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2016年11月30日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(48) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(48) 大村益次郎
▲京都御所建礼門(京都市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(11月23日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

挽回

 幕府が定めた攘夷実行期限に従い、関門海峡で外国船を打ち払い、横浜からイギリスに5人の若者たちを密留学させた長州藩だが、その頃、薩摩藩のリーダーである島津久光は、尊王の志は理解していたが、攘夷のような過激で軽率な行動には反対であった。また、薩摩藩士が他藩の尊王攘夷派の志士たちと接触することも固く禁じた。こうして彼は、朝廷の伝統的権威と、幕府および諸藩を結び付けて幕藩体制の再建を画策。公武合体の方針を打ち立て、京都政界へ乗り出そうとしていた。
 一方、長州藩と三条実美らを中心とする尊王攘夷派の勢力は、朝議を左右するまでになっていた。
 彼らは、孝明天皇が大和の神武天皇陵や春日神社に参拝し、そこで軍議を開き、攘夷の徹底を期しようとする、攘夷親征運動を計画。1863(文久3)年8月13日、朝廷から勅詔が下されたのであった。
 この親征の詔を聞いた薩摩藩士・高崎佐太郎は、会津藩士・秋月悌次郎のもとを訪ねた。そこで彼らは、挽回を図るため、密かに公武合体派の公家と手を結び、尊王攘夷派一掃計画を立てたのであった。
(続く。次回は12月7日付に掲載します)


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