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2016年04月27日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑰ 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑰ 大村益次郎
▲高橋橋から連山を望む(鋳銭司)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(20日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

医院を開業

 1850(嘉永3)年、益次郎は適塾を去り、郷里へと戻る。
 そこで彼は、両親の意にしたがい、鋳銭司村に医院を開業。長年の修業で身に付けた、近代西洋医学の最新知識、それを生かす日がやって来たのである。
 しかし、益次郎は、生来無口で無愛想。例えば夏に患者が、「お暑うありますのう」と、あいさつをする。すると彼は、「夏は暑いのが当たり前です」。このように返答をしたそうだ。
 益次郎から兵学を学んだ芸州藩士・船越衛は、師の風貌を、「おかしい顔をしていて、何だか腹のわからぬ人だった。何事も西洋流でやるつもりでいるのに、洋服を着ていたことがない」と、このように語っている。
 こうして、医院を開業した益次郎であるが、その評判は、あまりよくなかったようだ。

結婚

 こうした中、彼は結婚を決める。1851(嘉永4)年、27歳の時であった。相手は、鋳銭司村字鷹ノ子に住む高樹半兵衛の長女・琴(琴子)である。1834(天保5年)生まれの彼女は、当時18歳。
 ここに、ふたりの新婚生活が始まった。
(続く。次回は5月4日付に掲載します)


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