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2017年01月25日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(56) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(56) 大村益次郎
▲政事堂では激論が飛び交った(中河原町)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(1月18日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

保守派と改革派

 講和条約締結後、益次郎は饗応のため、高杉晋作らとともに外国船を訪問した。この時、長州藩は、連合国軍に対し、数々の品物や食料を提供し、次第に親睦を深めていった。そして、8月26日、4カ国の連合艦隊は下関を去った。
 それから数日後、益次郎は、政務座役事務扱を命じられ、軍務専任となる。藩政の中心メンバーである。しかし、その頃長州藩は、更なる危機に頭を悩ませていた。幕府による長州征討である。
 藩内は、幕府に対し謝罪恭順を唱える保守派、武備恭順を唱える改革派の二派に分裂していた。
 保守派は、禁門の変の責任者の処罰、藩首脳陣の更迭、諸隊の解散などを主張。一方、改革派は、幕府には恭順を示すが、幕府軍が攻めて来た場合には徹底抗戦するという考えであった。
 こうした中、政務座の井上馨の周旋により、御前会議が開かれることになった。藩論統一のためである。9月25日、政事堂において会議が開かれると、藩主・毛利敬親は、馨が主張する武備恭順策を採用した。しかし、この日の夜、馨は、石州街道の袖解橋の近くで保守派の壮士数名に襲撃を受け、瀕死の重傷を負ったのである。
(続く。次回は2月1日付に掲載します)


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