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2017年02月22日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(60) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(60) 大村益次郎
▲亀山八幡宮より関門海峡を望む(下関市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(15日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

壬戌丸

 「尚々村田(大村益次郎)出関迄右蒸気船を待せ致し候付、片時も速に出関希望仕候也、米蒸気船一艘今暁馬関到着、米人ドレーキ、カール両人乗組上海出帆にて罷越、右壬戌丸一件始末未相着候故、上海辺にて種々風評相起り候趣は、ドレーキ長州より右船を買求、代金を不納とて謗譏洶々、ドレーキも不得止態々馬関迄罷越候由也―」(差出人、受取人不明の書簡)
 藩内で、改革派と保守派が激突する頃、赤間関応接掛を命じられていた益次郎は、壬戌丸売却の件について奔走していた。壬戌丸とは、1862(文久2)年、長州藩がイギリスのジャーディン・マセソン商会より12万ドルという大金で購入した蒸気船ランスフィールド号である。
 1863(文久3)年5月10日、久坂玄瑞らが関門海峡でアメリカ商船を砲撃。その後、フランス、オランダの船にも攻撃を加えた。だが翌月、各国の軍艦に報復攻撃され、長州藩の砲台はことごとく破壊された。その際、アメリカ軍艦によって砲撃され、撃沈したのが壬戌丸である。そこでアメリカ商人ドレークらは、その船を引き揚げ、上海で売却することを勧めに来たのである。
(続く。次回は3月1日付に掲載します)


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