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2016年02月10日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑥ 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑥ 大村益次郎
▲花月川に風が吹く(大分県日田市)

(3日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

農兵論

 「平日は農工の業を務め、事ある時は、歩卒になりて、戦に出づる様にすべし―」
 1840(天保11)年、益次郎が咸宜園に入門する3年ほど前。淡窓は、「迂言」という著書の中で農兵論を唱えた。
 1866(慶応2)年、長州軍が幕府軍を相手に戦った「四境戦争」では、防長二州の農民、町人も戦いに参加。節度ある兵を組織し、長州軍に奇跡の勝利をもたらした。この時、石州口で指揮を執った益次郎の脳裏には、20年前に師が説いた、あの農兵論が浮かんでいたのかもしれない。

嗚呼、咸宜園

 1844(天保15)年6月。益次郎は、山紫水明の地、日田を去る。20歳であった。
 この時、師・淡窓は63歳。長年にわたる教育実践の中で創意工夫を重ね、改良を加えながら、門人たちとともに創り上げていった塾、咸宜園。わずか1年余りであったが、ここで益次郎は多くのことを習得した。
 「心得になる事ならば見聞きせよ 読書ばかりが学問でなし」
 彼はこの塾で、机上の学問のみでなく、生きる上での心得を実践すること。その大切さも学んだのである。
(続く。次回は17日付に掲載します)


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