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2015年09月30日

明治維新鴻業の発祥地、山口 ―詩酒愛すべし 美人憐れむべし―㊲ 【幕末歴史小説】 行雲流水 高杉晋作

明治維新鴻業の発祥地、山口 ―詩酒愛すべし 美人憐れむべし―㊲ 【幕末歴史小説】 行雲流水 高杉晋作
▲野村望東尼像(防府市)

(16日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

諸隊集結

 その頃、山口には改革派の挽回を図ろうと、奇兵隊および諸隊が続々と集結。その数およそ7、800人。
 彼らは永福寺(当時・古熊)を本陣とし、御楯隊は広沢寺(当時・古熊)、八幡隊は浄泉寺(堂の前町、廃寺)、遊撃隊は端坊(東山)、膺懲隊は神光寺(八幡馬場、現・神福寺)に屯所を置き、奇兵隊は常栄寺(当時・水の上町、現・洞春寺)に出張していました。
 いざとなれば、この町を拠点として保守派に対抗するつもりでしたが、この人数で山口を防御するのは困難であると判断。 
 当時、湯田の何遠亭に滞在中であった京都の公家・三条実美らとともに長府(下関市)に移ることとなり、11月15日、山口を発ちました。

いざ帰らん

 晋作が再び下関に姿を現したのは、11月25日のことでした。
 彼は三家老四参謀が保守派によって命を奪われたことを知り、憤然として福岡を発ったのです。
 「真心を筑紫のきぬは国のためたち帰るべき衣手にせよ」。「山口の花散りぬとも谷の梅開く春辺にたへて待たなむ」。 
 この時、野村望東尼は、帰国を決意した晋作に徹夜で着物を用意。2首の和歌を添え、彼の無事を祈りました。
(続く。次回は10月7日付に掲載します)


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