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2016年09月28日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(39) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(39) 大村益次郎
▲旧萩藩校明倫館南門(萩市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(9月21日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

博習堂

 1861(万延2)年1月、益次郎は、藩命により帰国の途に就いた。23日、萩へ到着した彼は、29日に手廻組に加えられ、博習堂御用掛となった。
 博習堂は当初、長州藩の西洋学所と称されていたが、1859(安政6)年9月に改称され、明倫館内に置かれた。
 そこで益次郎は、同年(文久に改元)3月、同僚とともに、「博習堂日課規則」を作った。その中にある「会読規則」の箇所には、次の内容が記されている。
 「全く読見会にして予め質問聴講を許さず。或いは、独見の労を厭い、或いは、会頭の称誉を貪り、密かに他人の力を借り、己が説となす等の事、皆、学問の本旨にあらず。若し後来、露顕する時は、一級を退くべし」「文典書前編の会読に加うる部を初級と定め、後来は会読の点数を以って其級を昇すべし」「総て会読は輪講にして討論し、其説優れるものに白点一圏を加え、一カ月の末会に至りこれを計会し、白点多きものを、その級の上席に上す」。
 このように益次郎は、かつて自分が学んだ咸宜園と適塾での体験を元に、ここに、徹底した実力主義の教育現場を作ろうとしていたのである。
(続く。次回は10月5日付に掲載します)


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