2012年03月16日
稜線
山口商工会議所が主催する「愛・あったまる山口お宝展」が去る3日から始まり4月8日まで大内文化に関連する各種イベントが行われている。
期間中は大内文化にゆかりの深い大殿、白石、湯田地域を主体に、五百年以前に遡る山口の伝統文化探承や湯田温泉で大内氏以来の名湯を体感するなど各企画に史都山口のプロフィルが紹介されている。お宝展実行委員長の堀本紀代さんが「また山口に来たい」と思われるようにしたいとは、大内時代に京都から山口へ移住した京美人を偲んでのあいさつだったか。
中世日支交易史(弘文館版)によると大内氏は1538(天文7)年に3隻の遣明船を派遣した。一号船は正・副使官員15名、船員58名、交易商人112名、二号船は官員5名、船員40名、交易商人90名、三号船は官員6名、船員38名、交易商人90名で総計454名の記録が残されており交易商人が圧倒的に多い。
入明の幕府書状は周防徳地産和紙で国印は大内氏が保管していた。
一行のうち50名は寧波から護衛付で翌39年に北京に到着し政府の歓待を受けた記録も残る。
明年のお宝展には中国との民間交流企画が実施できれば、西の京山口が国際都市であったと全国発信できる。(F)
期間中は大内文化にゆかりの深い大殿、白石、湯田地域を主体に、五百年以前に遡る山口の伝統文化探承や湯田温泉で大内氏以来の名湯を体感するなど各企画に史都山口のプロフィルが紹介されている。お宝展実行委員長の堀本紀代さんが「また山口に来たい」と思われるようにしたいとは、大内時代に京都から山口へ移住した京美人を偲んでのあいさつだったか。
中世日支交易史(弘文館版)によると大内氏は1538(天文7)年に3隻の遣明船を派遣した。一号船は正・副使官員15名、船員58名、交易商人112名、二号船は官員5名、船員40名、交易商人90名、三号船は官員6名、船員38名、交易商人90名で総計454名の記録が残されており交易商人が圧倒的に多い。
入明の幕府書状は周防徳地産和紙で国印は大内氏が保管していた。
一行のうち50名は寧波から護衛付で翌39年に北京に到着し政府の歓待を受けた記録も残る。
明年のお宝展には中国との民間交流企画が実施できれば、西の京山口が国際都市であったと全国発信できる。(F)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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