2011年06月18日
札の辻・21
『清光亭は明治維新の頃に萩から山口へ出てきた草分けの料亭で、明治における長州閥の威勢につれ陸軍や県庁などの愛顧を受けつつ繁昌し今日に及んだ』これは大正末期に菜香亭を清光亭として一年間も雑誌“婦女界”に連載した久米正雄の小説「天と地と」の序文で、明治維新以後の菜香亭は山口だけでなく全国に知られていた。
その菜香亭を戦後の昭和・平成へと支えた斉藤清子さんが先日93歳の生涯を閉じられた。
「あんた日本酒をいつから水割りにしちゃったの、わたしゃまだ日本酒でね」とお互い50年間に及ぶつき合い酒の日々がよみがえってくる。市民は勿論、総理大臣や県知事に若い記者に至るまで酒席における気配りは、山口弁丸出しの応待で東京でも「清ちゃんの山口ことばがなつかしい」と話す馴染みもいる。
徳山出身の写真家林忠彦氏が講談社から「若き修羅の里-長州路」を出版する打合せで菜香亭を訪れたとき、氏が二階座敷の窓を開けると眼下に百五十畳座敷の大屋根がひろがり「おおっ! 長州の屋根だ」と鋭い眼をひらき蓬髪をかきあげた。おごうさんは「さあ清涼飲料水をどうぞ」とウイスキーの水割りを差し出した。また歌舞伎評論の河竹登士雄氏が小イワシの刺身とチシャナマスに、これぞ山口の味だと喜ぶ痛飲の一夜もあった。
おごうさん! 明治からの日月は「祇園菜香亭」の門標に残る。(鱧)
その菜香亭を戦後の昭和・平成へと支えた斉藤清子さんが先日93歳の生涯を閉じられた。
「あんた日本酒をいつから水割りにしちゃったの、わたしゃまだ日本酒でね」とお互い50年間に及ぶつき合い酒の日々がよみがえってくる。市民は勿論、総理大臣や県知事に若い記者に至るまで酒席における気配りは、山口弁丸出しの応待で東京でも「清ちゃんの山口ことばがなつかしい」と話す馴染みもいる。
徳山出身の写真家林忠彦氏が講談社から「若き修羅の里-長州路」を出版する打合せで菜香亭を訪れたとき、氏が二階座敷の窓を開けると眼下に百五十畳座敷の大屋根がひろがり「おおっ! 長州の屋根だ」と鋭い眼をひらき蓬髪をかきあげた。おごうさんは「さあ清涼飲料水をどうぞ」とウイスキーの水割りを差し出した。また歌舞伎評論の河竹登士雄氏が小イワシの刺身とチシャナマスに、これぞ山口の味だと喜ぶ痛飲の一夜もあった。
おごうさん! 明治からの日月は「祇園菜香亭」の門標に残る。(鱧)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│札の辻