2014年01月01日
新春雑感 サンデー山口取締役相談役 福田 礼輔
=山口県というのは、自然がまろやかで気候は温和であり、行儀や言葉づかいの品のよさというのは日本のどの県よりもよく、お武家の気品というものが地熱のようにして残っている=とは、司馬遼太郎著“街道をゆく”の第一巻・長州路の一節である。
山口市は内陸の山口盆地を中心に、瀬戸内にのぞむ吉南平野と西中国山地の峯々に囲まれた徳地・徳佐に至る市域は広汎で、山から海まで貫流する椹野川と佐波川の一部が合流して山口湾に及ぶ。
県都、史都、学都として明治から平成へと、山口は新世紀の道のりを自然と文化のプロフィルを堅持しながら歩みつづけている。
県の地域振興拠点としての山口は、情報化、経済のソフト化、国際化、に対応しつつ、更なる自立・発展にむけて産業経済基盤や高次的地方都市機能を整備促進させ、新しい県都の歩みを進めて行かねばならない。
地方中心都市としての山口は、青森の弘前、長野の松本、岐阜の高山、島根は松江などと共にマスコミの視点でも注目されてきた。
いま地方中心都市は、個性的な都市づくりに進展しているところと、盲目的停滞に閉ざされた市に分かれてきた感もある。
停滞の続く地方中心都市の多くは、若年層の県外流出、世帯数の減少、高齢化の進捗が目立つ。
山口の場合、人口の移動、経済のソフト化、都市機能の集積は、工場機能等を除いての自立と、地方の資源が確立されてきた。
産業経済基盤の確立と共に、山口市の特性には、市民文化の環境もある。
不足な環境の中で、固い閉じられた支えられぬ文化ではない。山口には、フランシスコ・サビエルの来山以来つづく開かれた市民文化があり、自治体、行政にとっても、文化は重要な課題となってきた。
地方自立の市民的なバックボーンには、地方文化がある。歴史、伝承、ことば、味覚、祭り、自然など、他の地域とは異なる存在が地方文化である。
地方都市にあっても、文化会館に代表される文化推進から、特徴のある美術館、博物館、音楽ホールの建造が進み、有名アーティストの演奏会、文化会議など、ソフト面にも力点を置いた活動は、各県共盛んになっている。
美術館や文化ホールによる国際的名画の展示や音楽演奏は、市民にとっても意義深く、芸術に接する関心を高める芸術文化は、地域経済の活性化にもつながってゆく。
また山口には、萩焼、大内塗など、伝承工芸の歴史も継続されて、地場産業と観光に結びつく文化基盤の柱にもなっている。
広島から仕事で定期的に来山する知人が、山口駅前から県庁前での並木道路の風景をたのしみ、春と秋の花姿や紅葉に、途中では県立美術館もあって、文化都市山口を感じさせると話す。
陸の玄関口・新山口駅 中国筋の要地として交通拠点に
岩国と宇部が山口県の空の玄関であるなら、新山口駅は新幹線における陸の玄関口でもある。
新山口の旧駅名は小郡であった。
小郡は中国筋の要地として津市を中心に山陽道から椹野の川沿いに山口にも至る交通拠点となった歴史がある。
1908(明治41)年に小郡と山口には軽便鉄道が開通した。現在は新幹線、縦貫道の拠点となり、駅周辺の開発計画も進捗中となっている。
本州の西端にある山口県は、関門海峡から九州にも近く、北部は日本海、西部は響灘そして南側は周防洋へと面し、下関から、三田尻、徳山、柳井へと、日本海から瀬戸内海を大阪まで、古くは大動脈航路であった。
阿知須、富海、室積は北前船の寄港地としての記録も残る。
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