2013年12月04日
それでは、また
11月24日、和田健氏が亡くなられた。享年98歳。見事な大往生。
和田健氏は、県内の詩人を纏め牽引された指導者であった。和田氏の詩への姿勢はこうであった。
かく 和田健
詩をかく/みやすい言葉で/だれにでもわかる表現で/詩をかく/私が学んだのは/小学校の八年間/今なら中学二年まで/紫式部も陶淵明も/ましてボードレールなど/無縁であった/詩を知って五十余年/詩の革命にも/革命の詩にも/ついに染まることなく/ペンをとった/くらしのこと/こころのこと/詩は私の中にある
(詩集「もくせい」の中から)。
詩の扉をおずおずと押して訪れた人達に対して、和田氏は優しかった。誉め上手であった。私も、その誉め言葉に励まされ、四十年、詩らしきものを書いてきた。時には師に背いて、流行のわからない詩を書いた。それも笑って誉めてくださった。猫好きであった。猫の詩も沢山書かれた。24年一緒に生活してきた猫、ゴロが亡くなったときには、本当にしょんぼりされていた。「愛猫追慕」の詩には、こうある。
時々夢に出てくるが/泣き声はしない、ゴロ!
今頃はゴロを抱き締めて、ご満悦なことだろう。それでは、また。再会の折には、私を誉めてください
和田健氏は、県内の詩人を纏め牽引された指導者であった。和田氏の詩への姿勢はこうであった。
かく 和田健
詩をかく/みやすい言葉で/だれにでもわかる表現で/詩をかく/私が学んだのは/小学校の八年間/今なら中学二年まで/紫式部も陶淵明も/ましてボードレールなど/無縁であった/詩を知って五十余年/詩の革命にも/革命の詩にも/ついに染まることなく/ペンをとった/くらしのこと/こころのこと/詩は私の中にある
(詩集「もくせい」の中から)。
詩の扉をおずおずと押して訪れた人達に対して、和田氏は優しかった。誉め上手であった。私も、その誉め言葉に励まされ、四十年、詩らしきものを書いてきた。時には師に背いて、流行のわからない詩を書いた。それも笑って誉めてくださった。猫好きであった。猫の詩も沢山書かれた。24年一緒に生活してきた猫、ゴロが亡くなったときには、本当にしょんぼりされていた。「愛猫追慕」の詩には、こうある。
時々夢に出てくるが/泣き声はしない、ゴロ!
今頃はゴロを抱き締めて、ご満悦なことだろう。それでは、また。再会の折には、私を誉めてください
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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