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2016年04月20日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑯ 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑯ 大村益次郎
▲大村益次郎寓居跡(大阪市西区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(13日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

転居

 足早に通り過ぎる人々。走り行く車の音。かつては多くの蔵屋敷が建ち並んでいた中之島の近くに、その石碑はひっそりとたたずむ。そこには、「大村益次郎先生寓地址」の文字が刻まれる。
 1849(嘉永2)年、適塾の塾頭となった益次郎は、同年4月1日、長州藩蔵屋敷近くにあった、倉敷屋作衛門邸(現・大阪市西区)に転居。そこから塾へと通う。そして、同月28日には、大坂城の近く(現・大阪市中央区)へと移り、そこを漏月庵と名付けた。
 その頃、塾では、洪庵が15年の歳月を要し、日本最初の病理書、「病理学論」を出版。最新の医学論を説いた。
 益次郎も、多くの蘭書の要点を取り入れた師の論文に影響を受け、医学の基礎を、さらに固めていったのであった。

故郷への思い

 益次郎は、当時7歳であった洪庵の次男・惟準を肩に負い、よく遊んだという。
 また、親孝行であった彼は、四季折々には必ず両親へ手紙を書いた。故郷を離れて8年。三田尻、豊後国日田、九州遊学、大坂、長崎、そして再び大坂へ。彼は、故郷の両親が気になった。
(続く。次回は27日付に掲載します)


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