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2016年10月12日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(41) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(41) 大村益次郎
▲木戸孝允旧宅(萩市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(10月5日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

航海遠略策

 益次郎が萩に滞在していた頃、長州藩では藩主・毛利敬親が、直目付・長井雅楽の唱える「航海遠略策」を採用、これを藩論とした。1861(文久元)年3月28日のことであった。
 安政の開国以来、混乱する政局を収めるため、朝廷と幕府がわだかまりを捨て、公武合体を推し進めること。鎖国、攘夷の方針を改め、国威を発揚し、世界を圧倒すること。藩命により雅楽は、京都、江戸へと上り、朝廷、幕府の要人たちを説いて回った。

出港

 長井雅楽が建言した政策が藩論となった頃、ロシアへ向けて、ひとりの若者が出港しようとしていた。長州藩の山尾庸三である。
 彼は江戸滞在中、斎藤弥九郎の練兵館で剣術修業に励んでいたが、箱館奉行に出仕する弥九郎の弟・北岡健三郎より、ロシア行きの話を聞き、先輩の木戸孝允に相談した。そこで孝允は、彼を援助し、当時、郷里にいた益次郎に次のような内容の手紙を送っている。
 「庸三は、初冬頃、江戸へ戻る予定なので、彼の父親に、心配することはないと伝えてほしい」
 後輩思いの孝允の人柄が、よく伝わってくる。
(続く。次回は10月19日付に掲載します)


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