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2012年09月08日

札の辻・21

 “幕末、長州藩は藩庁を萩から山口に移した。長州の政治の中心は山口となった”この史実について司馬遼太郎は「街道をゆくI長州路」のなかに書く「幕府は長州に対し山口城を破却して萩へもどれと命じた。これに長州藩は『山口は城でなく役所である』と言を左右にし藩主のみが萩城にもどった」と。
 以上は佐野眞一著「宮本常一が見た日本」の中で佐野氏が萩市の見島へ宮本の足どりを確かめるために渡るについて述べた山口・萩の一節である。
 民俗学者宮本の足どりを求めて佐野氏は山口から萩へと向かい市内を視察したあと、高速船「おにようず」で約70分の見島は本村港に到着した。おにようずとは鬼の顔を描いた畳六~八枚分もある見島名物の大凧の呼称である。
 宮本が見島文化財総合調査に全国離島振興協議会事務局長として山口大学農学部の日野教授・学生たちと渡島したのは1960(昭35)年で、当時の記録が萩市郷土博物館に保存されている。
 見島で佐野氏は海岸線におびただしい数の漂着物があることを知った。日本製は少なく韓国と中国で使用されたものが大半である。陸つづきでなく見島は海つづきで佐野氏は今韓国との間で紛争関係にある隠岐沖の竹島まで出漁するという島の漁業者にも会った。
 佐野氏は「何の先入観も持たない精神にこそ物語が向うから飛び込む」という。     (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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