2010年02月13日
札の辻・21
テレビ朝日「徹子の部屋35周年記念番組・故森繁久弥特集」で久しぶりの森繁節が面白かった。
山口市の旧秋穂町町史(昭和57年版)には大要次のように記述がある。
-森繁家の実弟平三郎は大阪の豪商馬詰家のマスと結婚、その孫の久弥を森繁家に入籍する。森繁久弥も日本経済新聞の「私の履歴書」に私は幼時山口県秋穂の森繁家に養子として入籍され、今も墓参すると書いている-と。
山口放送がまだテレビ放送を始める前のラジオ山口であった頃、森永ミルクのキャンペーン「こどもの日シリーズ」の公開放送で来県した森繁久弥氏と、放送終了後スタッフと会食をした。そのとき森繁氏は終戦直後に満州から引き揚げたとき、秋穂森繁家の親戚がある徳山市戸田に家族でしばらく居住したときの思い出を語った。
森繁久弥の著作は「にんげん望遠鏡」など10数点に及ぶがその中に、
「私は生まれたときは菅沼久弥でした。父は菅沼達吉、長兄は母の実家馬詰家を次兄俊哉が菅沼家に、末っ子の私は祖父森繁平三郎の実家に入りました」。「森繁家は船問屋でした。その森繁家と東宝の藤本真澄が遠縁に当るので、二人で秋穂の学校へピアノを贈りました」とも書いている。
亡くなった森繁久弥の居間の書棚には「小林和作画集」と「中原中也詩集」があったと聞く。
秋穂の海にはモリシゲの舟唄が合う。(鱧)
山口市の旧秋穂町町史(昭和57年版)には大要次のように記述がある。
-森繁家の実弟平三郎は大阪の豪商馬詰家のマスと結婚、その孫の久弥を森繁家に入籍する。森繁久弥も日本経済新聞の「私の履歴書」に私は幼時山口県秋穂の森繁家に養子として入籍され、今も墓参すると書いている-と。
山口放送がまだテレビ放送を始める前のラジオ山口であった頃、森永ミルクのキャンペーン「こどもの日シリーズ」の公開放送で来県した森繁久弥氏と、放送終了後スタッフと会食をした。そのとき森繁氏は終戦直後に満州から引き揚げたとき、秋穂森繁家の親戚がある徳山市戸田に家族でしばらく居住したときの思い出を語った。
森繁久弥の著作は「にんげん望遠鏡」など10数点に及ぶがその中に、
「私は生まれたときは菅沼久弥でした。父は菅沼達吉、長兄は母の実家馬詰家を次兄俊哉が菅沼家に、末っ子の私は祖父森繁平三郎の実家に入りました」。「森繁家は船問屋でした。その森繁家と東宝の藤本真澄が遠縁に当るので、二人で秋穂の学校へピアノを贈りました」とも書いている。
亡くなった森繁久弥の居間の書棚には「小林和作画集」と「中原中也詩集」があったと聞く。
秋穂の海にはモリシゲの舟唄が合う。(鱧)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│札の辻