2010年07月17日
札の辻・21
相馬野馬追、那智火祭り、博多祇園山笠と列島に祭りの夏が訪れた。
山口でも八坂神社の祇園祭から八月の七夕ちょうちん祭りへと祭りの音が高鳴ってゆく。
京都は葵祭が勅使行列にはじまる官制的な祭事であることに対し、祇園祭は室町時代から京の町衆の祭りであって庶民のエネルギーがもり上がり八坂神社特有の祭り行事が進行する。
福岡市櫛田神社の大祭は九州最大の祇園祭で知られ、追い山笠は博多商人の心意気でにぎわいを支えている。
山口八坂神社は社伝によると、1369(応安4)年に大内弘世が京都八坂神社から勧請して分祀したもので、高嶺大神宮と並んで古く祭礼も山口祇園会と京風に呼称されてきた。
江戸後期の防長風土注進案にも「早朝笠鉾の行列堂ノ前を発し、祇園の本社に至れば前庭の楼門に舞う。神輿三基と大宮司騎馬にて神幸は今市御旅宮に安座せり」との記述が残る。
いま日本各地の祭りは夏・秋の区別なく温度差が出たといわれている。
東京佃祭りの町内代表は言った。「祭りは御輿をかつぐだけではない。商いにつながる祈りをかつぐのだ」と。
神田祭りを詠んだ久保田万太郎の句にある神田川を置き換えて、
一の坂川祭りの中を
流れけり
とならないか。(鱧)
山口でも八坂神社の祇園祭から八月の七夕ちょうちん祭りへと祭りの音が高鳴ってゆく。
京都は葵祭が勅使行列にはじまる官制的な祭事であることに対し、祇園祭は室町時代から京の町衆の祭りであって庶民のエネルギーがもり上がり八坂神社特有の祭り行事が進行する。
福岡市櫛田神社の大祭は九州最大の祇園祭で知られ、追い山笠は博多商人の心意気でにぎわいを支えている。
山口八坂神社は社伝によると、1369(応安4)年に大内弘世が京都八坂神社から勧請して分祀したもので、高嶺大神宮と並んで古く祭礼も山口祇園会と京風に呼称されてきた。
江戸後期の防長風土注進案にも「早朝笠鉾の行列堂ノ前を発し、祇園の本社に至れば前庭の楼門に舞う。神輿三基と大宮司騎馬にて神幸は今市御旅宮に安座せり」との記述が残る。
いま日本各地の祭りは夏・秋の区別なく温度差が出たといわれている。
東京佃祭りの町内代表は言った。「祭りは御輿をかつぐだけではない。商いにつながる祈りをかつぐのだ」と。
神田祭りを詠んだ久保田万太郎の句にある神田川を置き換えて、
一の坂川祭りの中を
流れけり
とならないか。(鱧)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│札の辻