アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 88人

店長情報 トップページ
店長情報

2016年02月10日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑥ 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑥ 大村益次郎
▲花月川に風が吹く(大分県日田市)

(3日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

農兵論

 「平日は農工の業を務め、事ある時は、歩卒になりて、戦に出づる様にすべし―」
 1840(天保11)年、益次郎が咸宜園に入門する3年ほど前。淡窓は、「迂言」という著書の中で農兵論を唱えた。
 1866(慶応2)年、長州軍が幕府軍を相手に戦った「四境戦争」では、防長二州の農民、町人も戦いに参加。節度ある兵を組織し、長州軍に奇跡の勝利をもたらした。この時、石州口で指揮を執った益次郎の脳裏には、20年前に師が説いた、あの農兵論が浮かんでいたのかもしれない。

嗚呼、咸宜園

 1844(天保15)年6月。益次郎は、山紫水明の地、日田を去る。20歳であった。
 この時、師・淡窓は63歳。長年にわたる教育実践の中で創意工夫を重ね、改良を加えながら、門人たちとともに創り上げていった塾、咸宜園。わずか1年余りであったが、ここで益次郎は多くのことを習得した。
 「心得になる事ならば見聞きせよ 読書ばかりが学問でなし」
 彼はこの塾で、机上の学問のみでなく、生きる上での心得を実践すること。その大切さも学んだのである。
(続く。次回は17日付に掲載します)


同じカテゴリー(四境戦争 大村益次郎)の記事画像
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(185)大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(182) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(181) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(180) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(179) 大村益次郎
同じカテゴリー(四境戦争 大村益次郎)の記事
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(185)大村益次郎 (2019-07-24 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年 (2019-07-17 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(182) 大村益次郎 (2019-07-03 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(181) 大村益次郎 (2019-06-26 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(180) 大村益次郎 (2019-06-19 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(179) 大村益次郎 (2019-06-12 00:00)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。