが、自分の気持ちに踏ん切りがついた…。明日は洗濯に出そう。
我が家の狭い家にまだ夏服がぶら下がっている。紺色のスーツ、白の半袖のワンピース、綿のスラックス。なぜ、すでに朝夕は涼しい秋風が吹き、夏服では身体が冷たいこの時期に、夏服がしまわれもせずぶら下がっているのか。邪魔なのに…。
理由はただ一つ。私がケチなのである。ぶら下げられて秋風に揺れている夏服は、まだ洗濯しなければならないほどには、汚れていない物ばかりなのだ。だから、ケチな私はもう一度着て、素直に言えば“汚して”洗濯して整理したいのである。綿のスラックスは自分で洗濯できるからまだいいとしても、ワンピースやスーツは洗濯屋さん扱いとなる(我が家で洗濯するには、私の能力を超えている)。
人間の頭は地球の温暖化解消や世界の平和、日本の高齢者医療、ひいては人間の幸せについて考えるためにあるのだろうけれど、これも私の能力をはるかに超えている。今、私の頭の中は、いかにしてもう一度夏服を着るかでいっぱいである。広い世界には、こんな女もいるのだ。
ロマンチックな秋の夕暮れ、ワンピースを着て、スーツを重ね着して、自転車で買い物に出かけた。モゴモゴしたが、自分の気持ちに踏ん切りがついた…。明日は洗濯に出そう。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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