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2016年05月25日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年㉑ 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年㉑ 大村益次郎
▲宇和島城天守(愛媛県宇和島市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(18日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

城下町

 城山から、宇和島城天守が町を見下ろす。遥かにそびえる鬼が城山から湧き出す水は、辰野川、神田川の流れとなり、やがて、新内港へと注ぐ。
 伊達10万石の城下町、宇和島。藩校・明倫館が開かれたこの町では、多くの藩士が武芸、学問に励んだ。中でも、医学、兵学は重要な課題として取り上げられた。
 この地で人生の再出発をした益次郎は、西洋の兵学書の翻訳、蘭学の教授を担当することとなった。この時、彼の身元引受人となったのが、宇和島藩士・大野昌三郎である。高野長英から蘭学を学んだ彼は、藩の洋学研究の第一人者であった。

藩命

 1854(安政元)年3月10日。当時、村田良庵と名乗っていた益次郎は、この日、蔵六と改名。その後、郷里より、妻・琴を呼び寄せた。
 彼は、兵学の講義や翻訳で多忙をきわめる中、蘭学研究や動物の解剖などにも励んだ。
 そんな時、益次郎に藩命が下った。それは、軍艦製造、航海等の修業であった。
 彼は、医師・二宮敬作、細工職人・嘉蔵(前原巧山らとともに、長崎へと向かうことになったのである。
(続く。次回は6月1日付に掲載します)


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