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2016年01月20日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年③ 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年③ 大村益次郎
▲梅田幽斎の墓がある光妙寺(防府市)

(13日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

三田尻の蘭方医

 秋穂湾から運ばれる、やさしい風に包まれながら、益次郎は成長した。
 やがて彼は、家業を継ぐため医学の道へと進み、1842(天保13)年、佐波郡三田尻(現・防府市)の蘭方医・梅田幽斎の塾、枕流亭(または盥流亭)の門を叩く。時に18歳であった。
 幽斎は、この時34歳。
 1809(文化6)年、江戸に生まれた彼は、蘭学の大家・坪井信道に師事。長崎では牛痘の法を学び、1849(嘉永2)年、これを三田尻において実施。翌年、「牛痘徴候論」を訳す。1861(文久元)年には長州藩の医学館、好生堂御用達を命ぜられ、藩の蘭学教授にあたった。
 益次郎は、幽斎の下で、学業の他に、玄関の取次ぎ、薬の調合、部屋の掃除などをしながら、一心不乱に勉強した。
 また、彼は明朗で、家人や来客からも非常に評判が良かったようだ。
 ここで益次郎は1年ほど学び、蘭学の初歩ぐらいはひと通りできるようになった。
 しかし、幽斎は、医学、蘭学の大成には、さらに漢学の深い素養が必要であるとして、益次郎を、豊後国日田(現・大分県日田市)の広瀬淡窓の塾、咸宜園に入門させることにしたのだった。
(続く。次回は27日付に掲載します)


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