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2017年01月18日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(55) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(55) 大村益次郎
▲火の山より関門海峡を望む(下関市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(1月11日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

報復攻撃

 朝敵となった長州藩に更なる危機が迫った。
 前年5月10日、アメリカ、フランス、オランダの3カ国の船を砲撃した長州藩に対する罪を問うため、イギリスを加えた4カ国の連合艦隊が砲撃の時期を待っていた。
 この時、留学先のイギリスから急きょ帰国した井上馨と伊藤博文は、砲撃延期の交渉に奔走していたが不調に終わった。 こうして、1864(元治元)年8月5日、ついに17隻の連合艦隊の艦砲が火を吹いた。
 対する長州軍も各砲台で奮戦したが、戦力の差は明らかであった。砲台はことごとく破壊され、連合艦隊の兵士2千人が上陸。前田砲台が占領され大砲も奪われた。
 その後、長州藩では、正使を高杉晋作、副使を杉孫七郎、渡辺内蔵太とし、講和交渉に当たらせることにした。8月14日まで、3回の談判が行われ、外国船の関門海峡の自由な通行。石炭、水、食料などの供給などが決められたが、300万ドルの賠償金については断固拒否した。前年、外国船を砲撃したのは幕府の命に従ったものである。よって請求は幕府にすべきだと強く主張した。
 その頃、益次郎は外人応接掛となり下関へ出張することになる。
(続く。次回は1月25日付に掲載します)


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